2017年01月29日
今日は何の日?佐賀暦 2月1日~2月15日

歴史上、佐賀の八賢人関連の幕末・維新時期や
戦国時代の龍造寺・鍋島家などを
中心にどんな出来事があったかを調べて、暦にしました。
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊の歴史寸劇で関連のあるシーンもあわせてお楽しみください。
今日は何の日?佐賀暦
2月1日~2月15日
今回にお誕生日を迎える佐賀の歴史上の人物
江藤新平 (1834年2月9日)
龍造寺隆信(1529年2月15日)
2月1日明治時代1888明治21大隈重信

▲大木と大隈は遠戚にあたる(画像はこの事件の9年後。「まるぼうろ」より)
大隈重信、伊藤内閣の外務大臣に就任。就任にあたっては、伊藤が大木に説得を依頼するなど、様々な動きがあった。保安条例で民間の志士を東京から追い出した後に大隈を入閣させたので「猪(志士)を追い出し大熊(大隈)入れて後の始末をどうなさる」という俗謡が流行した。大木喬任年譜考 P412・414
2月2日江戸時代末期1842天保13鍋島直正
鍋島直正、佐賀藩江戸藩邸改革、江戸家老廃止。鍋島閑叟(杉谷昭) 巻末
2月2日江戸時代末期1851嘉永4鍋島直正
佐賀藩、反射炉溶鉄に二度目の挑戦をしたが失敗。鍋島閑叟(杉谷昭) P28
2月3日明治時代1874明治7江藤新平
大久保の手元に福岡から佐賀についての電報が届く。「佐賀県貫属寺に集まり征韓論を唱え勢い日々に盛んなり、昨夜小野組に迫り手代残らず逃げ去りたり」幕末維新と佐賀藩 P192
2月4日江戸時代末期1860安政7中野方蔵

▲歴史寸劇「もらい風呂」は、この中野捕縛事件を扱っている。傷心の副島種臣を迎え入れる兄・枝吉神陽
佐賀藩の志士、中野方蔵が、千駄ヶ谷の鍋島家下屋敷に潜伏中、捕縛される。大木喬任年譜考 P25
2月4日明治時代1874明治7江藤新平
昨日届いた福岡の電報をもとに、西郷従道が大久保を早朝に訪問。早くも佐賀県士族の「暴動」と決めつけて対処法を検討する。佐賀出兵命令も発動。幕末維新と佐賀藩 P194・196
2月5日江戸時代末期1838天保9鍋島直正

▲歌を詠む鍋島直正(歴史寸劇「散るもまた良し」より
鍋島直正が水戸の徳川斉昭邸を訪問。この時詠んだ歌が天下に伝わる。幕末の鍋島佐賀藩 P78
2月5日江戸時代末期1852嘉永5鍋島直正
鍋島直正が老中阿部伊勢守に長崎を預けてほしいと申し出る。幕末の鍋島佐賀藩 P161
2月6日安土桃山時代1576天正4龍造寺隆信
龍造寺隆信、鍋島直茂らに横沢城攻めを命じ、落城する。城主深町美作守脱出。龍造寺隆信 P289
2月6日安土桃山時代1577天正5龍造寺隆信
龍造寺隆信、有馬攻めの途上、要害の堅塁横造城に迫り、陥落させる。この勝利を聞いて藤津郡の各勢力はほぼ全員が我先にと龍造寺の軍門めがけて駆け下り、藤津・杵島両郡の有馬勢は完全に駆逐され、龍造寺側となった。「風雲 肥前戦国武将史」 P73
2月6日江戸時代末期1857安政4鍋島直正
佐賀藩の田代孫三郎、杉谷雍助など12名が幕府の要請で伊豆韮山へ到着。反射炉製造の技術援助を開始。(~1858年3月まで逗留、完成に導く。)鍋島閑叟(杉谷昭) P37
2月6日明治時代1874明治7島義勇
島義勇、東京を離れ佐賀の不平士族を慰撫に行く前に天皇奉伺のため赤坂御所に行く。あいにく門鑑を持っていなかったため、御所に入ることができず、やむを得なかったため、正門外にひれふして再拝三拝し、天皇に訣別の辞を述べた。郷土史に輝く人びと P125
2月7日江戸時代末期1830天保元鍋島直正

▲鍋島直正(歴史寸劇「喜鵲(かちがらす)」より)
第九代鍋島藩藩主斉直隠居し、第十代として鍋島直正が就任(17歳)。楠公義祭同盟
2月7日江戸時代末期1845弘化2鍋島直正
直正が、家中すべての者に火術習熟のことを命令。郷土史に輝く人びと P47
2月7日明治時代1873明治6江藤新平
復讐禁止の令を出す。江藤新平と明治維新 P194
2月7日明治時代1874明治7島義勇
憂国党が島義勇を首領に推挙。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
2月7日明治時代1874明治7島義勇
東京を離れ佐賀へ向う。郷土史に輝く人びと P125
2月8日明治時代1868明治元 旧佐賀藩
北陸道先鋒を命じられる。鹿島藩主の直彬が直大に代わり全軍指揮。藩士11,000弱を率いて東上の途に(但しこの後、鹿島藩士は長崎警固を命じられ泣く泣く帰国。「鹿島藩主帰国問題」)大木喬任年譜考 P37
2月9日江戸時代末期1834天保5江藤新平

江藤新平 誕生。
2月9日江戸時代末期1841天保12鍋島直正
鍋島直正、文武に優秀な人材を近国に派遣。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
2月9日明治時代1870明治3島義勇

▲「おいが作った札幌のまちを、見せてやりたかった~」(歴史寸劇「さがんもん」より)
北海道開拓使の首席判官だった島義勇が帰京を命じられる。在任は半年。功績は大。長官の東久世に相談せずに独断専攻し心象を悪くし、一方で莫大な金を使ったので、「予算大幅削減か、島の罷免か」の二者択一を東久世が東京の太政官にせまったという。郷土史に輝く人びと P108
2月9日明治時代1889明治22佐野常民

▲18歳の佐野(写真中央)が古代中国史にも詳しい枝吉神陽(右)にはじめて「博愛」の概念を教えられる(歴史寸劇「おないとし」のひとこま)。
日本赤十字社の社長として佐野常民は、帝国憲法発布式に参列するために上京してきた各地の各高官に対し社業の報告を行ない、赤十字に関する図書と物品を展示して赤十字事業の周知徹底を図る。日赤の創始者 佐野常民 P123
2月10日安土桃山時代1580天正8龍造寺隆信
蒲池家蒲池鎮並が龍造寺隆信に叛旗を翻す。龍造寺隆信 P323
2月10日江戸時代末期1847弘化4鍋島直正
直正の正室、盛姫逝去。(享年37) ※直正は34歳郷土史に輝く人びと P47
2月10日明治時代1873明治6佐野常民
佐野常民が博覧会事務副総裁がとしてオーストリアに渡航する直前に、オーストリア、イタリア両国の弁理公使も任命され、さらにこの日に天皇より勅旨を賜り責任の大きさを感じた。日赤の創始者 佐野常民 P56
2月11日江戸時代末期1861文久元鍋島直正
鍋島直正が中牟田倉之助を英学研究のため長崎に派遣。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
2月11日江戸時代末期1867慶応3大木喬任
大木喬任、政府への建議において鉄道建設を促す。大木喬任年譜考 P139
2月11日明治時代1868明治元大木喬任

▲歴史寸劇「茶飲みにこんか?」のワンシーン。大木が江戸遷都の案を隠居した鍋島直正に伝えようとするが・・・
大木喬任が三条実美あてに江戸遷都すべき旨の意見書を提出→取り上げられずうっ屈。大木喬任年譜考 P39
2月11日明治時代1874明治7江藤新平 島義勇
江藤新平、島義勇 密談。

▲歴史寸劇「さがんもん」より
2月12日江戸時代末期1831天保2鍋島直正
藩主就任2年目の鍋島直正が、弘道館頭人に「国政をあずかる者は、古今にわたり学び、天地の公理を明らかにするよう心がけ又家中全員も格別に精励しなければならない」と指示し、藩の上層部人材に対しての不満を込める。(著者見解)幕末の鍋島佐賀藩 P16
2月12日明治時代1874明治7江藤新平
江藤新平 佐賀征韓党首領として擁立。
2月13日安土桃山時代1580天正8龍造寺隆信
蒲池家龍造寺隆信が蒲池鎮並が守る柳川城を包囲。龍造寺隆信 P324
2月13日安土桃山時代1584天正12龍造寺隆信
島津義弘島津義弘が肥後に出陣したという報告が入り、龍造寺隆信が肥後に出陣。竹迫(たけのさこ)の合志親為を攻めて降し帰陣。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P150
2月14日江戸時代末期1838天保9鍋島直正
鍋島直正が幕府老中から長崎警備について特別な努力をしている事を褒められる。鍋島閑叟(杉谷昭) P15
2月14日明治時代1874明治7江藤新平
江藤新平の征韓党が、川上の実相院を本営に定める。佐賀の乱始末記「獄中に哭く」(滝口康彦)
2月15日室町時代1529享禄2龍造寺隆信
龍造寺隆信、水ヶ江城東館天神屋敷で誕生。
2月15日江戸時代末期1851嘉永4鍋島直正
佐賀藩、反射炉溶鉄に三度目の挑戦をしたが失敗。鍋島閑叟(杉谷昭) P28
2月15日明治時代1870明治3大隈重信
▲総理大臣への意欲が芽生えた大隈重信(歴史寸劇「まるぼうろ」より)

大隈重信が一身をかけて奮闘した造幣局の開業式が開催。円を作った男(小説・大隈重信) P238
2月15日明治時代1874明治7江藤新平
佐賀の乱・.県令岩村高俊から佐賀側へ兵を出し、挑発する。幕末維新と佐賀藩 P199
2017年01月28日
「良いではないか。」★2017年1月22日 佐賀城本丸歴史館
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のブログをご覧になっていただき誠にありがとうございます。
いつものように最新の佐賀城本丸における定期上演の様子をお客様のアンケートと写真をもとにレポートいたします。
上演:2017年1月22日(日) ※第241日目
場所:佐賀城本丸歴史館 御座間
上演演目:
『良いではないか。』
あらすじ●日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
出演賢人●

佐野常民
(鷹巣将弥)

副島種臣
(西正)

島義勇
(谷口文章)
観客数111人
※ボランティアスタッフ含む
演出:谷口文章
演技指導:辻恵子
脚本:桜井篤
当日アテンド:谷口幸恵
記録:飯田豊一
撮影:中本英一・飯田豊一
プロデュース:桜井篤
●アンケート結果
アンケート回答人数69(占有率45.8%)
アンケート結果
満足率94.2%
(大変面白かった・・62.3%、面白かった31.9%)
寸劇上演を知っていた・・57%
来館目的が観劇・・・51%
本丸歴史館にはじめて来た・・・34%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・4.3%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです
真剣さがよい。男52佐賀市
新しく知ることができたので。女44須恵町
わかりやすい話だった。男45須恵町
最初が面白かった。女10みやき町



八賢人の事が良く分かりました。女44みやき町
勉強になりました。またきたい。男50大分市
すんげきを初めて見ました。男43春日市
島さんのキャラや副島さんのツッコミ、佐野さんのボケが楽しかった。男14春日市



初めて見た演目だったので。男33愛知県
とても解かり易く楽しかった。男42大宮市
明治の創建の人物(肥前)をくわしく知ることができました。女75日田市
上手だった。男40柳川市
歴史の知識を増したかったから。男30佐賀市



佐賀の歴史を分かったため。男36佐賀市
個性が出てた。コンパクトに話がまとまってた。歴史の人について学ぶきっかけになった。女33佐賀市
たまに来ているので大変おもしろかったです。男43佐賀市
勉強になりました。33佐賀市
これからも頑張って下さい。女51福岡市





アドリブをまじえて非常に面白かった。同じ演目でも、いろいろと違って楽しめた。以前に見たのは、違うバージョンだったみたい。男50佐賀市
面白く楽しく歴史の勉強がてきました。男71佐賀市
おもしろいおひげ。男29雲仙市
途中からでしたが、あつい演技にのまれました。これからも続けていけますように。女40岐阜県
アドリブがおもしろかったから。女8神埼市
知らなかった賢人を知ることができて勉強になりました。女33
演技力が素晴らしかったです。小さい子どもも分かりやすかったと思います。男35神埼市



おもしろく、わかりやすい内容でした。男44佐賀市
笑いもあり、史実を知ることが出来ました。43佐賀市
あっそうだったと言うことを知れてよかった。男8唐津市
島さんおもしろかった。女47唐津市
あっそうだったんだということが知れてよかった。女11唐津市


島義勇はこわいイメージだったんで、ちょと笑う。女73神埼市
八賢人の事が良くわかった。(役職等)男80佐賀市
生のおしばいは、何回みても飽きません。思い立って来てかったです。前回みたのは、またちがう印象でたのしかったです。女17佐賀市
短時間で史実とユーモアを交えて分かりやすく演じられていた。男44佐賀市
史実に基づく寸劇。これからも様々な形で応援いたします。待ってて下さい。女70佐賀市

よくわかった。女50福岡市
佐賀の賢人がわかりやすかった。女57長野県
昨年よりパワーアップしたみたいですね。動きがすごかったです。男47小城市
いつも楽しく観させていただいてます。女40佐賀市
力が入った心を込めた劇をされていると思う。54福岡市



ありがとうございました。

▲上演後には、おいしいバナナの差し入れをこんなにたくさんも。
ありがとうございます!!!

▲喜んでいます(笑)
■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。

島面白かったから。女10みやき町
副島・島・佐野おもしろかった。がんばってください。男14春日市
大隈・江藤・佐野佐野常民の赤十字に対しては、青少年赤十字について、その指導をしたことがあります。大分の福沢諭吉と同様、大隈重信のすばらしさはわかります。女75日田市

全員全員好きだから。男30佐賀市

大隈早稲田を作ったから。男36佐賀市
島声がすごかったです。男43佐賀市
島文ちゃんファンです。33佐賀市
大隈早稲田大学という有名な場所をつくったから。男29
大隈一番知っているから。男12神埼市

佐野イケメン。女8神埼市
島キャラがおもしろかったので。女33
江藤・島・殿島さんは寸劇を見て好きになりました。43佐賀市
江藤・殿すごいから。男8唐津市

殿国の未来を考えていろんな政策をしてたから。女47唐津市
佐野泣き虫でまじめだから。女11唐津市
副島・島・佐野今日の出演者。男34武雄市
佐野佐野さんの博愛の精神がとてもすばらしいです。本当は全員好きです。女40佐賀市
殿鍋島公の偉大さは聞いております。54福岡市
ありがとうございました。
上演の後には、「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンは大隈重信主役の「まるぼうろ」のエピソード元となった
鶴屋菓子舗さんの「まるぼうろ」サービスでした。
このクーポンチケットは翌週の日曜日まで使えるので、次週も本丸歴史館にお越しいただいた折りにもお使いいただければと考えております。
こちらは鶴屋さんのHPです
http://www.marubouro.co.jp/
今後の上演予定■
1月29日(日) 第242日目
『酒もってこい』
【大木喬任、江藤新平、島義勇】

八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。
2月5日(日)第243日目
『まるぼうろ』
【大隈重信、大木喬任、副島種臣】

人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
2月12日(日)第244回目
『聞き耳えびす』
【大隈重信、江藤新平、島義勇】

1864年2月某日。上方から佐賀を経て長崎に向かう若き大隈重信。長崎・香焼島の守備隊から佐賀城に急ぐ熱血・島義勇。路上で偶然出会って、熱く論じあう二人の前を、これまた別の怪しい男が走り過ぎる・・・。往来で賑わう長崎街道の牛津宿。春のある日の昼下がりの物語。
2月19日(日)第245日
『良いではないか。』
【佐野常民、副島種臣、島義勇】

日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
2月26日(日)第246日
『おないとし』
【佐野常民、枝吉神陽、島義勇】

