2017年11月16日
今日は何の日?佐賀暦 11月16日~11月30日の巻
毎日が記念日!
幕末・維新の佐賀の八賢人の活躍と、
戦国時代の龍造寺・鍋島両家の休む間もない連戦の記録で
佐賀には365日なにかしら記念日があります。
11月16日~11月30日の出来事をご紹介します
出来事にちなんで作られた「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の
歴史寸劇演目のお写真もお楽しみください
11月16日
江戸時代末期1836天保7鍋島直正
田中津左衛門、今宿江にて水雷発射実験を行なう。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

▲西洋の技術を次々に自らのものにする鍋島直正
明治時代1872明治5久米邦武
ロンドンを立ってカレー経由パリ着"郷土史に輝く人びと P213
久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表"
11月17日
江戸時代末期1838天保9鍋島直正
直正が軍用貯蓄を命令。郷土史に輝く人びと P46
明治時代1891明治24大木喬任
文部大臣大木喬任、「小学校教則大綱」を発布。これにより小学校令施行のために必要な諸規則は全部発布された。各府県に対して「訓令第五号」に明確な教育思想を表して発布。大木喬任年譜考 P489

▲歴史寸劇「酒もってこい!」は義務教育の案を練るある夜の大木喬任の物語
11月18日
江戸時代末期1853嘉永6江藤新平
江藤新平、ロシアの植民地政策の国際的危機感を表明し、攘夷論を唱え、「露西亜書翰和解」を記す。楠公義祭同盟

▲江藤新平、国の行方を案じる
11月19日
安土桃山時代1578天正6龍造寺隆信
龍造寺隆信が、筑後に進出。大友が日向に進出し、島津と戦っている隙を狙って、近国に出撃し、大友の旗下の諸将を従える狙い。総勢20000余で三潴郡酒見村に布陣。(先陣鍋島直茂、二陣納富家景、三陣龍造寺家晴、四陣松浦勢、五陣後藤家信、六陣龍造寺長信、七陣江上家種、八陣馬場鑑周、九陣神代長良、神代正忠、千布家利、しんがりは隆信の旗本)「風雲 肥前戦国武将史」 P76
11月20日
江戸時代末期1853嘉永6鍋島直正
鍋島直正が老中阿部伊勢守に三支藩の参勤と公役の免除を依頼する。(翌年認められる)幕末の鍋島佐賀藩 P171

▲藩主としての鍋島直正は江戸幕府との難しい交渉を数多く成功させる
江戸時代末期1861文久元鍋島直正
鍋島直正が隠居。(閑叟と号する※号の名乗りは江戸城に挨拶に行った12月1日という説もあり)鍋島閑叟(杉谷昭) P126

▲歴史寸劇「茶飲みに来んか?」は隠居した後の藩士との交流を描く
11月21日
室町時代1544天文13"龍造寺剛忠 以下 龍造寺一門"
少弐冬尚が龍造寺剛忠に、反逆した有馬氏討伐を命令。龍造寺一門で出撃。一手は上松浦へ。一手は多久の梶峰城へ、一手は有馬を討つため杵島郡の長島へ。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
11月22日
室町時代1544天文13"龍造寺剛忠 以下 龍造寺一門"
早朝、上松浦に向かった一手の将、龍造寺盛家が、日在城の東、竜川(伊万里市立川)に着陣し、そこに鶴田氏の一族ら松浦党が押し寄せ、大激戦に。龍造寺盛家、家久、信以らが戦死。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
11月23日
江戸時代末期1837天保8鍋島直正
鍋島直正が江戸城で老中脇坂中務太舗より長崎警備が行き届いていると褒められる。さらに「御家来も能力のある者が多いと聞いている」と言われ、このことを国元に知らせるように指示している。幕末の鍋島佐賀藩 P77

▲鍋島直正、褒められる
11月24日
江戸時代末期1837天保8鍋島直堯
小城藩、酒造米を従来の半高にする。ネット年表
11月25日
江戸時代末期1867慶応3鍋島茂昌
戊辰戦争・武雄鍋島軍帰国。ネット年表
11月26日
安土桃山時代1574天正2龍造寺隆信
龍造寺隆信、 平井経治の高城攻めを城の北一間堀口、東白川口、湯崎川津口、小塚口、搦め手口から開始。一進一退が続く。"龍造寺隆信 P273「風雲 肥前戦国武将史」 P71"
11月27日
安土桃山時代1583天正11龍造寺隆信
龍造寺隆信、田尻鑑種、和議成立。龍造寺隆信 P348
江戸時代末期1813文化10鍋島安房(茂真)
誕生する枝吉神陽先生遺稿 巻末年表