漢学や医学、国学に陽明学。「なにものかにならんばっ!」と己が信じる勉学に励み、日夜議論を尽くしていた佐賀鍋島の藩校弘道館の若き俊英、枝吉神陽、島義勇、そして佐野常民。同じ歳の3人が18回目の夏を迎えた1840年天保11年7月のある日。ついに激動の時代の幕開けを告げるある知らせが遠く大陸から届いた・・・。
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
さて、より賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください。JR佐賀駅前の「観光案内所」でも無料配布しております。
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀城本丸歴史館でお会いしましょう!
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
FACEBOOKページもあります
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)
いつものように最新の佐賀城本丸における定期上演の様子をお客様のアンケートと写真をもとにレポートいたします。
上演:2017年1月22日(日) ※第241日目
場所:佐賀城本丸歴史館 御座間
上演演目:
『良いではないか。』
あらすじ●日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
出演賢人●

佐野常民
(鷹巣将弥)

副島種臣
(西正)

島義勇
(谷口文章)
観客数111人
※ボランティアスタッフ含む
演出:谷口文章
演技指導:辻恵子
脚本:桜井篤
当日アテンド:谷口幸恵
記録:飯田豊一
撮影:中本英一・飯田豊一
プロデュース:桜井篤
●アンケート結果
アンケート回答人数69(占有率45.8%)
アンケート結果
満足率94.2%
(大変面白かった・・62.3%、面白かった31.9%)
寸劇上演を知っていた・・57%
来館目的が観劇・・・51%
本丸歴史館にはじめて来た・・・34%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・4.3%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです
真剣さがよい。男52佐賀市
新しく知ることができたので。女44須恵町
わかりやすい話だった。男45須恵町
最初が面白かった。女10みやき町



八賢人の事が良く分かりました。女44みやき町
勉強になりました。またきたい。男50大分市
すんげきを初めて見ました。男43春日市
島さんのキャラや副島さんのツッコミ、佐野さんのボケが楽しかった。男14春日市



初めて見た演目だったので。男33愛知県
とても解かり易く楽しかった。男42大宮市
明治の創建の人物(肥前)をくわしく知ることができました。女75日田市
上手だった。男40柳川市
歴史の知識を増したかったから。男30佐賀市



佐賀の歴史を分かったため。男36佐賀市
個性が出てた。コンパクトに話がまとまってた。歴史の人について学ぶきっかけになった。女33佐賀市
たまに来ているので大変おもしろかったです。男43佐賀市
勉強になりました。33佐賀市
これからも頑張って下さい。女51福岡市





アドリブをまじえて非常に面白かった。同じ演目でも、いろいろと違って楽しめた。以前に見たのは、違うバージョンだったみたい。男50佐賀市
面白く楽しく歴史の勉強がてきました。男71佐賀市
おもしろいおひげ。男29雲仙市
途中からでしたが、あつい演技にのまれました。これからも続けていけますように。女40岐阜県
アドリブがおもしろかったから。女8神埼市
知らなかった賢人を知ることができて勉強になりました。女33
演技力が素晴らしかったです。小さい子どもも分かりやすかったと思います。男35神埼市



おもしろく、わかりやすい内容でした。男44佐賀市
笑いもあり、史実を知ることが出来ました。43佐賀市
あっそうだったと言うことを知れてよかった。男8唐津市
島さんおもしろかった。女47唐津市
あっそうだったんだということが知れてよかった。女11唐津市


島義勇はこわいイメージだったんで、ちょと笑う。女73神埼市
八賢人の事が良くわかった。(役職等)男80佐賀市
生のおしばいは、何回みても飽きません。思い立って来てかったです。前回みたのは、またちがう印象でたのしかったです。女17佐賀市
短時間で史実とユーモアを交えて分かりやすく演じられていた。男44佐賀市
史実に基づく寸劇。これからも様々な形で応援いたします。待ってて下さい。女70佐賀市

よくわかった。女50福岡市
佐賀の賢人がわかりやすかった。女57長野県
昨年よりパワーアップしたみたいですね。動きがすごかったです。男47小城市
いつも楽しく観させていただいてます。女40佐賀市
力が入った心を込めた劇をされていると思う。54福岡市



ありがとうございました。

▲上演後には、おいしいバナナの差し入れをこんなにたくさんも。
ありがとうございます!!!

▲喜んでいます(笑)
■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。

島面白かったから。女10みやき町
副島・島・佐野おもしろかった。がんばってください。男14春日市
大隈・江藤・佐野佐野常民の赤十字に対しては、青少年赤十字について、その指導をしたことがあります。大分の福沢諭吉と同様、大隈重信のすばらしさはわかります。女75日田市

全員全員好きだから。男30佐賀市

大隈早稲田を作ったから。男36佐賀市
島声がすごかったです。男43佐賀市
島文ちゃんファンです。33佐賀市
大隈早稲田大学という有名な場所をつくったから。男29
大隈一番知っているから。男12神埼市

佐野イケメン。女8神埼市
島キャラがおもしろかったので。女33
江藤・島・殿島さんは寸劇を見て好きになりました。43佐賀市
江藤・殿すごいから。男8唐津市

殿国の未来を考えていろんな政策をしてたから。女47唐津市
佐野泣き虫でまじめだから。女11唐津市
副島・島・佐野今日の出演者。男34武雄市
佐野佐野さんの博愛の精神がとてもすばらしいです。本当は全員好きです。女40佐賀市
殿鍋島公の偉大さは聞いております。54福岡市
ありがとうございました。
上演の後には、「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンは大隈重信主役の「まるぼうろ」のエピソード元となった
鶴屋菓子舗さんの「まるぼうろ」サービスでした。
このクーポンチケットは翌週の日曜日まで使えるので、次週も本丸歴史館にお越しいただいた折りにもお使いいただければと考えております。
こちらは鶴屋さんのHPです
http://www.marubouro.co.jp/
今後の上演予定■
1月29日(日) 第242日目
『酒もってこい』
【大木喬任、江藤新平、島義勇】

八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。
2月5日(日)第243日目
『まるぼうろ』
【大隈重信、大木喬任、副島種臣】

人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
2月12日(日)第244回目
『聞き耳えびす』
【大隈重信、江藤新平、島義勇】

1864年2月某日。上方から佐賀を経て長崎に向かう若き大隈重信。長崎・香焼島の守備隊から佐賀城に急ぐ熱血・島義勇。路上で偶然出会って、熱く論じあう二人の前を、これまた別の怪しい男が走り過ぎる・・・。往来で賑わう長崎街道の牛津宿。春のある日の昼下がりの物語。
2月19日(日)第245日
『良いではないか。』
【佐野常民、副島種臣、島義勇】

日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
2月26日(日)第246日
『おないとし』
【佐野常民、枝吉神陽、島義勇】

漢学や医学、国学に陽明学。「なにものかにならんばっ!」と己が信じる勉学に励み、日夜議論を尽くしていた佐賀鍋島の藩校弘道館の若き俊英、枝吉神陽、島義勇、そして佐野常民。同じ歳の3人が18回目の夏を迎えた1840年天保11年7月のある日。ついに激動の時代の幕開けを告げるある知らせが遠く大陸から届いた・・・。
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
さて、より賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください。JR佐賀駅前の「観光案内所」でも無料配布しております。
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀城本丸歴史館でお会いしましょう!
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
FACEBOOKページもあります
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)
2017年01月19日
上演1200回達成★「まるぼうろ」2017年1月15日 佐賀城本丸歴史館
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のブログをご覧になっていただき誠にありがとうございます。
いつものように最新の佐賀城本丸における定期上演の様子をお客様のアンケートと写真をもとにレポートいたします。
上演:2017年1月15日(日) ※第240日目

第5回目の上演で、2012年9月1日の初上演開始以来通算1200回目となり、それを記念として、すべてのお客様に「県庁通り商店連盟」の提供による賢人のイラストつきオリジナルミニカレンダーをプレゼオントさせていただきました。
場所:佐賀城本丸歴史館 御座間(1-4回目)、ニの間(5回目)
上演演目:
『まるぼうろ』
あらすじ●人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
出演賢人●

大隈重信
(青柳達也)

大木喬任
(谷口善政)

副島種臣
(西正)
観客数126人
※ボランティアスタッフ含む
演出:谷口文章
演技指導:辻恵子
脚本:桜井篤
当日アテンド:能隅亜紀
記録:飯田豊一
撮影:中本英一・飯田豊一
プロデュース:桜井篤
●アンケート結果
アンケート回答人数58(占有率49.6%)
アンケート結果
満足率94.8%
(大変面白かった・・69.0%、面白かった25.9%)
寸劇上演を知っていた・・43%
来館目的が観劇・・・36%
本丸歴史館にはじめて来た・・・34%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・5.0%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです



演技もすばらしく、内容も濃く、その他の説明も面白かったです。男49札幌市
佐賀んもんの心いきを、思い出させるもの。女27みやま市
寒い中お疲れ様でした。また観に来ます。女32唐津市
佐賀の歴史が少しわかった。男67長崎市



「まるぼうろ」さいごにしんみりしました。やさしい心遣いが伝わってきました。今日の劇はとってもすばらしかったです。また見に来たいと思います。女42諫早市
来たの3回目。まるぼうろいい。男9諫早市
歴史が良くわかった。男66諫早市
初めて見ました。まるぼうろに3人の心がかいまみれるように思います。男51久保田町



面白かったし、劇が上手でした。女13佐賀市
演技が上手で、話もおもしろかったです。女14佐賀市
とても演技が上手でした。女13佐賀市
分かりやすい内容。男48久留米市



話が面白かった。男67佐賀市
わかりやすい(笑いもふくめ)。女54久留米市
歴史が良くわかりました。男25埼玉県
佐賀の歴史を面白く分かりやすく上演ありがとう。これからも頑張ってください。女75佐賀市



とちゅうからしか見れなかったけど、とてもおもしろくてよかったです。女12
私も佐賀の人間ですが、佐賀にほこる有名な方々をユーモアをまじえて演じていただいて楽しかった。男45佐賀市
話がわかりやすく感情がこもっていておもしろかった。女54佐賀市
「人の為」その心が県出身の者として、心に染みました。女62福岡市



ことばがむずかしかった。女7鳥栖市
知らなかったことをわかりやすく面白く演じてあったので。女35鳥栖市
佐賀の賢人の事がくわしくわかり又、皆様の劇がじょうずでした。女68鳥栖市
史実を基のお話に加えユーモアありで大変興味深く観覧できました。女59佐賀市



内容が奥深かった。女58白石町
史実をもとにしてのストーリー展開で、内容にすごく感動しました。佐賀出身でよかったと思いました。今NYに住んでいて、今月戻るので、NYにもどってもがんばろうと思いました。女佐賀市
佐賀のくせをまじえて楽しく過ごせました。女60唐津市



よく歴史のことがわかりました。女12唐津市
おもしろかった。男38唐津市
佐賀の知らなかった歴史を知りました。女34佐賀市
佐賀の賢人の事を具体的に説明してありました。女63鳥栖市



まるぼうろの事がすごくわかった。食べたくなった。女37唐津市
まるぼうろの話について聞くことができてよかった。また大木、副島、大隈が幼馴染ということも知れてよかった。男28小城市
以前も「丸ぼうろ」を見せていただきましたが、細かいところがちがっていてよかったです。しばいの中で声をかけられたのははじめてですが、いい思い出になります。男34佐賀市



史実に基づいてお話しているところがよかった。女35大牟田市
まるぼうろのくだりがおもしろかった。男6大牟田市
佐賀の賢人の話を聞いて知る事が出来てよかったです。女38佐賀市
佐賀の偉人の人物のあり方を知りたかった。また来たいです。女75佐賀市




演劇がよかったと思います。男24福岡市
史実にのっての劇だったから。男74佐賀市
演技力がとっても素晴らしすぎる。女55佐賀市
本を読むより、おぼえ方が早い。男71佐賀市

今回で1200回目の上演とは素晴らしい。おめでとうございます。「まるぼうろ」を見たのは2回目だったが、出演する賢人が変わるバージョンがあったとは知らなかった。また見に来てみたい。男50佐賀市

ありがとうございました。
■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。
大隈・副島・江藤・島・殿島は、小学校では必ず習います。男49札幌市
大隈日本のトップだから。男67長崎市
大隈・副島・大木とてもすばらしいことをなしとげたからです。女42諫早市

全員日本のためになったひとだから。男66諫早市
全員佐賀の日本のすてきな8人だと思います。男51久保田町

大木かっこいいから。女14佐賀市

大隈かっこいいから。女13佐賀市
大隈・副島・殿幕末や明治時代に活躍して佐賀を有名にしたから。女12
全員佐賀の方々ですし、今の日本の基礎をつくっていただいた方々なので。男45佐賀市
大隈よく知っていたから。男9鳥栖市
全員人のために尽力されてらっしゃた皆さんの姿にならいたいと思います。女佐賀市
大隈・副島・大木すごいなと思ったから。女12唐津市
大隈・副島・大木この劇に出ていたから。男11唐津市
全員郷土の人だから、親近感があります。女63鳥栖市
大隈他県の人に説明しやすいから。男28小城市



枝吉七賢人の師でもあるが、わかっていないことも多いところ。男34大和町
大隈・枝吉・副島・江藤・島・大木・佐野佐賀そして日本の為に力をつくした人物だから。女75佐賀市
大隈・副島・大木すばらしい結果を残された方々。人間性がすばらしい。女55佐賀市
ありがとうございました。
上演の後には「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンはSAGAレトロ館の黒茶1杯サービスでした。
このクーポンチケットは翌週の日曜日まで使えるので、次週も本丸歴史館にお越しいただいた折りにもお使いいただければと考えております。
今後の上演予定■
1月22日(日)第241日目
『良いではないか。』

【佐野常民、副島種臣、島義勇】
日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
1月29日(日) 第242日目
『酒もってこい』

【大木喬任、江藤新平、島義勇】
八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。
2月5日(日)第243日目
『まるぼうろ』

【大隈重信、大木喬任、副島種臣】
人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
2月12日(日)第244回目
『聞き耳えびす』

【大隈重信、江藤新平、島義勇】
1864年2月某日。上方から佐賀を経て長崎に向かう若き大隈重信。長崎・香焼島の守備隊から佐賀城に急ぐ熱血・島義勇。路上で偶然出会って、熱く論じあう二人の前を、これまた別の怪しい男が走り過ぎる・・・。往来で賑わう長崎街道の牛津宿。春のある日の昼下がりの物語。
2月19日(日)第245日
『良いではないか。』

【佐野常民、副島種臣、島義勇】
日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
2月26日(日)第246日
『おないとし』

【佐野常民、枝吉神陽、島義勇】
漢学や医学、国学に陽明学。「なにものかにならんばっ!」と己が信じる勉学に励み、日夜議論を尽くしていた佐賀鍋島の藩校弘道館の若き俊英、枝吉神陽、島義勇、そして佐野常民。同じ歳の3人が18回目の夏を迎えた1840年天保11年7月のある日。ついに激動の時代の幕開けを告げるある知らせが遠く大陸から届いた・・・。
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
さて、より賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」
という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
数に限りがあるので、売店の陳列には出していませんが、売り子さんにお尋ねすれば、無料でもらえます。
また、JR佐賀駅前の「観光案内所」では、多数ございます。
▼中身が見れます↓
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それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
FACEBOOKページもあります
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)
いつものように最新の佐賀城本丸における定期上演の様子をお客様のアンケートと写真をもとにレポートいたします。
上演:2017年1月15日(日) ※第240日目

第5回目の上演で、2012年9月1日の初上演開始以来通算1200回目となり、それを記念として、すべてのお客様に「県庁通り商店連盟」の提供による賢人のイラストつきオリジナルミニカレンダーをプレゼオントさせていただきました。
場所:佐賀城本丸歴史館 御座間(1-4回目)、ニの間(5回目)
上演演目:
『まるぼうろ』
あらすじ●人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
出演賢人●

大隈重信
(青柳達也)

大木喬任
(谷口善政)

副島種臣
(西正)
観客数126人
※ボランティアスタッフ含む
演出:谷口文章
演技指導:辻恵子
脚本:桜井篤
当日アテンド:能隅亜紀
記録:飯田豊一
撮影:中本英一・飯田豊一
プロデュース:桜井篤
●アンケート結果
アンケート回答人数58(占有率49.6%)
アンケート結果
満足率94.8%
(大変面白かった・・69.0%、面白かった25.9%)
寸劇上演を知っていた・・43%
来館目的が観劇・・・36%
本丸歴史館にはじめて来た・・・34%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・5.0%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです



演技もすばらしく、内容も濃く、その他の説明も面白かったです。男49札幌市
佐賀んもんの心いきを、思い出させるもの。女27みやま市
寒い中お疲れ様でした。また観に来ます。女32唐津市
佐賀の歴史が少しわかった。男67長崎市



「まるぼうろ」さいごにしんみりしました。やさしい心遣いが伝わってきました。今日の劇はとってもすばらしかったです。また見に来たいと思います。女42諫早市
来たの3回目。まるぼうろいい。男9諫早市
歴史が良くわかった。男66諫早市
初めて見ました。まるぼうろに3人の心がかいまみれるように思います。男51久保田町



面白かったし、劇が上手でした。女13佐賀市
演技が上手で、話もおもしろかったです。女14佐賀市
とても演技が上手でした。女13佐賀市
分かりやすい内容。男48久留米市



話が面白かった。男67佐賀市
わかりやすい(笑いもふくめ)。女54久留米市
歴史が良くわかりました。男25埼玉県
佐賀の歴史を面白く分かりやすく上演ありがとう。これからも頑張ってください。女75佐賀市



とちゅうからしか見れなかったけど、とてもおもしろくてよかったです。女12
私も佐賀の人間ですが、佐賀にほこる有名な方々をユーモアをまじえて演じていただいて楽しかった。男45佐賀市
話がわかりやすく感情がこもっていておもしろかった。女54佐賀市
「人の為」その心が県出身の者として、心に染みました。女62福岡市



ことばがむずかしかった。女7鳥栖市
知らなかったことをわかりやすく面白く演じてあったので。女35鳥栖市
佐賀の賢人の事がくわしくわかり又、皆様の劇がじょうずでした。女68鳥栖市
史実を基のお話に加えユーモアありで大変興味深く観覧できました。女59佐賀市



内容が奥深かった。女58白石町
史実をもとにしてのストーリー展開で、内容にすごく感動しました。佐賀出身でよかったと思いました。今NYに住んでいて、今月戻るので、NYにもどってもがんばろうと思いました。女佐賀市
佐賀のくせをまじえて楽しく過ごせました。女60唐津市



よく歴史のことがわかりました。女12唐津市
おもしろかった。男38唐津市
佐賀の知らなかった歴史を知りました。女34佐賀市
佐賀の賢人の事を具体的に説明してありました。女63鳥栖市



まるぼうろの事がすごくわかった。食べたくなった。女37唐津市
まるぼうろの話について聞くことができてよかった。また大木、副島、大隈が幼馴染ということも知れてよかった。男28小城市
以前も「丸ぼうろ」を見せていただきましたが、細かいところがちがっていてよかったです。しばいの中で声をかけられたのははじめてですが、いい思い出になります。男34佐賀市



史実に基づいてお話しているところがよかった。女35大牟田市
まるぼうろのくだりがおもしろかった。男6大牟田市
佐賀の賢人の話を聞いて知る事が出来てよかったです。女38佐賀市
佐賀の偉人の人物のあり方を知りたかった。また来たいです。女75佐賀市




演劇がよかったと思います。男24福岡市
史実にのっての劇だったから。男74佐賀市
演技力がとっても素晴らしすぎる。女55佐賀市
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今回で1200回目の上演とは素晴らしい。おめでとうございます。「まるぼうろ」を見たのは2回目だったが、出演する賢人が変わるバージョンがあったとは知らなかった。また見に来てみたい。男50佐賀市

ありがとうございました。
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大隈・副島・江藤・島・殿島は、小学校では必ず習います。男49札幌市
大隈日本のトップだから。男67長崎市
大隈・副島・大木とてもすばらしいことをなしとげたからです。女42諫早市

全員日本のためになったひとだから。男66諫早市
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枝吉七賢人の師でもあるが、わかっていないことも多いところ。男34大和町
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1月22日(日)第241日目
『良いではないか。』

【佐野常民、副島種臣、島義勇】
日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
1月29日(日) 第242日目
『酒もってこい』

【大木喬任、江藤新平、島義勇】
八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。
2月5日(日)第243日目
『まるぼうろ』

【大隈重信、大木喬任、副島種臣】
人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
2月12日(日)第244回目
『聞き耳えびす』

【大隈重信、江藤新平、島義勇】
1864年2月某日。上方から佐賀を経て長崎に向かう若き大隈重信。長崎・香焼島の守備隊から佐賀城に急ぐ熱血・島義勇。路上で偶然出会って、熱く論じあう二人の前を、これまた別の怪しい男が走り過ぎる・・・。往来で賑わう長崎街道の牛津宿。春のある日の昼下がりの物語。
2月19日(日)第245日
『良いではないか。』

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日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
2月26日(日)第246日
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【佐野常民、枝吉神陽、島義勇】
漢学や医学、国学に陽明学。「なにものかにならんばっ!」と己が信じる勉学に励み、日夜議論を尽くしていた佐賀鍋島の藩校弘道館の若き俊英、枝吉神陽、島義勇、そして佐野常民。同じ歳の3人が18回目の夏を迎えた1840年天保11年7月のある日。ついに激動の時代の幕開けを告げるある知らせが遠く大陸から届いた・・・。
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
さて、より賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」
という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
数に限りがあるので、売店の陳列には出していませんが、売り子さんにお尋ねすれば、無料でもらえます。
また、JR佐賀駅前の「観光案内所」では、多数ございます。
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それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
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「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)
2017年01月16日
今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
今年2017年が明治維新150年のプレイアーです。
八賢人おもてなし隊の活動などで、幕末・維新の佐賀の歴史をもっと知りたいという声を多くいただいておりますので
各種文献を2年の歳月を費やして調べて完成した「今日は何の日?佐賀暦365日」を初公開いたします。
半月単位で掲載させていただきます。
賢人を多く輩出した佐賀だからこそ、毎日が何かの記念日になっておりますね!
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の写真とともにお楽しみください
(下記データは、すべて魅力発掘プロデュース協会調べ。出展元は各エピソード単位で明記しています。1872年までは旧暦対応)
「今日は何の日 佐賀暦 1月16日~1月31日)
なんと、鍋島直正さんと、副島種臣さんのご命日がこの半月にございます。
掲載は、「日にち、時代、年号、エピソードの対象人物 エピソード、出展元(掲載ページ)」 の順で記載しています。

▲精錬方の活躍を描いた歴史寸劇「喜鵲(かちがらす)」より 鍋島直正
1月16日江戸時代末期1859安政6鍋島直正鍋島直正、佐賀藩精錬方が火薬の製造開始。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
1月16日明治時代1874明治7"中島鼎蔵 山田平蔵 生田源八 櫛山叙臣"
佐賀の征韓党の4人が上京。征韓論が決裂したため参儀を辞職していた副島種臣、江藤新平らに会い行った報告を、佐賀に戻りおこなった。元町の宿屋小松屋に70数人の同志が集まり、江藤がちかじか帰国することが報告され気勢が上がった。郷土史に輝く人びと P127

▲脱藩の罪で永蟄居になっていた頃の江藤を描いた歴史寸劇「聞き耳えびす」のヒトコマ
1月17日江戸時代末期1864元治元年江藤新平
この日、脱藩の罪で永蟄居となっていた江藤新平が、山内大野へ蟄居先を移したらしい(大木喬任の日記から推定)佐賀偉人伝「江藤新平」P29
1月17日明治時代1869明治2相良知安
相良知安が新政府の医学校御取立につき、取調御用掛に任じられる。(医学校を作る責任者)郷土史に輝く人びと P276
1月17日明治時代1873明治6佐野常民
博覧会事務副総裁となって多忙を極めていた佐野常民の灯台頭の兼務がとかれる。日赤の創始者 佐野常民 P53
1月17日江戸時代末期1874明治7副島種臣、江藤新平
民撰議院設立建白書を左院に提出(板垣退助(前参議)、後藤象二郎(前参議)、江藤新平(前参議)、副島種臣(前参議)、由利公正(前東京府知事)、岡本健三郎(前大蔵大丞)、および起草者の古沢滋、小室信夫の8名)。政府の有司専制を批判し、「納税者は政治に関係する権理がある」と主張したが、時期尚早とした大久保利通は建白者らを徹底的に批判した。「副島種臣と明治国家」P21

▲人生は125年と、副島を勇気づける大隈重信。歴史寸劇「あの夜のままで。」より
1月17日大正時代1922大正11大隈重信350万人 国民葬 日比谷公園
1月18日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"少弐冬尚の命で龍造寺軍が昨年より包囲していた多久の梶峰城を陥落させる。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
1月18日室町時代1546天文15"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"少弐冬尚が龍造寺宗家の胤栄を村中城を攻めて追い落とす。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P78

▲隠居して閑叟と名乗った鍋島直正(歴史寸劇「茶飲みにこんか?」のヒトコマ)
1月18日明治時代1871明治4鍋島直正
"前10代鍋島藩 藩主 鍋島直正 東京の永田町の自宅にて朝6時頃 死去 58歳。
(21日に古川松根が殉死)"郷土史に輝く人びと
1月19日江戸時代末期1857安政4鍋島直正
鍋島直正が江戸から「佐賀藩のみ格別の訳をもって、月次献上物を5ヶ年間免除すること」とお達しを受ける。幕末の鍋島佐賀藩 P190

▲お菓子をすべて食べているところを見つかった江藤新平(歴史寸劇「茶飲みにこんか?」のヒトコマ)
1月19日明治時代1874明治7江藤新平
江藤新平 帰郷のために嬉野温泉に滞在中、東京から後をつけてきた政府密偵に 発見される。大木喬任年譜考 P178
1月20日安土桃山時代1576天正4龍造寺隆信
龍造寺隆信が、島原の日野江原城主有馬晴信(仙岩)討伐の評定を開く。隆信はすぐに攻略することを主張したが直茂が慎重論を説き、結果、元蒲田江城主の犬塚弾正と芦刈の徳島左馬助信盛を先発隊として敵情視察をさせることに決定。両名は藤津郡森というところへ要塞を築き、有馬と対峙することになる。「風雲 肥前戦国武将史」 P72
1月20日安土桃山時代1577天正5龍造寺隆信
龍造寺隆信が、ちょうど一年前から有馬と対峙していた元蒲田江城主の犬塚弾正と芦刈の徳島左馬助信盛(藤津郡森の要塞)から報告を受け、ついに、1万余騎をもって、須古高城を出て藤津に向う。(浜の松丘城、高津原の鷲巣城を落とす)「風雲 肥前戦国武将史」 P73
1月20日明治時代1869明治2鍋島直正
鍋島直正が版籍奉還を薩長土の3藩主と連盟で奉じる。幕末維新と佐賀藩 P117
1月21日室町時代1545天文14龍造寺隆信
龍造寺隆信が徳島盛秀と戦う(小城郡芦刈町浜中)「陣ノ森の戦い」徳島軍敗退。地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)中 佐賀県2 P439
1月21日江戸時代初期1612慶長17鍋島藩
岡本大八事件の結論がでる。大八は火あぶり処刑。(有馬晴信に、「有馬氏の旧領で、今は鍋島領となっている藤津・杵島・彼杵三郡を家康が今回の恩賞として晴信に与えようと考えているらしい」と偽言を策し、大金をだましとる)佐賀県史(中巻) 年表
1月21日明治時代1871明治4鍋島藩
前10代鍋島藩主鍋島直正が東京永田町の自宅にて17日に死去したのを受けて、古川松根が殉死。郷土史に輝く人びと
1月22日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"1544年より少弐冬尚の命で有馬討伐を行なっていた龍造寺だが多大な犠牲を払って逆に水ヶ江城を有馬軍に包囲される。この日、馬場頼周の助言によるいったん水ヶ江城を開城する。(鍋島清房と龍造寺純家は馬場の助言を怪しんで反対したが聞き入れられず)史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P74
1月22日江戸時代末期1854安政元鍋島直正
幕府、直正の諸公務を免除、長崎警備専任を任命。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
1月23日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"有馬軍に包囲され、昨日水ヶ江城を開城した龍造寺一門、それぞれ落ちていく(剛忠は孫の鑑兼を頼り筑後へ。家純・家門・純家は筑前へ。周家・家泰・頼純は勢福寺城の少弐冬尚のもとへ陳謝のため向う。→夜)家純らは川上の淀姫神社に宿営中、馬場頼周の子・政員と神代勝利に攻められ、全員討ち死。純家は社殿の板とびらに小指を噛み切って血書を残す。(「山遠雲埋(二)行客跡(一)。松寒風破(二)旅人夢一)」)彼が楯とした岩が屏風岩として現存。・勢福寺城に向かった周家・家泰・頼純らは山伏を案内人として神埼郡尾崎の祇園原に差し掛か"史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P74「風雲 肥前戦国武将史」 P45"
1月23日江戸時代中期1788天明8古賀侗庵誕生
枝吉神陽先生遺稿 巻末年表
1月23日江戸時代末期1842天保13鍋島直正
蒲池直與(なおとも)が隠居したい旨を鍋島直正に告げるが許されず。(1845年になり隠居なる)幕末の鍋島佐賀藩 P98
1月23日江戸時代末期1854安政元鍋島直正
1月15日に新砲台(長崎)を見学した幕府、ロシア使節応接掛一行、反射炉見学のために来佐。郷土史に輝く人びと P48

▲佐野常民が三重津に海軍所作りを命令されたことを知った、蝦夷地探検から帰った来たばかりの島義勇は・・・(歴史寸劇「蝶よ、渡れ」より
1月23日江戸時代末期1858安政5鍋島直正
鍋島直正、佐賀藩三重津に御船手稽古所(海軍学校)を仮設。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
1月23日明治時代1869明治2鍋島直正
鍋島直正、佐賀藩他3藩連署の版籍奉還の上表書を奉呈。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
1月23日明治時代1871明治4鍋島直正
1月18日に永眠した鍋島直正、この日、正二位を贈られる。郷土史に輝く人びと P50
1月24日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"勢福寺城に向かった周家・家泰・頼純らは23日は和泉村の玉泉坊で一夜を明かし翌朝山伏を案内人として神埼郡尾崎の祇園原に差し掛かった6時頃に頼周の家人・薬王寺隼人允および神代勝利を大将とする伏兵に攻められ8時頃には全員討たれてしまう。(日は不詳とあるが、「風雲 肥前戦国武将史45Pでは翌24日とある)。「風雲 肥前戦国武将史」 45P
1月24日江戸時代初期1621元和7鍋島勝茂
江戸鍋島屋敷類焼。ネット年表

▲正義の司法卿 江藤新平(歴史寸劇「さがんもん」より)
1月24日明治時代1873明治6江藤新平
司法卿江藤新平、事業領域の拡大に沿って、予算を申請するも、逆に大蔵次官井上かおるに(卿の大久保は訪外中)昨年より削減されたことに怒り、辞表を提出。大木喬任年譜考 P149

▲渡航のたびに視野を広げた佐野はやがて・・・(歴史寸劇「良いではないか?」より)
1月25日明治時代1873明治6佐野常民
佐野常民が博覧会事務副総裁としてオーストリアに渡航する前に、国内において明治10年には大博覧会を開催すべき旨を上申した。日赤の創始者 佐野常民 P55

▲佐賀の乱を扱った歴史寸劇「さがんもん」より
1月25日明治時代1874明治7江藤新平
江藤新平が佐賀に帰り、八丁馬場にある清涼亭に宿をとる。江藤新平と明治維新 P283
1月25日明治時代1892明治25年久米邦武
「史学会雑誌」に昨年3月31日に発表された論文「神道は祭天の古俗」を。が「史海」に転載され、内容が神道家らの議論を呼ぶ久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表

▲カリスマ 枝吉神陽 日本の「学」の頂点に立つ(歴史寸劇「おないとし」より)
1月26日江戸時代末期1848嘉永元枝吉神陽
枝吉神陽が江戸、昌平坂学問所書生寮にて舎長を命じられる。学問および人となりが、昌平坂に集まった当時の俊鋭の中でも群を抜いていた。楠公義祭同盟 P91
1月26日江戸時代末期1849嘉永2鍋島直正
幕府が長崎(伊王島・神ノ島)砲台築造を否決。