▲歴史寸劇「あの夜のままで。」は鍋島安房も参加した義祭同盟の後の賢人たちに与えた意義を紹介する
明治時代1870明治3江藤新平
江藤新平、憲法の大切さの啓蒙のため、第一回国法会議(憲法制定会議)を開く。天皇も出るなど、大がかりなものにして定例化を図ったが、先細りとなる。※日本で憲法ができる19年前。幕末維新と佐賀藩 P129

▲法のもとに万民が平等な世界を作ろうと邁進する江藤新平
明治時代1871明治4相良知安
相良知安が、「職務上非違の行為あり」と言い渡しを受けただけで無罪釈放となる。郷土史に輝く人びと P290
明治時代1873明治6朝倉弾蔵 征韓党
前月結成された佐賀の征韓党のもとへ東京から帰った朝倉弾蔵、中嶋鼎蔵らが戻り、東京で征韓論が敗れたことを知らせる。党の若者が激昂する。27日~28日続く郷土史に輝く人びと P126
11月28日
明治時代1873明治6朝倉弾蔵 征韓党
前月結成された佐賀の征韓党のもとへ東京から帰った朝倉弾蔵、中嶋鼎蔵らが戻り、東京で征韓論が敗れたことを知らせる。党の若者が激昂する。27日~28日続く郷土史に輝く人びと P126
安土桃山時代1580天正8龍造寺隆信 蒲池家
蒲池鎮並が龍造寺隆信に降伏。龍造寺隆信 P326
安土桃山時代1588天正16鍋島 龍造寺
龍造寺政家が、その子長法師丸を鍋島直茂の養子にする。佐賀県史(上巻)年表
明治時代1872明治5江藤新平
江藤新平、司令省達第46号を発布。これは「地方官の専横や怠慢によって人民の権利が侵害された場合は、人民は裁判所に訴えて救済を求めることができる」という法で当時は突拍子もなく思えたが、人民からは大歓迎された。幕末維新と佐賀藩 P158

▲江藤新平のこの施策が後の「尾去沢事件」の発覚につながる
11月29日
江戸時代中期1695元禄8鍋島光茂
鍋島光茂隠居。佐賀県史(中巻)年表
11月30日
明治時代1886明治19大木喬任
民法草案について元老院議官の尾崎三良と論じる。大木喬任年譜考 P390

▲普段は口下手でも、論ずると熱い大木喬任
幕末・維新の佐賀の八賢人の活躍と、
戦国時代の龍造寺・鍋島両家の休む間もない連戦の記録で
佐賀には365日なにかしら記念日があります。
11月16日~11月30日の出来事をご紹介します
出来事にちなんで作られた「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の
歴史寸劇演目のお写真もお楽しみください
11月16日
江戸時代末期1836天保7鍋島直正
田中津左衛門、今宿江にて水雷発射実験を行なう。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

▲西洋の技術を次々に自らのものにする鍋島直正
明治時代1872明治5久米邦武
ロンドンを立ってカレー経由パリ着"郷土史に輝く人びと P213
久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表"
11月17日
江戸時代末期1838天保9鍋島直正
直正が軍用貯蓄を命令。郷土史に輝く人びと P46
明治時代1891明治24大木喬任
文部大臣大木喬任、「小学校教則大綱」を発布。これにより小学校令施行のために必要な諸規則は全部発布された。各府県に対して「訓令第五号」に明確な教育思想を表して発布。大木喬任年譜考 P489

▲歴史寸劇「酒もってこい!」は義務教育の案を練るある夜の大木喬任の物語
11月18日
江戸時代末期1853嘉永6江藤新平
江藤新平、ロシアの植民地政策の国際的危機感を表明し、攘夷論を唱え、「露西亜書翰和解」を記す。楠公義祭同盟

▲江藤新平、国の行方を案じる
11月19日
安土桃山時代1578天正6龍造寺隆信
龍造寺隆信が、筑後に進出。大友が日向に進出し、島津と戦っている隙を狙って、近国に出撃し、大友の旗下の諸将を従える狙い。総勢20000余で三潴郡酒見村に布陣。(先陣鍋島直茂、二陣納富家景、三陣龍造寺家晴、四陣松浦勢、五陣後藤家信、六陣龍造寺長信、七陣江上家種、八陣馬場鑑周、九陣神代長良、神代正忠、千布家利、しんがりは隆信の旗本)「風雲 肥前戦国武将史」 P76
11月20日
江戸時代末期1853嘉永6鍋島直正
鍋島直正が老中阿部伊勢守に三支藩の参勤と公役の免除を依頼する。(翌年認められる)幕末の鍋島佐賀藩 P171