▲精煉方で蒸気機関作りに命をかける佐野常民と田中からくり儀右衛門(歴史寸劇「喜鵲(かちがらす)」より)
1月26日江戸時代末期1858安政5佐野常民
佐野常民が、京都の中林奇輔を招聘して精煉方に住まわせる。他にもこの時に但馬の石黒寛次、からくり田中儀衛門(父子)らを佐賀に連れて帰った。われらの郷土 昔の今日 ○月の巻
1月27日江戸時代後期1758宝歴8鍋島宗教
鍋島宗教が杵島郡白石山に恒例の御狩を催す。多久から、猟犬と士卒が出される。多久の犬は当時すこぶる優秀であったと葉隠に書かれている。われらの郷土 昔の今日3月の巻
1月27日江戸時代末期1848弘化枝吉神陽
枝吉神陽(27歳)が、江戸昌平坂学問所の舎長になる枝吉神陽先生遺稿 巻末年表

▲大隈重信と最晩年の大木喬任 (歴史寸劇「まるぼうろ」のヒトコマ)
1月27日明治時代1888明治21大隈重信 大木喬任
大隈重信に元老院議長大木が入閣条件の撤回を勧める。歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信
1月27日明治時代1888明治21大隈重信
大隈重信が伊藤首相邸にて黒田清隆と会談、略略入閣のことを決する。歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信
1月28日江戸時代初期1635寛永12鍋島忠直
鍋島忠直(勝茂の嫡子) 23歳で没。※天然痘 追腹4人佐賀県史(上) P177
1月28日江戸時代末期1839天保10鍋島直正
鍋島直正の父、斉直が江戸で死去(60歳)。幕末の鍋島佐賀藩 P84
1月28日江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
幕府大目付永井尚志(なおゆき)が佐賀来訪。慶喜の書面を直正に渡した。直正は松原神社の東北方向の現在の欄干橋のところにあって、使節の応接用によく使われた欄干茶屋で面会した。対談の中で、幕府がもはや維持できないことを悟る。大隈重信(大園隆二郎著) P162

▲船の中で岩村高俊らと大喧嘩をしたことがきっかけで、反政府側となり、江藤とともに戦う島義勇(歴史寸劇「さがんもん」より)
1月28日明治時代1874明治7江藤新平
大久保利通、佐賀県令に岩村高俊を任命。幕末維新と佐賀藩 P192
1月29日明治時代1872明治5江藤新平
江藤新平が、卒身分を廃止する。江藤新平と明治維新 P222
1月30日江戸時代末期1867慶応3鍋島直正鍋島直正が、佐賀滞在中の幕府大目付永井尚志(なおゆき)に会い、一昨日に聞いた話の回答を述べる。病気平癒次第上京して慶喜と面談することを約束。われらの郷土 昔の今日 ○月の巻


▲大の相撲好きだった副島種臣。棺は名横綱常陸山が背負った
1月31日明治時代1905明治38副島種臣
副島種臣 没(78歳)。佐賀市史その3 年表
以上です。
八賢人おもてなし隊の活動などで、幕末・維新の佐賀の歴史をもっと知りたいという声を多くいただいておりますので
各種文献を2年の歳月を費やして調べて完成した「今日は何の日?佐賀暦365日」を初公開いたします。
半月単位で掲載させていただきます。
賢人を多く輩出した佐賀だからこそ、毎日が何かの記念日になっておりますね!
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の写真とともにお楽しみください
(下記データは、すべて魅力発掘プロデュース協会調べ。出展元は各エピソード単位で明記しています。1872年までは旧暦対応)
「今日は何の日 佐賀暦 1月16日~1月31日)
なんと、鍋島直正さんと、副島種臣さんのご命日がこの半月にございます。
掲載は、「日にち、時代、年号、エピソードの対象人物 エピソード、出展元(掲載ページ)」 の順で記載しています。

▲精錬方の活躍を描いた歴史寸劇「喜鵲(かちがらす)」より 鍋島直正
1月16日江戸時代末期1859安政6鍋島直正鍋島直正、佐賀藩精錬方が火薬の製造開始。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
1月16日明治時代1874明治7"中島鼎蔵 山田平蔵 生田源八 櫛山叙臣"
佐賀の征韓党の4人が上京。征韓論が決裂したため参儀を辞職していた副島種臣、江藤新平らに会い行った報告を、佐賀に戻りおこなった。元町の宿屋小松屋に70数人の同志が集まり、江藤がちかじか帰国することが報告され気勢が上がった。郷土史に輝く人びと P127

▲脱藩の罪で永蟄居になっていた頃の江藤を描いた歴史寸劇「聞き耳えびす」のヒトコマ
1月17日江戸時代末期1864元治元年江藤新平
この日、脱藩の罪で永蟄居となっていた江藤新平が、山内大野へ蟄居先を移したらしい(大木喬任の日記から推定)佐賀偉人伝「江藤新平」P29
1月17日明治時代1869明治2相良知安
相良知安が新政府の医学校御取立につき、取調御用掛に任じられる。(医学校を作る責任者)郷土史に輝く人びと P276
1月17日明治時代1873明治6佐野常民
博覧会事務副総裁となって多忙を極めていた佐野常民の灯台頭の兼務がとかれる。日赤の創始者 佐野常民 P53
1月17日江戸時代末期1874明治7副島種臣、江藤新平
民撰議院設立建白書を左院に提出(板垣退助(前参議)、後藤象二郎(前参議)、江藤新平(前参議)、副島種臣(前参議)、由利公正(前東京府知事)、岡本健三郎(前大蔵大丞)、および起草者の古沢滋、小室信夫の8名)。政府の有司専制を批判し、「納税者は政治に関係する権理がある」と主張したが、時期尚早とした大久保利通は建白者らを徹底的に批判した。「副島種臣と明治国家」P21

▲人生は125年と、副島を勇気づける大隈重信。歴史寸劇「あの夜のままで。」より
1月17日大正時代1922大正11大隈重信350万人 国民葬 日比谷公園
1月18日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"少弐冬尚の命で龍造寺軍が昨年より包囲していた多久の梶峰城を陥落させる。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
1月18日室町時代1546天文15"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"少弐冬尚が龍造寺宗家の胤栄を村中城を攻めて追い落とす。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P78

▲隠居して閑叟と名乗った鍋島直正(歴史寸劇「茶飲みにこんか?」のヒトコマ)
1月18日明治時代1871明治4鍋島直正
"前10代鍋島藩 藩主 鍋島直正 東京の永田町の自宅にて朝6時頃 死去 58歳。
(21日に古川松根が殉死)"郷土史に輝く人びと
1月19日江戸時代末期1857安政4鍋島直正
鍋島直正が江戸から「佐賀藩のみ格別の訳をもって、月次献上物を5ヶ年間免除すること」とお達しを受ける。幕末の鍋島佐賀藩 P190

▲お菓子をすべて食べているところを見つかった江藤新平(歴史寸劇「茶飲みにこんか?」のヒトコマ)
1月19日明治時代1874明治7江藤新平
江藤新平 帰郷のために嬉野温泉に滞在中、東京から後をつけてきた政府密偵に 発見される。大木喬任年譜考 P178
1月20日安土桃山時代1576天正4龍造寺隆信
龍造寺隆信が、島原の日野江原城主有馬晴信(仙岩)討伐の評定を開く。隆信はすぐに攻略することを主張したが直茂が慎重論を説き、結果、元蒲田江城主の犬塚弾正と芦刈の徳島左馬助信盛を先発隊として敵情視察をさせることに決定。両名は藤津郡森というところへ要塞を築き、有馬と対峙することになる。「風雲 肥前戦国武将史」 P72
1月20日安土桃山時代1577天正5龍造寺隆信
龍造寺隆信が、ちょうど一年前から有馬と対峙していた元蒲田江城主の犬塚弾正と芦刈の徳島左馬助信盛(藤津郡森の要塞)から報告を受け、ついに、1万余騎をもって、須古高城を出て藤津に向う。(浜の松丘城、高津原の鷲巣城を落とす)「風雲 肥前戦国武将史」 P73
1月20日明治時代1869明治2鍋島直正
鍋島直正が版籍奉還を薩長土の3藩主と連盟で奉じる。幕末維新と佐賀藩 P117
1月21日室町時代1545天文14龍造寺隆信
龍造寺隆信が徳島盛秀と戦う(小城郡芦刈町浜中)「陣ノ森の戦い」徳島軍敗退。地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)中 佐賀県2 P439
1月21日江戸時代初期1612慶長17鍋島藩
岡本大八事件の結論がでる。大八は火あぶり処刑。(有馬晴信に、「有馬氏の旧領で、今は鍋島領となっている藤津・杵島・彼杵三郡を家康が今回の恩賞として晴信に与えようと考えているらしい」と偽言を策し、大金をだましとる)佐賀県史(中巻) 年表
1月21日明治時代1871明治4鍋島藩
前10代鍋島藩主鍋島直正が東京永田町の自宅にて17日に死去したのを受けて、古川松根が殉死。郷土史に輝く人びと
1月22日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"1544年より少弐冬尚の命で有馬討伐を行なっていた龍造寺だが多大な犠牲を払って逆に水ヶ江城を有馬軍に包囲される。この日、馬場頼周の助言によるいったん水ヶ江城を開城する。(鍋島清房と龍造寺純家は馬場の助言を怪しんで反対したが聞き入れられず)史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P74
1月22日江戸時代末期1854安政元鍋島直正
幕府、直正の諸公務を免除、長崎警備専任を任命。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
1月23日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"有馬軍に包囲され、昨日水ヶ江城を開城した龍造寺一門、それぞれ落ちていく(剛忠は孫の鑑兼を頼り筑後へ。家純・家門・純家は筑前へ。周家・家泰・頼純は勢福寺城の少弐冬尚のもとへ陳謝のため向う。→夜)家純らは川上の淀姫神社に宿営中、馬場頼周の子・政員と神代勝利に攻められ、全員討ち死。純家は社殿の板とびらに小指を噛み切って血書を残す。(「山遠雲埋(二)行客跡(一)。松寒風破(二)旅人夢一)」)彼が楯とした岩が屏風岩として現存。・勢福寺城に向かった周家・家泰・頼純らは山伏を案内人として神埼郡尾崎の祇園原に差し掛か"史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P74「風雲 肥前戦国武将史」 P45"
1月23日江戸時代中期1788天明8古賀侗庵誕生
枝吉神陽先生遺稿 巻末年表
1月23日江戸時代末期1842天保13鍋島直正
蒲池直與(なおとも)が隠居したい旨を鍋島直正に告げるが許されず。(1845年になり隠居なる)幕末の鍋島佐賀藩 P98
1月23日江戸時代末期1854安政元鍋島直正
1月15日に新砲台(長崎)を見学した幕府、ロシア使節応接掛一行、反射炉見学のために来佐。郷土史に輝く人びと P48

▲佐野常民が三重津に海軍所作りを命令されたことを知った、蝦夷地探検から帰った来たばかりの島義勇は・・・(歴史寸劇「蝶よ、渡れ」より
1月23日江戸時代末期1858安政5鍋島直正
鍋島直正、佐賀藩三重津に御船手稽古所(海軍学校)を仮設。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
1月23日明治時代1869明治2鍋島直正
鍋島直正、佐賀藩他3藩連署の版籍奉還の上表書を奉呈。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
1月23日明治時代1871明治4鍋島直正
1月18日に永眠した鍋島直正、この日、正二位を贈られる。郷土史に輝く人びと P50
1月24日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"勢福寺城に向かった周家・家泰・頼純らは23日は和泉村の玉泉坊で一夜を明かし翌朝山伏を案内人として神埼郡尾崎の祇園原に差し掛かった6時頃に頼周の家人・薬王寺隼人允および神代勝利を大将とする伏兵に攻められ8時頃には全員討たれてしまう。(日は不詳とあるが、「風雲 肥前戦国武将史45Pでは翌24日とある)。「風雲 肥前戦国武将史」 45P
1月24日江戸時代初期1621元和7鍋島勝茂
江戸鍋島屋敷類焼。ネット年表

▲正義の司法卿 江藤新平(歴史寸劇「さがんもん」より)
1月24日明治時代1873明治6江藤新平
司法卿江藤新平、事業領域の拡大に沿って、予算を申請するも、逆に大蔵次官井上かおるに(卿の大久保は訪外中)昨年より削減されたことに怒り、辞表を提出。大木喬任年譜考 P149

▲渡航のたびに視野を広げた佐野はやがて・・・(歴史寸劇「良いではないか?」より)
1月25日明治時代1873明治6佐野常民
佐野常民が博覧会事務副総裁としてオーストリアに渡航する前に、国内において明治10年には大博覧会を開催すべき旨を上申した。日赤の創始者 佐野常民 P55

▲佐賀の乱を扱った歴史寸劇「さがんもん」より
1月25日明治時代1874明治7江藤新平
江藤新平が佐賀に帰り、八丁馬場にある清涼亭に宿をとる。江藤新平と明治維新 P283
1月25日明治時代1892明治25年久米邦武
「史学会雑誌」に昨年3月31日に発表された論文「神道は祭天の古俗」を。が「史海」に転載され、内容が神道家らの議論を呼ぶ久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表

▲カリスマ 枝吉神陽 日本の「学」の頂点に立つ(歴史寸劇「おないとし」より)
1月26日江戸時代末期1848嘉永元枝吉神陽
枝吉神陽が江戸、昌平坂学問所書生寮にて舎長を命じられる。学問および人となりが、昌平坂に集まった当時の俊鋭の中でも群を抜いていた。楠公義祭同盟 P91
1月26日江戸時代末期1849嘉永2鍋島直正
幕府が長崎(伊王島・神ノ島)砲台築造を否決。

▲精煉方で蒸気機関作りに命をかける佐野常民と田中からくり儀右衛門(歴史寸劇「喜鵲(かちがらす)」より)
1月26日江戸時代末期1858安政5佐野常民
佐野常民が、京都の中林奇輔を招聘して精煉方に住まわせる。他にもこの時に但馬の石黒寛次、からくり田中儀衛門(父子)らを佐賀に連れて帰った。われらの郷土 昔の今日 ○月の巻
1月27日江戸時代後期1758宝歴8鍋島宗教
鍋島宗教が杵島郡白石山に恒例の御狩を催す。多久から、猟犬と士卒が出される。多久の犬は当時すこぶる優秀であったと葉隠に書かれている。われらの郷土 昔の今日3月の巻
1月27日江戸時代末期1848弘化枝吉神陽
枝吉神陽(27歳)が、江戸昌平坂学問所の舎長になる枝吉神陽先生遺稿 巻末年表

▲大隈重信と最晩年の大木喬任 (歴史寸劇「まるぼうろ」のヒトコマ)
1月27日明治時代1888明治21大隈重信 大木喬任
大隈重信に元老院議長大木が入閣条件の撤回を勧める。歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信
1月27日明治時代1888明治21大隈重信
大隈重信が伊藤首相邸にて黒田清隆と会談、略略入閣のことを決する。歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信
1月28日江戸時代初期1635寛永12鍋島忠直
鍋島忠直(勝茂の嫡子) 23歳で没。※天然痘 追腹4人佐賀県史(上) P177
1月28日江戸時代末期1839天保10鍋島直正
鍋島直正の父、斉直が江戸で死去(60歳)。幕末の鍋島佐賀藩 P84
1月28日江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
幕府大目付永井尚志(なおゆき)が佐賀来訪。慶喜の書面を直正に渡した。直正は松原神社の東北方向の現在の欄干橋のところにあって、使節の応接用によく使われた欄干茶屋で面会した。対談の中で、幕府がもはや維持できないことを悟る。大隈重信(大園隆二郎著) P162

▲船の中で岩村高俊らと大喧嘩をしたことがきっかけで、反政府側となり、江藤とともに戦う島義勇(歴史寸劇「さがんもん」より)
1月28日明治時代1874明治7江藤新平
大久保利通、佐賀県令に岩村高俊を任命。幕末維新と佐賀藩 P192
1月29日明治時代1872明治5江藤新平
江藤新平が、卒身分を廃止する。江藤新平と明治維新 P222
1月30日江戸時代末期1867慶応3鍋島直正鍋島直正が、佐賀滞在中の幕府大目付永井尚志(なおゆき)に会い、一昨日に聞いた話の回答を述べる。病気平癒次第上京して慶喜と面談することを約束。われらの郷土 昔の今日 ○月の巻


▲大の相撲好きだった副島種臣。棺は名横綱常陸山が背負った
1月31日明治時代1905明治38副島種臣
副島種臣 没(78歳)。佐賀市史その3 年表
以上です。
2017年01月12日
「あの夜のままで。」★2017年1月8日 佐賀城本丸歴史館
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のブログをご覧になっていただき誠にありがとうございます。
いつものように最新の佐賀城本丸における定期上演の様子をお客様のアンケートと写真をもとにレポートいたします。
上演:2017年1月8日(日) ※第239日目
場所:佐賀城本丸歴史館 四の間(1-3,5回目)、御座間(4回目)
上演演目『あの夜のままで。』
あらすじ●人は誰でも不遇の時がある。足軽鉄砲隊に身をやつした佐賀藩一の秀才、副島種臣、37歳。再生を促したのは、幼馴染みのあの男のひとことだった・・・。
出演賢人●

副島種臣
(西正)

大隈重信
(青柳達也)

島義勇
(谷口文章)
観客数150人
※ボランティアスタッフ含む
演出:谷口文章
演技指導:辻恵子
脚本:桜井篤
当日アテンド:飯田豊一
記録:飯田豊一
撮影:中本英一・飯田豊一
プロデュース:桜井篤
●アンケート結果
アンケート回答人数77(占有率54.6%)
アンケート結果
満足率98.7%
(大変面白かった・・71.4%、面白かった27.3%)
寸劇上演を知っていた・・44%
来館目的が観劇・・・32%
本丸歴史館にはじめて来た・・・43%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・12.5%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです。

わかりやすい内容で、おもしろい劇でした。女58
劇がわかりやすかったから。男14多久市
インパクトががあった。内容が分かりやすかった。男13多久市
事実を基に寸劇を作られていておもしろかったです。女50多久市
大隈と副島が出会い、致遠館を創った話。男55小城市
初めて見ました。副島種臣の気持ちがわかって、たいへんたのしく見させていただきました。男50久保田町



よくわかった。男59鹿島市
動きがおおきくて分かりやすかった(声も)。もっと歴史を深く知れた。女12小城市
臨場感とアドリブを交えて。男58鹿児島県
中西君が元気でなによりです。男39鳥栖市
感動した。女10佐賀市
20分間の短い時間で、登場人物も3人と少なくて憶えやすくて良かったです。男23



賢人の活躍がよくわかりました。とてもエネルギッシュな演技になんだか感動しました。女56佐賀市
わかりやすく良かった。男52宇部市
上手だったから。子供にもわかりやすかったから。女48宇部市
偉大な方々について、楽しみながら学ぶことができたからです。男22大阪市
解りやすかった、歴史のうらがわ。女50熊本市
声がよく通り、迫力がありました。女59福岡市



お客様をまきこんでの劇が良かった。女47唐津市
分かりやすくしていたので、よかったし、おもしろかったです。女10唐津市
新年から元気をもらい、今年も良い年になれますように。女60諸富町
佐賀の歴史にふれられた。男51佐賀市
笑い有、学びあり、とても面白い舞台でした。女35糸島市
最後の友情の話し、不遇の3年。どれも胸に迫るものがあり、涙が出ました。以前よりもすごく分かりやすく、おもしろくなったようで、そのご努力にも感動しました。女45佐賀市



歴史の一端がよくわかりました。4月以降も是非続けていただきたいと思いました。男45佐賀市
寸劇により、時代を把握する事ができました。女61佐賀市
知らなかった。68大分市
御苦労様です。5年前に観劇していますが、劇進行を役者自ら語って進行するのは良いのですが、話の内容自体荒っぽいので、女性の歴史上人物の進行で進めれば、劇として楽しいのですが。小城市
とても印象に残った。私は歴史の勉強は苦手だけど、とても楽しかった。女13佐賀市



元気良く、史実に基づいたところがおもしろかった。女63佐賀市
今後も続けてほしいです。男66佐賀市
観客を巻き込んだ内容。名前だけは知っていた(島・副島)二人の活躍が知れた。男50白石町
臨場感があって、とても面白かった。分かりやすい内容で勉強になりました。女33佐賀市
不自由(聞こえないですが)身ぶり表示も良かったでした。男54伊万里市
史実にそった話で良い。男57福岡市



歴史の勉強をされて、史実に基づき演じて、クオリティが高い。女54福岡市
島さんの「ひまですー」がかわいそうだった。女5久留米市
わかりやすい。時々入る笑い。男34武雄市
歴史の中にユーモアもあり楽しかった。男37山口市
偉人について、具体的でわかりやすかったです。女佐世保市
内容、あきさせない演出があった。男43佐賀市



ポイントを押さえた内容で分かり易かった。男43神埼市
声量も大きく、わかりやすかったです。男22北九州市
賢人の偉業と共に友情や佐賀への思いも伝わって、とても胸が熱くなりました。女32佐賀市
役者さんが3人共個性的でイキイキしていた。女55福岡市
声が大きくて分かりやすい。女9山口市
すもうのところ。女7神埼市
とても分かりやすく、子供達もたのしそうでした。女42神埼市
とてもわかりやすく、とたも面白い内容でした。これからも是非活動を続けて頂けると嬉しいです。女42佐賀市
とてもわかりやすくて、おもしろかった。女6佐賀市
みなさんが、分かりやすく説明してくださったから。女9神埼市
おすもう。女5柳川市
知らない事も多く、新しい知識が増えました。男40長崎市
知らないことがたくさん知れたから。女佐賀市
うすら聞きおぼえのある人もでてきましたので。女54佐世保市
ありがとうございました。
■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。
全員それぞれの個性がステキです。女58
全員日本を作った人たちだから。男50久保田町
枝吉、副島、佐野日本のためにすごく頑張っているから(他の賢人もだけど)女12小城市

副島かっこいい。男30鳥栖市
大隈知っていたから。男52熊本市
大隈・江藤明治政府の基礎を築いた人たちなので。女59福岡市
大隈・副島皆、好きだと思います。熱い志があり、友情があり、すばらしい方々だと思います。また見たいので、ぜひ活動を続けてください。女45佐賀市
大隈・副島・殿・佐野佐賀の歴史に関わった人として昔からよく知られている。8賢人の事も今後学びたいですね。男40佐賀市
全員現在の佐賀を築いていただいた方々だと思います。女61佐賀市
副島旧姓、副島です。女26京都市

島学校で4コマをつくるとき、島義勇をかいたから。男10佐賀市

江藤佐賀の乱での活躍。男50白石町
大隈・副島・江藤日本を変えた人。男57福岡市
大隈・副島・江藤・島劇を見てから。女54福岡市

全員みんなだいすきだよ。女5久留米市
大隈・副島書道がすばらしい。女42佐賀市
全員とてもすごい人だから。男11佐賀市
副島かっこいいからです。女佐賀市

大隈大学をつくった人。女71唐津市
大隈・副島・島今日の演者なので。男34武雄市
江藤兵部さん(孫)と一緒に仕事した事があるから。男43神埼市
島熱くてカッコイイです。女32佐賀市
副島1月8日の演目だったから。男55小郡市
大隈・副島佐賀を代表する偉大な人だから。女42佐賀市

殿名君として様々なことをされた方なので。女佐賀市
ありがとうございました。
上演の後には、「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日は新年のお年玉としてダブルクーポン(2種類)でした。
一枚は、本日の演劇にも触れられた義祭同盟に関連する義祭弁当の割引クーポン。
義祭同盟の集会場となった龍造寺八幡神社の門前通り「県庁通り商店街」にある林檎亭さんで作られています。

▲包みも楽しい賢人のイラストと食のエピソードつき

▲大隈の好物「まるぼうろ」や、島の「じゃがいも」、副島の「叉焼の味噌漬け」など。
こちらはユマニテ佐賀さんのブログ。義祭弁当の中身についてご紹介いただいております。
http://event.sagafan.jp/e366962.html
もう一枚は、TOJIN茶屋の割引クーポン。
佐賀市駅前大通りに面したコミュニティグルメスポット。
FACEBOOKページ↓
https://www.facebook.com/TojinChaya/
どちらのクーポンは8日間有効ですので、次回の日曜上演日である2017年1月8日までお使いいただけます。
今後の上演予定■
2月の上演演目決定しました!
1月15日(日) 第240日目
※第5回目は、上演開始以来通算1200回目の上演となり、先着50名様に、県庁通り商店連盟の提供による賢人のイラストつきオリジナルミニカレンダーをプレゼオントいたします。
『まるぼうろ』

【大隈重信、大木喬任、副島種臣】
人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
1月22日(日)第241日目
『良いではないか。』

【佐野常民、副島種臣、島義勇】
日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
1月29日(日) 第242日目
『酒もってこい』

【大木喬任、江藤新平、島義勇】
八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。
2月5日(日)第243日目
『まるぼうろ』

【大隈重信、大木喬任、副島種臣】
人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
2月12日(日)第244回目
『聞き耳えびす』

【大隈重信、江藤新平、島義勇】
1864年2月某日。上方から佐賀を経て長崎に向かう若き大隈重信。長崎・香焼島の守備隊から佐賀城に急ぐ熱血・島義勇。路上で偶然出会って、熱く論じあう二人の前を、これまた別の怪しい男が走り過ぎる・・・。往来で賑わう長崎街道の牛津宿。春のある日の昼下がりの物語。
2月19日(日)第245日
『良いではないか。』

【佐野常民、副島種臣、島義勇】
日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
2月26日(日)第246日
『おないとし』

【佐野常民、枝吉神陽、島義勇】
漢学や医学、国学に陽明学。「なにものかにならんばっ!」と己が信じる勉学に励み、日夜議論を尽くしていた佐賀鍋島の藩校弘道館の若き俊英、枝吉神陽、島義勇、そして佐野常民。同じ歳の3人が18回目の夏を迎えた1840年天保11年7月のある日。ついに激動の時代の幕開けを告げるある知らせが遠く大陸から届いた・・・。
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
さて、より賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
FACEBOOKページもあります
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)
いつものように最新の佐賀城本丸における定期上演の様子をお客様のアンケートと写真をもとにレポートいたします。
上演:2017年1月8日(日) ※第239日目
場所:佐賀城本丸歴史館 四の間(1-3,5回目)、御座間(4回目)
上演演目『あの夜のままで。』
あらすじ●人は誰でも不遇の時がある。足軽鉄砲隊に身をやつした佐賀藩一の秀才、副島種臣、37歳。再生を促したのは、幼馴染みのあの男のひとことだった・・・。
出演賢人●

副島種臣
(西正)

大隈重信
(青柳達也)

島義勇
(谷口文章)
観客数150人
※ボランティアスタッフ含む
演出:谷口文章
演技指導:辻恵子
脚本:桜井篤
当日アテンド:飯田豊一
記録:飯田豊一
撮影:中本英一・飯田豊一
プロデュース:桜井篤
●アンケート結果
アンケート回答人数77(占有率54.6%)
アンケート結果
満足率98.7%
(大変面白かった・・71.4%、面白かった27.3%)
寸劇上演を知っていた・・44%
来館目的が観劇・・・32%
本丸歴史館にはじめて来た・・・43%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・12.5%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです。

わかりやすい内容で、おもしろい劇でした。女58
劇がわかりやすかったから。男14多久市
インパクトががあった。内容が分かりやすかった。男13多久市
事実を基に寸劇を作られていておもしろかったです。女50多久市
大隈と副島が出会い、致遠館を創った話。男55小城市
初めて見ました。副島種臣の気持ちがわかって、たいへんたのしく見させていただきました。男50久保田町



よくわかった。男59鹿島市
動きがおおきくて分かりやすかった(声も)。もっと歴史を深く知れた。女12小城市
臨場感とアドリブを交えて。男58鹿児島県
中西君が元気でなによりです。男39鳥栖市
感動した。女10佐賀市
20分間の短い時間で、登場人物も3人と少なくて憶えやすくて良かったです。男23



賢人の活躍がよくわかりました。とてもエネルギッシュな演技になんだか感動しました。女56佐賀市
わかりやすく良かった。男52宇部市
上手だったから。子供にもわかりやすかったから。女48宇部市
偉大な方々について、楽しみながら学ぶことができたからです。男22大阪市
解りやすかった、歴史のうらがわ。女50熊本市
声がよく通り、迫力がありました。女59福岡市



お客様をまきこんでの劇が良かった。女47唐津市
分かりやすくしていたので、よかったし、おもしろかったです。女10唐津市
新年から元気をもらい、今年も良い年になれますように。女60諸富町
佐賀の歴史にふれられた。男51佐賀市
笑い有、学びあり、とても面白い舞台でした。女35糸島市
最後の友情の話し、不遇の3年。どれも胸に迫るものがあり、涙が出ました。以前よりもすごく分かりやすく、おもしろくなったようで、そのご努力にも感動しました。女45佐賀市



歴史の一端がよくわかりました。4月以降も是非続けていただきたいと思いました。男45佐賀市
寸劇により、時代を把握する事ができました。女61佐賀市
知らなかった。68大分市
御苦労様です。5年前に観劇していますが、劇進行を役者自ら語って進行するのは良いのですが、話の内容自体荒っぽいので、女性の歴史上人物の進行で進めれば、劇として楽しいのですが。小城市
とても印象に残った。私は歴史の勉強は苦手だけど、とても楽しかった。女13佐賀市



元気良く、史実に基づいたところがおもしろかった。女63佐賀市
今後も続けてほしいです。男66佐賀市
観客を巻き込んだ内容。名前だけは知っていた(島・副島)二人の活躍が知れた。男50白石町
臨場感があって、とても面白かった。分かりやすい内容で勉強になりました。女33佐賀市
不自由(聞こえないですが)身ぶり表示も良かったでした。男54伊万里市
史実にそった話で良い。男57福岡市



歴史の勉強をされて、史実に基づき演じて、クオリティが高い。女54福岡市
島さんの「ひまですー」がかわいそうだった。女5久留米市
わかりやすい。時々入る笑い。男34武雄市
歴史の中にユーモアもあり楽しかった。男37山口市
偉人について、具体的でわかりやすかったです。女佐世保市
内容、あきさせない演出があった。男43佐賀市



ポイントを押さえた内容で分かり易かった。男43神埼市
声量も大きく、わかりやすかったです。男22北九州市
賢人の偉業と共に友情や佐賀への思いも伝わって、とても胸が熱くなりました。女32佐賀市
役者さんが3人共個性的でイキイキしていた。女55福岡市
声が大きくて分かりやすい。女9山口市
すもうのところ。女7神埼市
とても分かりやすく、子供達もたのしそうでした。女42神埼市
とてもわかりやすく、とたも面白い内容でした。これからも是非活動を続けて頂けると嬉しいです。女42佐賀市
とてもわかりやすくて、おもしろかった。女6佐賀市
みなさんが、分かりやすく説明してくださったから。女9神埼市
おすもう。女5柳川市
知らない事も多く、新しい知識が増えました。男40長崎市
知らないことがたくさん知れたから。女佐賀市
うすら聞きおぼえのある人もでてきましたので。女54佐世保市
ありがとうございました。
■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。
全員それぞれの個性がステキです。女58
全員日本を作った人たちだから。男50久保田町
枝吉、副島、佐野日本のためにすごく頑張っているから(他の賢人もだけど)女12小城市

副島かっこいい。男30鳥栖市
大隈知っていたから。男52熊本市
大隈・江藤明治政府の基礎を築いた人たちなので。女59福岡市
大隈・副島皆、好きだと思います。熱い志があり、友情があり、すばらしい方々だと思います。また見たいので、ぜひ活動を続けてください。女45佐賀市
大隈・副島・殿・佐野佐賀の歴史に関わった人として昔からよく知られている。8賢人の事も今後学びたいですね。男40佐賀市
全員現在の佐賀を築いていただいた方々だと思います。女61佐賀市
副島旧姓、副島です。女26京都市

島学校で4コマをつくるとき、島義勇をかいたから。男10佐賀市

江藤佐賀の乱での活躍。男50白石町
大隈・副島・江藤日本を変えた人。男57福岡市
大隈・副島・江藤・島劇を見てから。女54福岡市

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副島かっこいいからです。女佐賀市

大隈大学をつくった人。女71唐津市
大隈・副島・島今日の演者なので。男34武雄市
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島熱くてカッコイイです。女32佐賀市
副島1月8日の演目だったから。男55小郡市
大隈・副島佐賀を代表する偉大な人だから。女42佐賀市