▲藩主としての鍋島直正は江戸幕府との難しい交渉を数多く成功させる
江戸時代末期1861文久元鍋島直正
鍋島直正が隠居。(閑叟と号する※号の名乗りは江戸城に挨拶に行った12月1日という説もあり)鍋島閑叟(杉谷昭) P126

▲歴史寸劇「茶飲みに来んか?」は隠居した後の藩士との交流を描く
11月21日
室町時代1544天文13"龍造寺剛忠 以下 龍造寺一門"
少弐冬尚が龍造寺剛忠に、反逆した有馬氏討伐を命令。龍造寺一門で出撃。一手は上松浦へ。一手は多久の梶峰城へ、一手は有馬を討つため杵島郡の長島へ。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
11月22日
室町時代1544天文13"龍造寺剛忠 以下 龍造寺一門"
早朝、上松浦に向かった一手の将、龍造寺盛家が、日在城の東、竜川(伊万里市立川)に着陣し、そこに鶴田氏の一族ら松浦党が押し寄せ、大激戦に。龍造寺盛家、家久、信以らが戦死。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
11月23日
江戸時代末期1837天保8鍋島直正
鍋島直正が江戸城で老中脇坂中務太舗より長崎警備が行き届いていると褒められる。さらに「御家来も能力のある者が多いと聞いている」と言われ、このことを国元に知らせるように指示している。幕末の鍋島佐賀藩 P77

▲鍋島直正、褒められる
11月24日
江戸時代末期1837天保8鍋島直堯
小城藩、酒造米を従来の半高にする。ネット年表
11月25日
江戸時代末期1867慶応3鍋島茂昌
戊辰戦争・武雄鍋島軍帰国。ネット年表
11月26日
安土桃山時代1574天正2龍造寺隆信
龍造寺隆信、 平井経治の高城攻めを城の北一間堀口、東白川口、湯崎川津口、小塚口、搦め手口から開始。一進一退が続く。"龍造寺隆信 P273「風雲 肥前戦国武将史」 P71"
11月27日
安土桃山時代1583天正11龍造寺隆信
龍造寺隆信、田尻鑑種、和議成立。龍造寺隆信 P348
江戸時代末期1813文化10鍋島安房(茂真)
誕生する枝吉神陽先生遺稿 巻末年表

▲歴史寸劇「あの夜のままで。」は鍋島安房も参加した義祭同盟の後の賢人たちに与えた意義を紹介する
明治時代1870明治3江藤新平
江藤新平、憲法の大切さの啓蒙のため、第一回国法会議(憲法制定会議)を開く。天皇も出るなど、大がかりなものにして定例化を図ったが、先細りとなる。※日本で憲法ができる19年前。幕末維新と佐賀藩 P129

▲法のもとに万民が平等な世界を作ろうと邁進する江藤新平
明治時代1871明治4相良知安
相良知安が、「職務上非違の行為あり」と言い渡しを受けただけで無罪釈放となる。郷土史に輝く人びと P290
明治時代1873明治6朝倉弾蔵 征韓党
前月結成された佐賀の征韓党のもとへ東京から帰った朝倉弾蔵、中嶋鼎蔵らが戻り、東京で征韓論が敗れたことを知らせる。党の若者が激昂する。27日~28日続く郷土史に輝く人びと P126
11月28日
明治時代1873明治6朝倉弾蔵 征韓党
前月結成された佐賀の征韓党のもとへ東京から帰った朝倉弾蔵、中嶋鼎蔵らが戻り、東京で征韓論が敗れたことを知らせる。党の若者が激昂する。27日~28日続く郷土史に輝く人びと P126
安土桃山時代1580天正8龍造寺隆信 蒲池家
蒲池鎮並が龍造寺隆信に降伏。龍造寺隆信 P326
安土桃山時代1588天正16鍋島 龍造寺
龍造寺政家が、その子長法師丸を鍋島直茂の養子にする。佐賀県史(上巻)年表
明治時代1872明治5江藤新平
江藤新平、司令省達第46号を発布。これは「地方官の専横や怠慢によって人民の権利が侵害された場合は、人民は裁判所に訴えて救済を求めることができる」という法で当時は突拍子もなく思えたが、人民からは大歓迎された。幕末維新と佐賀藩 P158

▲江藤新平のこの施策が後の「尾去沢事件」の発覚につながる
11月29日
江戸時代中期1695元禄8鍋島光茂
鍋島光茂隠居。佐賀県史(中巻)年表
11月30日
明治時代1886明治19大木喬任
民法草案について元老院議官の尾崎三良と論じる。大木喬任年譜考 P390

▲普段は口下手でも、論ずると熱い大木喬任