殿名君として様々なことをされた方なので。女佐賀市
ありがとうございました。
上演の後には、「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日は新年のお年玉としてダブルクーポン(2種類)でした。
一枚は、本日の演劇にも触れられた義祭同盟に関連する義祭弁当の割引クーポン。
義祭同盟の集会場となった龍造寺八幡神社の門前通り「県庁通り商店街」にある林檎亭さんで作られています。

▲包みも楽しい賢人のイラストと食のエピソードつき

▲大隈の好物「まるぼうろ」や、島の「じゃがいも」、副島の「叉焼の味噌漬け」など。
こちらはユマニテ佐賀さんのブログ。義祭弁当の中身についてご紹介いただいております。
http://event.sagafan.jp/e366962.html
もう一枚は、TOJIN茶屋の割引クーポン。
佐賀市駅前大通りに面したコミュニティグルメスポット。
FACEBOOKページ↓
https://www.facebook.com/TojinChaya/
どちらのクーポンは8日間有効ですので、次回の日曜上演日である2017年1月8日までお使いいただけます。
今後の上演予定■
2月の上演演目決定しました!
1月15日(日) 第240日目
※第5回目は、上演開始以来通算1200回目の上演となり、先着50名様に、県庁通り商店連盟の提供による賢人のイラストつきオリジナルミニカレンダーをプレゼオントいたします。
『まるぼうろ』

【大隈重信、大木喬任、副島種臣】
人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
1月22日(日)第241日目
『良いではないか。』

【佐野常民、副島種臣、島義勇】
日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
1月29日(日) 第242日目
『酒もってこい』

【大木喬任、江藤新平、島義勇】
八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。
2月5日(日)第243日目
『まるぼうろ』

【大隈重信、大木喬任、副島種臣】
人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
2月12日(日)第244回目
『聞き耳えびす』

【大隈重信、江藤新平、島義勇】
1864年2月某日。上方から佐賀を経て長崎に向かう若き大隈重信。長崎・香焼島の守備隊から佐賀城に急ぐ熱血・島義勇。路上で偶然出会って、熱く論じあう二人の前を、これまた別の怪しい男が走り過ぎる・・・。往来で賑わう長崎街道の牛津宿。春のある日の昼下がりの物語。
2月19日(日)第245日
『良いではないか。』

【佐野常民、副島種臣、島義勇】
日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
2月26日(日)第246日
『おないとし』

【佐野常民、枝吉神陽、島義勇】
漢学や医学、国学に陽明学。「なにものかにならんばっ!」と己が信じる勉学に励み、日夜議論を尽くしていた佐賀鍋島の藩校弘道館の若き俊英、枝吉神陽、島義勇、そして佐野常民。同じ歳の3人が18回目の夏を迎えた1840年天保11年7月のある日。ついに激動の時代の幕開けを告げるある知らせが遠く大陸から届いた・・・。
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
さて、より賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
FACEBOOKページもあります
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)
2017年01月11日
佐賀県PR動画「佐賀さいこう!~明治維新150年篇」
佐賀県さんからのご依頼を受けて、
鍋島直正(後藤峰彦)と大隈重信(青柳達也)が、
佐賀の八賢人を代表して
山口県知事さん、カノエラナさんと出演させていただいた
明治維新150年篇ができました。
2017年1月10日より公開
ユーチューブでご覧になれます↓
https://www.youtube.com/watch?v=WfqVvH47sRM&feature=youtu.be
鍋島直正(後藤峰彦)と大隈重信(青柳達也)が、
佐賀の八賢人を代表して
山口県知事さん、カノエラナさんと出演させていただいた
明治維新150年篇ができました。
2017年1月10日より公開
ユーチューブでご覧になれます↓
https://www.youtube.com/watch?v=WfqVvH47sRM&feature=youtu.be
2017年01月08日
初公開★今日は何の日?佐賀暦★1月1日~15日
今年2017年が明治維新150年のプレイアーです。
八賢人おもてなし隊の活動などで、幕末・維新の佐賀の歴史をもっと知りたいという声を多くいただいておりますので
今年限定で、2012年に当協会が各種文献を調べて完成した「今日は何の日?佐賀暦365日」を初公開いたします。
半月単位で掲載させていただきます。
賢人を多く輩出した佐賀だからこそ、毎日が何かの記念日になっておりますね!
お楽しみください
(下記データは、すべて魅力発掘プロデュース協会調べ。出展元は各エピソード単位で明記しています。1872年までは旧暦対応)
「今日は何の日 佐賀暦 1月1日~1月15日)
1月1日室町時代1555天文24神代勝利前晩糸島の長野を発った神代勝利が終夜山を越えた。明け方龍造寺の熊野川代官所を襲い、これを奪還。熊の川に布陣した。勝利が帰ってきたことは領民が知ることとなり、川上神社の神官小野式部は雪の中を行軍してきて手足が凍っている兵に熱い粥を振る舞った。その後、神代軍は三瀬城に復帰。領民はその後から縁起をかつぎ、正月三が日は粥を作ってこの時の勝利の帰還を祝うこととなった。"龍造寺隆信 P148
地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)上 佐賀県1 P101まで"

1月1日明治時代1873明治6大隈重信明治5年12月3日を太陽暦に改めて、明治6年1月1日(新暦)とする。大木喬任年譜考 P149
1月1日室町時代"1557 OR
1558"弘治3 又 弘治4龍造寺隆信 「第二次 八戸城の戦い」。八戸の城主で隆信の義兄、八戸宗暘が大友に通じ謀反をするとの噂を信じた龍造寺隆信が軍兵を八戸に差し向ける。不意をつかれて狼狽した八戸宗暘は山内の神代を頼り逃れる。領地を没収し、捕らえた妻(隆信の姉)と子供を処刑しようとするが、慶誾尼に諫められ隆信は中止する。(8月には城を破壊)。八戸宗暘、大いに恨む。"「風雲 肥前戦国武将史」 P52
地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)上 佐賀県1 P46 では1558"
1月2日安土桃山時代1598慶長3"鍋島直茂及び勝茂
龍造寺軍"慶長の役・蔚山城の加藤清正以下守備兵を救援するための陣立てが整う。鍋島軍は先陣を受け持つ。文禄・慶長の役 P235

1月2日江戸時代末期1850嘉永3鍋島直正鍋島直正が本島藤太夫を江川英龍のもとに派遣。郷土史に輝く人びと P47
1月2日明治時代1871明治4伊東玄朴伊東玄朴没(72歳)。佐賀市史その3 年表
1月3日安土桃山時代1573元亀4龍造寺隆信 草野鎮永龍造寺隆信が松浦の草野鎮永を鬼ヶ城に攻める。龍造寺隆信 P265

1月3日江戸時代末期1859安政6鍋島直正鍋島直正がオランダ海軍士官カッティンディーケを招き上の島(神ノ島)へ行き、海防の状況を視察させる。鍋島閑叟(杉谷昭) P18

▲歴史寸劇「あの夜のままで。」より。長州征伐に向かう副島種臣
1月4日江戸時代末期1864文久4大木喬任 副島種臣大木喬任、副島種臣ら、長州征伐から無事帰還。大木喬任年譜考 P32

1月4日明治時代1872明治5大木喬任"大木喬任「学制制定伺」(学制の大綱)を起草し太政官に提出。
※大木の真骨頂「悉く廃し」という文字が踊る。"大木喬任年譜考 P112
1月5日安土桃山時代1598慶長3"鍋島直茂及び勝茂
龍造寺軍"慶長の役・蔚山城を包囲した敵を撃退した鍋島ら救援軍が城に入り今後の軍議を行ない、鍋島父子は持ち場(昌原〈チャンウォン〉)の守備のため、城から戻る。文禄・慶長の役 P237
1月6日江戸時代初期1669寛文9多久(鍋島)茂辰多久(鍋島)茂辰(第三代多久藩藩主)が62歳で没する。勝茂が病に倒れてから臨終まで病床を離れず介護したり、本藩の要職を求められても固辞したり、なにかと名君の誉が高い。葉隠にも嫡子を慕わせるためにわざと自分は家中の者につらくあたったなどと書かれている。※多久藩の名君中の名君われらの郷土 昔の今日2月の巻
1月7日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"先年松浦党(鶴田/有馬氏)と激戦の末、竜川から退いた龍造寺軍が陣を整え、逆襲。獅子ヶ城の包囲を続けて、越年し、この日に陥落させる。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
1月7日江戸時代中期1787天明7草場佩仙誕生枝吉神陽先生遺稿 巻末年表
1月8日江戸時代初期1628寛永5陽泰院陽泰院没(81歳)。追腹8人佐賀県史(中巻) 年表
1月9日明治時代1874明治7江藤新平江藤新平が再度病気療養を名目に御用滞在を免じて帰県を要望する。(1月19日許可される)江藤新平と明治維新 P278

▲愛国党党首となる
1月10日明治時代1874明治7江藤新平江藤新平 愛国公党 結党。"『江藤新平』毛利敏彦著、中公新書
※ウィキペディアによると1月12日 "

▲さまざまな思いを胸に・・紅葉をながめる最晩年の大木喬任(歴史寸劇「まるぼうろ」より)
1月10日明治時代1874明治7大木喬任 江藤新平大木喬任、東京山王台の茶亭に、江藤新平を招き彼の離京帰郷を中止させようとしたが、果たせず。大木喬任年譜考 P175

▲歴史寸劇「よいではないか」。帰国後の佐野常民
1月10日明治時代1874明治7佐野常民佐野常民が万博終了後、イタリアへ赴く。日赤の創始者 佐野常民 P62

▲「大隈記念館」での顕彰記念上演「故郷(くに)ば、錦で」の大隈重信と思いを受け継ぐ田澤義鋪
1月10日大正時代1922大正11大隈重信大隈重信 逝去 午前4時40分 85歳。
1月11日室町時代1559永禄2龍造寺隆信 千葉胤連が、龍造寺隆信の援けを受けて、千葉胤頼を攻める。胤頼と少弐冬尚が敗死する。冬尚は自刃。33歳。名門太宰少弐氏は源頼朝の時代に祖先武藤資頼が下向して以来の15代370余年で滅亡。佐賀県史(上巻)年表
1月11日室町時代1569永禄12龍造寺隆信 大友宗麟大友宗麟、龍造寺を討つべく出馬。龍造寺隆信 P210
1月11日江戸時代末期1867慶応3佐野常民徳川昭武遣仏使節一行に佐野常民が参加。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

▲ともにオランダ語を学ぶ大隈重信と江藤新平 歴史寸劇「ならば需骨よ」より
1月11日明治時代1874明治7江藤新平 大隈重信夜、江藤新平 帰郷の意志を大隈にうちあける。大隈は「ミイラとりがミイラになるからやめよ」と忠告するが聞き入れられず。大木喬任年譜考 P177

▲「幕府は・・・人間じゃねぇ」 歴史寸劇「喜鵲(かちがらす)」の田中儀右衛門
1月11日明治時代1881明治14"田中からくり儀右衛門
(田中久重)"田中からくり儀右衛門没。82歳。久留米出身、幼少の頃より機械を作ることを好み、御繁昌(ごはんじょう)と称した五穀神社の祭礼に、水カラクリで人形を舞わせる妙技を演じて、「からくり儀右衛門」という異名をとった。嘉永5年(1852)、佐野常民の推挙で佐賀藩の精煉所に入り、大砲、汽罐、汽船、電気等を制作した。後に久留米藩に招かれて銃砲を作ったりもした。維新後、75歳で上京し、芝浦に日本で初めての電気工業の工場を経営した。ウィキペディア
1月12日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"龍造寺が5日前に奪いとった獅子ヶ城がさらに奪回される。城番馬渡(もうたい)俊信主従60余りが討死。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
1月12日室町時代1559永禄2"龍造寺隆信
小田鎮光"小田鎮光(しげみつ)、隆信に和平を申し込む (長者原の戦いの戦後処理)(この和平により隆信の養女で三国一の美女と言われたお秀の方(阿安とも)が鎮光に嫁ぐことになる。彼女は後日再婚し、夫が朝鮮出兵中に太閤秀吉に言い寄られても操を守ったなど逸話が多い。龍造寺隆信 P169
1月12日江戸時代末期1860安政7小出光彰(千之助)"佐賀藩の小出光彰が勝海舟、福沢諭吉らとともに幕府の遣米使節団に参加し、米船ポーハタン号に乗船し、通詞となり日本を出航する(~5月6日)。渡米中、読書で得た歴史地誌学の知識を活かし政治経済にかかる治安施設の英仏諸国との比較考察を実地視察する。
◆小出千之助(こいで せんのすけ)
学者・教育者:1832(天保3)~1868(明治元)蘭学から英学へ
弘道館に学び、のち蘭学寮に移った。1860(万延元)年わが国最初の遣外使節団"楠公義祭同盟 年表

▲初代司法卿として 江藤新平
1月12日明治時代1874明治7江藤新平江藤新平 民選議員設立建白書に署名。

▲笑う鍋島直正 「肥前の妖怪」とも呼ばれた
1月13日江戸時代1845弘化2鍋島直正幕府老中阿部正弘が、鍋島直正の江戸参府を免除。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

▲人生の晩年にさまざまな思いが去来したであろう大木喬任 歴史寸劇「まるぼうろ」より 紅葉を見あげる
1月13日明治時代1874明治7江藤新平 大木喬任江藤新平 家僕の船田次郎を連れて東京を離れる(横浜より船)。大木、部下を遣わし思いとどまらせようとしたが間に合わず。大木喬任年譜考 P175
1月14日室町時代1545天文14龍造寺剛忠 以下 龍造寺一門少弐冬尚の命で多久の梶峰城攻めの最中に龍造寺胤明らが杵島郡志久峠(北方町志久)で須古の平井氏、佐留志の前田氏と戦ってことごとく討ち死に。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
1月15日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"少弐冬尚の命で有馬討伐のため長島に向かった龍造寺家門、藤津郡於野原(武雄市橘町小野原)の戦いで有馬勢に敗れ、胤直らが戦死。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P73
1月15日江戸時代末期1854安政元鍋島直正幕府のロシア使節応接掛一行、新砲台見学。(23日反射炉見学の為に来佐)郷土史に輝く人びと P48

▲「おぬし、早起きではなく寝てないのじゃろ?」 義祭同盟の翌朝の島義勇 歴史寸劇「どしたらいいんじゃ?」より
1月15日江戸時代末期1864元治元年義祭同盟志士たち(大木喬任、副島種臣ら)大興寺にて、義祭同盟の志士たちが集まると、「大木喬任日記」に記されている(1月15日、3月15日、4月15日、6月15日、9月15日、10月15日にも同様の記事あり) 枝吉神陽先生遺稿 P305
1月15日明治時代1869明治2大隈重信副島種臣鍋島直正"
大隈重信と副島種臣が大久保利通に呼び出される。大隈にとってははじめて口を利く。版籍奉還の根回しで、すでに薩摩・長州・土佐は合意がとれていて、最後に佐賀に迫るためであった。この話を受けて、その夜、二人で鍋島直正に会いにいく。直正は「思案する」とだけしか答えなかったが、翌日再訪して了承をとる。20日の建白書にしっかり佐賀藩の名前も載ることとなり、これがきっかけで、佐賀藩は遅れをとらず「薩長土肥」というくくりが認知されるようになった。円を作った男(小説・大隈重信) P148

▲京都でともに活動していた頃の江藤と副島 歴史寸劇「良いではないか。」より
1月15日明治時代1874明治7副島種臣前年の10月24日に征韓論が敗れて参儀を辞任し、25日に「御用滞在」として政府から東京を離れることを禁じられていたため、たびたび「お暇願」を出した副島種臣。1月15日には体調不良を切々と訴えて、東京を離れたい旨を記すが聞き入れられず。副島は江藤とともに佐賀へ戻りたかったと思われる。明治時代と副島種臣 P26
「今日はなんの日 佐賀歴史暦」のお問合せは 魅力発掘プロデュース協会 cherrybravo2001@yahoo.co.jp
担当:桜井までお寄せください
文責:桜井(プロデューサー)
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八賢人おもてなし隊の活動などで、幕末・維新の佐賀の歴史をもっと知りたいという声を多くいただいておりますので
今年限定で、2012年に当協会が各種文献を調べて完成した「今日は何の日?佐賀暦365日」を初公開いたします。
半月単位で掲載させていただきます。
賢人を多く輩出した佐賀だからこそ、毎日が何かの記念日になっておりますね!
お楽しみください
(下記データは、すべて魅力発掘プロデュース協会調べ。出展元は各エピソード単位で明記しています。1872年までは旧暦対応)
「今日は何の日 佐賀暦 1月1日~1月15日)
1月1日室町時代1555天文24神代勝利前晩糸島の長野を発った神代勝利が終夜山を越えた。明け方龍造寺の熊野川代官所を襲い、これを奪還。熊の川に布陣した。勝利が帰ってきたことは領民が知ることとなり、川上神社の神官小野式部は雪の中を行軍してきて手足が凍っている兵に熱い粥を振る舞った。その後、神代軍は三瀬城に復帰。領民はその後から縁起をかつぎ、正月三が日は粥を作ってこの時の勝利の帰還を祝うこととなった。"龍造寺隆信 P148
地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)上 佐賀県1 P101まで"

1月1日明治時代1873明治6大隈重信明治5年12月3日を太陽暦に改めて、明治6年1月1日(新暦)とする。大木喬任年譜考 P149
1月1日室町時代"1557 OR
1558"弘治3 又 弘治4龍造寺隆信 「第二次 八戸城の戦い」。八戸の城主で隆信の義兄、八戸宗暘が大友に通じ謀反をするとの噂を信じた龍造寺隆信が軍兵を八戸に差し向ける。不意をつかれて狼狽した八戸宗暘は山内の神代を頼り逃れる。領地を没収し、捕らえた妻(隆信の姉)と子供を処刑しようとするが、慶誾尼に諫められ隆信は中止する。(8月には城を破壊)。八戸宗暘、大いに恨む。"「風雲 肥前戦国武将史」 P52
地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)上 佐賀県1 P46 では1558"
1月2日安土桃山時代1598慶長3"鍋島直茂及び勝茂
龍造寺軍"慶長の役・蔚山城の加藤清正以下守備兵を救援するための陣立てが整う。鍋島軍は先陣を受け持つ。文禄・慶長の役 P235

1月2日江戸時代末期1850嘉永3鍋島直正鍋島直正が本島藤太夫を江川英龍のもとに派遣。郷土史に輝く人びと P47
1月2日明治時代1871明治4伊東玄朴伊東玄朴没(72歳)。佐賀市史その3 年表
1月3日安土桃山時代1573元亀4龍造寺隆信 草野鎮永龍造寺隆信が松浦の草野鎮永を鬼ヶ城に攻める。龍造寺隆信 P265

1月3日江戸時代末期1859安政6鍋島直正鍋島直正がオランダ海軍士官カッティンディーケを招き上の島(神ノ島)へ行き、海防の状況を視察させる。鍋島閑叟(杉谷昭) P18

▲歴史寸劇「あの夜のままで。」より。長州征伐に向かう副島種臣
1月4日江戸時代末期1864文久4大木喬任 副島種臣大木喬任、副島種臣ら、長州征伐から無事帰還。大木喬任年譜考 P32

1月4日明治時代1872明治5大木喬任"大木喬任「学制制定伺」(学制の大綱)を起草し太政官に提出。
※大木の真骨頂「悉く廃し」という文字が踊る。"大木喬任年譜考 P112
1月5日安土桃山時代1598慶長3"鍋島直茂及び勝茂
龍造寺軍"慶長の役・蔚山城を包囲した敵を撃退した鍋島ら救援軍が城に入り今後の軍議を行ない、鍋島父子は持ち場(昌原〈チャンウォン〉)の守備のため、城から戻る。文禄・慶長の役 P237
1月6日江戸時代初期1669寛文9多久(鍋島)茂辰多久(鍋島)茂辰(第三代多久藩藩主)が62歳で没する。勝茂が病に倒れてから臨終まで病床を離れず介護したり、本藩の要職を求められても固辞したり、なにかと名君の誉が高い。葉隠にも嫡子を慕わせるためにわざと自分は家中の者につらくあたったなどと書かれている。※多久藩の名君中の名君われらの郷土 昔の今日2月の巻
1月7日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"先年松浦党(鶴田/有馬氏)と激戦の末、竜川から退いた龍造寺軍が陣を整え、逆襲。獅子ヶ城の包囲を続けて、越年し、この日に陥落させる。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
1月7日江戸時代中期1787天明7草場佩仙誕生枝吉神陽先生遺稿 巻末年表
1月8日江戸時代初期1628寛永5陽泰院陽泰院没(81歳)。追腹8人佐賀県史(中巻) 年表
1月9日明治時代1874明治7江藤新平江藤新平が再度病気療養を名目に御用滞在を免じて帰県を要望する。(1月19日許可される)江藤新平と明治維新 P278

▲愛国党党首となる
1月10日明治時代1874明治7江藤新平江藤新平 愛国公党 結党。"『江藤新平』毛利敏彦著、中公新書
※ウィキペディアによると1月12日 "

▲さまざまな思いを胸に・・紅葉をながめる最晩年の大木喬任(歴史寸劇「まるぼうろ」より)
1月10日明治時代1874明治7大木喬任 江藤新平大木喬任、東京山王台の茶亭に、江藤新平を招き彼の離京帰郷を中止させようとしたが、果たせず。大木喬任年譜考 P175

▲歴史寸劇「よいではないか」。帰国後の佐野常民
1月10日明治時代1874明治7佐野常民佐野常民が万博終了後、イタリアへ赴く。日赤の創始者 佐野常民 P62

▲「大隈記念館」での顕彰記念上演「故郷(くに)ば、錦で」の大隈重信と思いを受け継ぐ田澤義鋪
1月10日大正時代1922大正11大隈重信大隈重信 逝去 午前4時40分 85歳。
1月11日室町時代1559永禄2龍造寺隆信 千葉胤連が、龍造寺隆信の援けを受けて、千葉胤頼を攻める。胤頼と少弐冬尚が敗死する。冬尚は自刃。33歳。名門太宰少弐氏は源頼朝の時代に祖先武藤資頼が下向して以来の15代370余年で滅亡。佐賀県史(上巻)年表
1月11日室町時代1569永禄12龍造寺隆信 大友宗麟大友宗麟、龍造寺を討つべく出馬。龍造寺隆信 P210
1月11日江戸時代末期1867慶応3佐野常民徳川昭武遣仏使節一行に佐野常民が参加。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

▲ともにオランダ語を学ぶ大隈重信と江藤新平 歴史寸劇「ならば需骨よ」より
1月11日明治時代1874明治7江藤新平 大隈重信夜、江藤新平 帰郷の意志を大隈にうちあける。大隈は「ミイラとりがミイラになるからやめよ」と忠告するが聞き入れられず。大木喬任年譜考 P177

▲「幕府は・・・人間じゃねぇ」 歴史寸劇「喜鵲(かちがらす)」の田中儀右衛門
1月11日明治時代1881明治14"田中からくり儀右衛門
(田中久重)"田中からくり儀右衛門没。82歳。久留米出身、幼少の頃より機械を作ることを好み、御繁昌(ごはんじょう)と称した五穀神社の祭礼に、水カラクリで人形を舞わせる妙技を演じて、「からくり儀右衛門」という異名をとった。嘉永5年(1852)、佐野常民の推挙で佐賀藩の精煉所に入り、大砲、汽罐、汽船、電気等を制作した。後に久留米藩に招かれて銃砲を作ったりもした。維新後、75歳で上京し、芝浦に日本で初めての電気工業の工場を経営した。ウィキペディア
1月12日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"龍造寺が5日前に奪いとった獅子ヶ城がさらに奪回される。城番馬渡(もうたい)俊信主従60余りが討死。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
1月12日室町時代1559永禄2"龍造寺隆信
小田鎮光"小田鎮光(しげみつ)、隆信に和平を申し込む (長者原の戦いの戦後処理)(この和平により隆信の養女で三国一の美女と言われたお秀の方(阿安とも)が鎮光に嫁ぐことになる。彼女は後日再婚し、夫が朝鮮出兵中に太閤秀吉に言い寄られても操を守ったなど逸話が多い。龍造寺隆信 P169
1月12日江戸時代末期1860安政7小出光彰(千之助)"佐賀藩の小出光彰が勝海舟、福沢諭吉らとともに幕府の遣米使節団に参加し、米船ポーハタン号に乗船し、通詞となり日本を出航する(~5月6日)。渡米中、読書で得た歴史地誌学の知識を活かし政治経済にかかる治安施設の英仏諸国との比較考察を実地視察する。
◆小出千之助(こいで せんのすけ)
学者・教育者:1832(天保3)~1868(明治元)蘭学から英学へ
弘道館に学び、のち蘭学寮に移った。1860(万延元)年わが国最初の遣外使節団"楠公義祭同盟 年表

▲初代司法卿として 江藤新平
1月12日明治時代1874明治7江藤新平江藤新平 民選議員設立建白書に署名。

▲笑う鍋島直正 「肥前の妖怪」とも呼ばれた
1月13日江戸時代1845弘化2鍋島直正幕府老中阿部正弘が、鍋島直正の江戸参府を免除。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

▲人生の晩年にさまざまな思いが去来したであろう大木喬任 歴史寸劇「まるぼうろ」より 紅葉を見あげる
1月13日明治時代1874明治7江藤新平 大木喬任江藤新平 家僕の船田次郎を連れて東京を離れる(横浜より船)。大木、部下を遣わし思いとどまらせようとしたが間に合わず。大木喬任年譜考 P175
1月14日室町時代1545天文14龍造寺剛忠 以下 龍造寺一門少弐冬尚の命で多久の梶峰城攻めの最中に龍造寺胤明らが杵島郡志久峠(北方町志久)で須古の平井氏、佐留志の前田氏と戦ってことごとく討ち死に。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72
1月15日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"少弐冬尚の命で有馬討伐のため長島に向かった龍造寺家門、藤津郡於野原(武雄市橘町小野原)の戦いで有馬勢に敗れ、胤直らが戦死。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P73
1月15日江戸時代末期1854安政元鍋島直正幕府のロシア使節応接掛一行、新砲台見学。(23日反射炉見学の為に来佐)郷土史に輝く人びと P48

▲「おぬし、早起きではなく寝てないのじゃろ?」 義祭同盟の翌朝の島義勇 歴史寸劇「どしたらいいんじゃ?」より
1月15日江戸時代末期1864元治元年義祭同盟志士たち(大木喬任、副島種臣ら)大興寺にて、義祭同盟の志士たちが集まると、「大木喬任日記」に記されている(1月15日、3月15日、4月15日、6月15日、9月15日、10月15日にも同様の記事あり) 枝吉神陽先生遺稿 P305
1月15日明治時代1869明治2大隈重信副島種臣鍋島直正"
大隈重信と副島種臣が大久保利通に呼び出される。大隈にとってははじめて口を利く。版籍奉還の根回しで、すでに薩摩・長州・土佐は合意がとれていて、最後に佐賀に迫るためであった。この話を受けて、その夜、二人で鍋島直正に会いにいく。直正は「思案する」とだけしか答えなかったが、翌日再訪して了承をとる。20日の建白書にしっかり佐賀藩の名前も載ることとなり、これがきっかけで、佐賀藩は遅れをとらず「薩長土肥」というくくりが認知されるようになった。円を作った男(小説・大隈重信) P148

▲京都でともに活動していた頃の江藤と副島 歴史寸劇「良いではないか。」より
1月15日明治時代1874明治7副島種臣前年の10月24日に征韓論が敗れて参儀を辞任し、25日に「御用滞在」として政府から東京を離れることを禁じられていたため、たびたび「お暇願」を出した副島種臣。1月15日には体調不良を切々と訴えて、東京を離れたい旨を記すが聞き入れられず。副島は江藤とともに佐賀へ戻りたかったと思われる。明治時代と副島種臣 P26
「今日はなんの日 佐賀歴史暦」のお問合せは 魅力発掘プロデュース協会 cherrybravo2001@yahoo.co.jp
担当:桜井までお寄せください
文責:桜井(プロデューサー)
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2017年01月08日
観客通算44000人突破★「富士ば登らば」★2017年1月1日 佐賀城本丸歴史館
新年あけましておめでとうざいます。

2017年も昨年以上にがんばっていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
すでにメディアがお伝えしていますように、佐賀県が来年2018年のために「明治維新150年の事業名称とロゴの発表イベント」を1月10日(火)に実施します。私たち「おもてなし隊」は当日、特別に歴史寸劇「茶飲みに来んか?」を実施いたしますので、ぜひいらしてください。同イベントの情報はこちらです↓
http://www.pref.saga.lg.jp/kiji00352570/index.html
さて、いつものように最新の佐賀城本丸における定期上演の様子をお客様のアンケートと写真をもとにレポートいたします。
祝! 1月1日に44000人目のお客様を迎えることができました。
感謝の意を込めて3名の方に観客のみなさま代表としてオリジナルカレンダーと賢人バッジをプレゼントさせていただきました

▲43999人目のお客様

▲44001人目のお客様

▲44000人目のお客様。広島からいらしてくださいました!
今年は幸先が良さそうです(笑)
みなさまにも素敵な一年に!

▲お客様からこんな素敵なイラスト色紙までいただきました!賢人一同大喜びでした!
佐賀新聞さんがいらして記事にしてくださいました。以下佐賀新聞netより
http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/392470
それではいつものように上演の様子を写真とアンケート結果でレポートいたします
上演:2017年1月1日(日) ※第238日目
場所:佐賀城本丸歴史館 四の間(1-3,5回目)、御座間(4回目)
上演演目:
『富士ば登らば』
あらすじ●1848年、幕末がまさに訪れようとする頃の佐賀。江戸250藩の中で最も勉強熱心だったこの藩では「頂点」と目されていた2人の男がいた。「秀才」佐野常民と「天才」枝吉神陽である。柄にもなく江戸で勤皇思想に染まりつつある「秀才」が殿の命令で佐賀に召喚される。登城前に悩む佐野の前に、下駄を鳴らしてやってきたのは・・・。
出演賢人●

佐野常民
(鷹巣将弥)

鍋島直正
(後藤峰彦)

枝吉神陽
(浦川忠敬)

観客数267人
※ボランティアスタッフ含む
演出:谷口文章
演技指導:辻恵子
脚本:空閑薫
当日アテンド:浦川美紀
記録:飯田豊一
撮影:中本英一・飯田豊一
プロデュース:桜井篤
記念品提供:(2017年賢人イラストカレンダー)県庁通り商店連盟
●アンケート結果
アンケート回答人数91(占有率37.0%)
アンケート結果
満足率96.9%
(大変面白かった・・73.6%、面白かった24.2%)
寸劇上演を知っていた・・41%
来館目的が観劇・・・33%
本丸歴史館にはじめて来た・・・42%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・13.5%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです
歴史がよくわかった。男60神戸市
1つの目的にいろんな方法でできるという事を若者に教えることのできる内容。女27みやま市
佐賀の賢人が育った理由がわかったから。男55若宮市
非常にわかりやすく、楽しく見ることができた。男22若宮市
おもしろかった。男8久保田町



枝吉神陽の大きな心と直正の広い心。何をなしとげるか、頑張っているところがいいと思います。男50久保田町
中国から遊びに来たのですが、佐賀歴史理解いただき、かつ面白いShow見せて頂き、とてもありがとうございます。女35中国
歴史を知るいい機会でした。女
現在、日本に生まれて良かったと思われるようになりました。幕末の考え方が良く伝わりました。本年もがんばってください。男49佐賀市
八賢人の事が良く解った。男69川副町
ハキハキ気持ちが良かった。男65大和町



客席との一体感。女52福岡市
役者さんがすばらしかったので。男25若宮市
知りませんでした。白熱したすばらしい劇。男40神埼市
大変わかりやすかった。女44佐賀市
子供にも分かりやすく、歴史と国を想う気持ちを教えてくれたから。男39名古屋市
枝吉先生の視野の広さを知れたから。女40佐賀市
とても分かりやすく、すばらしいです。末長く続けてほしいです。女46神奈川県
構えなくてよかった。男58佐賀市



歴史を知りました。男45仙台市
とてもわかりやすく佐賀藩のことを知ることができました。女38名古屋市
今までしらなかったことをわかったから。女10名古屋市
表現力がすごかった。男16佐賀市
佐賀賢人の目標に向かう姿勢がわかり易かった。男53佐賀市
物語が事実にもとづいていておもしろかった。女10広島市
小・中学校とかでやるような内容でとてもわかりやすく良かった。がんばってください。女32三潴郡
たのしいです。男25



いい声をしていた。男49福井県
声がいい。男12福井県
私は面白かったです。娘にはむずかしかったので。男46佐賀市
小さい子や通行人が気になった。女44小城市
佐賀の歴史ですが、ほとんど知らないことで大変興味がありました。女44佐賀市
俳優さんたちの愛情が感じた。女32アムステルダム
3人の方が元気にわかりやすく演技をして下さいました。女73佐賀市
枝吉神陽が富士山に登ったことが知らなくて、知れたのでよかったです。女11佐賀市



正月だけあって、富士山を合わせて歴史の一部を知ることができた。女36佐賀市
正直、佐賀藩の賢人のことが分かってませんでした。男44宇都宮市
臨場感があり、引き込まれたから。男27佐賀市
初めて見ました。もっと見たくなりました。男40合志町
表現、声がよく、わかりやすかった。女57小城市
自分の知らない人物の事まで分かってよかった。男11広島市
ユーモアを交えて、わかりやすく演じてもらった。男57牛津町



距離が近く迫力があった。男28大阪市
佐賀の歴史をわかりやすく伝えていただいた。男65佐賀市
佐賀の偉大さを再認識できた。男61東京都
とのもセリフが出てこないことがあるんですね。初めて見た演目でした。面白かったです。勉強になりました。女25愛知県
とてもやった事などが分かりやすく勉強になったから。女12東京都
演じる役者のみなさんの強い思いが伝わってくるため。男43佐賀市
真剣にされている姿がとてもよかったです。男38熊本市
お正月から勉強になりました。女52神戸市



勉強になりました。志が伝わりました。女25京都市
脚本。男40佐賀市
キャラがたっていてよかったが、テンポがおそかった。女26
人物像が魅力的でした。女48千葉市
知らないことが、わかりやすく説明されていたので。男62東京都
賢人の人柄が良くわかり、おもしろかった。男33東京都
この劇で枝吉神陽の働きを始めて知りました。ありがとうございました。女60佐賀市



内容がハッキリしているから。男42県外
俳優さんの熱に打たれた。男44佐賀市
佐賀県民として知っておくべき知識ですので、ありがとうございました。女39佐賀市
佐賀の八賢人のことが、なおいっそうくわしくわかり感動致しました。女67佐賀市
声もききとりやすく、言葉もわかりやすかった。とても勉強になったし、当時の熱が伝わってきた。女28福岡市
身近に感じられる寸劇で、内容も分かりやすかった。また見に来たい。男30佐賀市
ありがとうございました
■「好きな賢人」は!?いろいろなコメントをいただきました。

大隈歴史の教科書で知っているから。男55若宮市

佐野今日の寸劇を見て自分もがんばろうと思えたので。男22若宮市
全員日本をいい国に作るためにがんばっている所。男50久保田町
枝吉・殿・佐野かっこいい。女35中国

殿人を生かせる人だったから。女44佐賀市
全員皆さん全力で演じられているので。女40佐賀市
殿・佐野今の日本を作った人だから。女46神奈川県
大隈とにかくえらい。男58佐賀市
大隈・殿鍋島公のシンパシーを感じるため。男45仙台市
殿おとの様だから。女10名古屋市
全員カッコイイ。女6佐賀市

▲写真は大木喬任
殿日本の技術の先方。男53佐賀市
佐野佐賀東高職員です。頑張ってください、たかす君。男46佐賀市
枝吉・殿・佐野今日見ておもしろかったから。女44小城市
大隈・枝吉・佐野それぞれに個性と勇気が溢れている。男75佐賀市
大隈早稲田大学を作った。内閣総理大臣になった。男47佐賀市
大隈・枝吉・殿大隈重信は家の近くだから。女11佐賀市

島男気あるから。女36佐賀市
佐野いち早く世界に出て学び、自国に知識を広げた人だから。男27佐賀市

江藤大久保がきらい。男40合志町
佐野日本赤十字社。女57小城市
大隈すごい人だから。男11広島市
大隈・副島・殿・佐野佐賀を世界へ伝えた。男65佐賀市
全員佐賀の賢人だから。男61東京都
全員4歳の娘が大ファンです。男43佐賀市
大隈・江藤佐賀出身として嬉しいから。男38熊本市
殿なりきっていた。女26

副島書。女48千葉市
江藤記念碑建、時々歌を歌っているから。女福岡市
枝吉・副島二方の親族なので。女39佐賀市
大隈・枝吉・副島・殿親族なので(枝吉・副島)女67佐賀市

枝吉今日の寸劇でファンになった。女28福岡市
枝吉・殿・佐野初めて見た3人ともキャラと演技がよかった。男30佐賀市
ありがとうございました。
上演の後には、「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンは大隈重信もその味を愛したという、鶴屋菓子舗さんの「まるぼうろ」がいただけるプレゼントクーポンでした。
鶴屋さんのHPです
http://www.marubouro.co.jp/
このクーポンは8日間有効ですので、次回の日曜上演日である2017年1月8日までお使いいただけます。
2017年1月の上演予定■
1月8日(日) 第239日目
『あの夜のままで。』
【大隈重信、島義勇、副島種臣】

人は誰でも不遇の時がある。足軽鉄砲隊に身をやつした佐賀藩一の秀才、副島種臣、37歳。再生を促したのは、幼馴染みのあの男のひとことだった・・・。
1月15日(日) 第240日目 ※5回目には第1200回上演記念お楽しみあり
『まるぼうろ』
【大隈重信、大木喬任、副島種臣】

人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
1月22日(日)第241日目
『良いではないか。』
【佐野常民、副島種臣、島義勇】

日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
1月29日(日) 第242日目
『酒もってこい』
【大木喬任、江藤新平、島義勇】

八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
さて、より賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
2017年もみなさまにとってよき一年になりますように!
また日曜日に本丸歴史館でお目にかかりましょう!
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
FACEBOOKページもあります
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)

2017年も昨年以上にがんばっていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
すでにメディアがお伝えしていますように、佐賀県が来年2018年のために「明治維新150年の事業名称とロゴの発表イベント」を1月10日(火)に実施します。私たち「おもてなし隊」は当日、特別に歴史寸劇「茶飲みに来んか?」を実施いたしますので、ぜひいらしてください。同イベントの情報はこちらです↓
http://www.pref.saga.lg.jp/kiji00352570/index.html
さて、いつものように最新の佐賀城本丸における定期上演の様子をお客様のアンケートと写真をもとにレポートいたします。
祝! 1月1日に44000人目のお客様を迎えることができました。
感謝の意を込めて3名の方に観客のみなさま代表としてオリジナルカレンダーと賢人バッジをプレゼントさせていただきました

▲43999人目のお客様

▲44001人目のお客様

▲44000人目のお客様。広島からいらしてくださいました!
今年は幸先が良さそうです(笑)
みなさまにも素敵な一年に!

▲お客様からこんな素敵なイラスト色紙までいただきました!賢人一同大喜びでした!
佐賀新聞さんがいらして記事にしてくださいました。以下佐賀新聞netより
http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/392470
それではいつものように上演の様子を写真とアンケート結果でレポートいたします
上演:2017年1月1日(日) ※第238日目
場所:佐賀城本丸歴史館 四の間(1-3,5回目)、御座間(4回目)
上演演目:
『富士ば登らば』
あらすじ●1848年、幕末がまさに訪れようとする頃の佐賀。江戸250藩の中で最も勉強熱心だったこの藩では「頂点」と目されていた2人の男がいた。「秀才」佐野常民と「天才」枝吉神陽である。柄にもなく江戸で勤皇思想に染まりつつある「秀才」が殿の命令で佐賀に召喚される。登城前に悩む佐野の前に、下駄を鳴らしてやってきたのは・・・。
出演賢人●

佐野常民
(鷹巣将弥)

鍋島直正
(後藤峰彦)

枝吉神陽
(浦川忠敬)

観客数267人
※ボランティアスタッフ含む
演出:谷口文章
演技指導:辻恵子
脚本:空閑薫
当日アテンド:浦川美紀
記録:飯田豊一
撮影:中本英一・飯田豊一
プロデュース:桜井篤
記念品提供:(2017年賢人イラストカレンダー)県庁通り商店連盟
●アンケート結果
アンケート回答人数91(占有率37.0%)
アンケート結果
満足率96.9%
(大変面白かった・・73.6%、面白かった24.2%)
寸劇上演を知っていた・・41%
来館目的が観劇・・・33%
本丸歴史館にはじめて来た・・・42%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・13.5%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです
歴史がよくわかった。男60神戸市
1つの目的にいろんな方法でできるという事を若者に教えることのできる内容。女27みやま市
佐賀の賢人が育った理由がわかったから。男55若宮市
非常にわかりやすく、楽しく見ることができた。男22若宮市
おもしろかった。男8久保田町



枝吉神陽の大きな心と直正の広い心。何をなしとげるか、頑張っているところがいいと思います。男50久保田町
中国から遊びに来たのですが、佐賀歴史理解いただき、かつ面白いShow見せて頂き、とてもありがとうございます。女35中国
歴史を知るいい機会でした。女
現在、日本に生まれて良かったと思われるようになりました。幕末の考え方が良く伝わりました。本年もがんばってください。男49佐賀市
八賢人の事が良く解った。男69川副町
ハキハキ気持ちが良かった。男65大和町



客席との一体感。女52福岡市
役者さんがすばらしかったので。男25若宮市
知りませんでした。白熱したすばらしい劇。男40神埼市
大変わかりやすかった。女44佐賀市
子供にも分かりやすく、歴史と国を想う気持ちを教えてくれたから。男39名古屋市
枝吉先生の視野の広さを知れたから。女40佐賀市
とても分かりやすく、すばらしいです。末長く続けてほしいです。女46神奈川県
構えなくてよかった。男58佐賀市



歴史を知りました。男45仙台市
とてもわかりやすく佐賀藩のことを知ることができました。女38名古屋市
今までしらなかったことをわかったから。女10名古屋市
表現力がすごかった。男16佐賀市
佐賀賢人の目標に向かう姿勢がわかり易かった。男53佐賀市
物語が事実にもとづいていておもしろかった。女10広島市
小・中学校とかでやるような内容でとてもわかりやすく良かった。がんばってください。女32三潴郡
たのしいです。男25



いい声をしていた。男49福井県
声がいい。男12福井県
私は面白かったです。娘にはむずかしかったので。男46佐賀市
小さい子や通行人が気になった。女44小城市
佐賀の歴史ですが、ほとんど知らないことで大変興味がありました。女44佐賀市
俳優さんたちの愛情が感じた。女32アムステルダム
3人の方が元気にわかりやすく演技をして下さいました。女73佐賀市
枝吉神陽が富士山に登ったことが知らなくて、知れたのでよかったです。女11佐賀市



正月だけあって、富士山を合わせて歴史の一部を知ることができた。女36佐賀市
正直、佐賀藩の賢人のことが分かってませんでした。男44宇都宮市
臨場感があり、引き込まれたから。男27佐賀市
初めて見ました。もっと見たくなりました。男40合志町
表現、声がよく、わかりやすかった。女57小城市
自分の知らない人物の事まで分かってよかった。男11広島市
ユーモアを交えて、わかりやすく演じてもらった。男57牛津町



距離が近く迫力があった。男28大阪市
佐賀の歴史をわかりやすく伝えていただいた。男65佐賀市
佐賀の偉大さを再認識できた。男61東京都
とのもセリフが出てこないことがあるんですね。初めて見た演目でした。面白かったです。勉強になりました。女25愛知県
とてもやった事などが分かりやすく勉強になったから。女12東京都
演じる役者のみなさんの強い思いが伝わってくるため。男43佐賀市
真剣にされている姿がとてもよかったです。男38熊本市
お正月から勉強になりました。女52神戸市



勉強になりました。志が伝わりました。女25京都市
脚本。男40佐賀市
キャラがたっていてよかったが、テンポがおそかった。女26
人物像が魅力的でした。女48千葉市
知らないことが、わかりやすく説明されていたので。男62東京都
賢人の人柄が良くわかり、おもしろかった。男33東京都
この劇で枝吉神陽の働きを始めて知りました。ありがとうございました。女60佐賀市



内容がハッキリしているから。男42県外
俳優さんの熱に打たれた。男44佐賀市
佐賀県民として知っておくべき知識ですので、ありがとうございました。女39佐賀市
佐賀の八賢人のことが、なおいっそうくわしくわかり感動致しました。女67佐賀市
声もききとりやすく、言葉もわかりやすかった。とても勉強になったし、当時の熱が伝わってきた。女28福岡市
身近に感じられる寸劇で、内容も分かりやすかった。また見に来たい。男30佐賀市
ありがとうございました
■「好きな賢人」は!?いろいろなコメントをいただきました。

大隈歴史の教科書で知っているから。男55若宮市

佐野今日の寸劇を見て自分もがんばろうと思えたので。男22若宮市
全員日本をいい国に作るためにがんばっている所。男50久保田町
枝吉・殿・佐野かっこいい。女35中国

殿人を生かせる人だったから。女44佐賀市
全員皆さん全力で演じられているので。女40佐賀市
殿・佐野今の日本を作った人だから。女46神奈川県
大隈とにかくえらい。男58佐賀市
大隈・殿鍋島公のシンパシーを感じるため。男45仙台市
殿おとの様だから。女10名古屋市
全員カッコイイ。女6佐賀市

▲写真は大木喬任
殿日本の技術の先方。男53佐賀市
佐野佐賀東高職員です。頑張ってください、たかす君。男46佐賀市
枝吉・殿・佐野今日見ておもしろかったから。女44小城市
大隈・枝吉・佐野それぞれに個性と勇気が溢れている。男75佐賀市
大隈早稲田大学を作った。内閣総理大臣になった。男47佐賀市
大隈・枝吉・殿大隈重信は家の近くだから。女11佐賀市

島男気あるから。女36佐賀市
佐野いち早く世界に出て学び、自国に知識を広げた人だから。男27佐賀市

江藤大久保がきらい。男40合志町
佐野日本赤十字社。女57小城市
大隈すごい人だから。男11広島市
大隈・副島・殿・佐野佐賀を世界へ伝えた。男65佐賀市
全員佐賀の賢人だから。男61東京都
全員4歳の娘が大ファンです。男43佐賀市
大隈・江藤佐賀出身として嬉しいから。男38熊本市
殿なりきっていた。女26

副島書。女48千葉市
江藤記念碑建、時々歌を歌っているから。女福岡市
枝吉・副島二方の親族なので。女39佐賀市
大隈・枝吉・副島・殿親族なので(枝吉・副島)女67佐賀市

枝吉今日の寸劇でファンになった。女28福岡市
枝吉・殿・佐野初めて見た3人ともキャラと演技がよかった。男30佐賀市
ありがとうございました。
上演の後には、「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンは大隈重信もその味を愛したという、鶴屋菓子舗さんの「まるぼうろ」がいただけるプレゼントクーポンでした。
鶴屋さんのHPです
http://www.marubouro.co.jp/
このクーポンは8日間有効ですので、次回の日曜上演日である2017年1月8日までお使いいただけます。
2017年1月の上演予定■
1月8日(日) 第239日目
『あの夜のままで。』
【大隈重信、島義勇、副島種臣】

人は誰でも不遇の時がある。足軽鉄砲隊に身をやつした佐賀藩一の秀才、副島種臣、37歳。再生を促したのは、幼馴染みのあの男のひとことだった・・・。
1月15日(日) 第240日目 ※5回目には第1200回上演記念お楽しみあり
『まるぼうろ』
【大隈重信、大木喬任、副島種臣】

人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
1月22日(日)第241日目
『良いではないか。』
【佐野常民、副島種臣、島義勇】

日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と島に語ったのは意外な言葉だった・・・
1月29日(日) 第242日目
『酒もってこい』
【大木喬任、江藤新平、島義勇】

八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
さて、より賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
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楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
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http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
2017年もみなさまにとってよき一年になりますように!
また日曜日に本丸歴史館でお目にかかりましょう!
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
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「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)