2017年11月03日

今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻

毎日が記念日!
幕末・維新の佐賀の八賢人の活躍と、
戦国時代の龍造寺・鍋島両家の休む間もない連戦の記録で
佐賀には365日なにかしら記念日があります。

11月1日~11月15日の出来事をご紹介します
出来事にちなんで作られた「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
歴史寸劇演目のお写真もお楽しみください


11月1日

江戸時代末期1806文化3鍋島直正
古賀穀堂が「学政管見」を著し、学問を奨励。鍋島閑叟(杉谷昭) P3
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲歴史寸劇「あまねく、人を」の古賀穀道。鍋島直正の幼少期からの家庭教師的な役割であった

江戸時代末期1834天保5鍋島直正
鍋島直正、親類、家老を召集し藩の国民性を厳しく批判。「総じて国風を熟察すると、怠け心強く、あるいはなすことが遅く、遊びを好み、自分の短所を粉飾し、人の長所を妬むなどの宿弊が甚だしく・・・」幕末の鍋島佐賀藩 P38
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲歴史寸劇「あまねく、人を」の鍋島直正。

江戸時代末期1856安政3島義勇
島義勇が京都で僧、月性を親しく訪問。鍋島閑叟(杉谷昭) P59
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲一張羅でおめかしして京都をゆく島義勇(歴史寸劇「良いではないか。」より)

11月2日

江戸時代末期1863文久3鍋島直正
長州の木戸孝允(桂小五郎が変名)が佐賀城下に来る。鍋島直正に対し、「8月18日の政変」で京都を追われた尊攘派の長州藩の立場を釈明し、さらに攘夷の実行と「皇国」のための上京を求めた。大隈重信(大園隆二郎著) P133
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲大隈重信から佐賀藩が長州攻めに加担すると聞いて憤り島義勇(歴史寸劇「あの夜のままで。」より)

明治時代1870明治3大隈重信
大久保利通らの遣外使節団に、大隈重信が間近に迫った新鋳貨の発行を機にアメリカの財政や金融、貨幣制度全般を視察させる目的で部下の伊藤博文を参加させる。伊藤らは、夕方、横浜からサンフランシスコ目指して出港。円を作った男(小説・大隈重信)
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲日本の近代国家の礎作りに動き出す大隈重信

明治時代1877明治10大木喬任
大木喬任が勲一等、旭日大糸受章を賜る。大木喬任年譜考 P243
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲大木喬任

11月3日

安土桃山時代1579天正7龍造寺隆信 蒲池家
蒲池鑑広、数か月にわたる山下城包囲によく耐えていたが、応援を頼みとしている生葉布陣の大友軍が豊後へ帰還してしまったこともあり、龍造寺隆信に人質をいれ、神文をしたため、降伏。"龍造寺隆信 P318「風雲 肥前戦国武将史」 P80"

江戸時代末期1832天保3鍋島直正
鍋島直正が参勤交代の供の数を家老以下81人に減らす。幕末の鍋島佐賀藩 P29
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲藩政改革を果敢に進める鍋島直正

江戸時代末期1841天保12鍋島直正
鍋島直正が老中水野忠邦と面談。蒲池直與(なおとも)を寺社奉行にしたい、という申し出を断る。(12月3日に続く)幕末の鍋島佐賀藩 P94


11月4日

室町時代1470文明2千葉(中林)胤明
千葉(中林)胤明が千葉の別家を建てた岩部播磨守を高木の館を攻めたが失敗し、逃走中に、追手と山田、大願寺のあたりで激しく戦い討ち死にしてしまった。われらの郷土 昔の今日 1月の巻

明治時代1871明治4大隈重信
大隈重信が造幣寮創設の功により目録一封賜る。歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信(荒井秀夫)
 今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻

11月5日

江戸時代末期1850嘉永3鍋島直亮
小城藩主鍋島直亮、領内を巡視する。ネット年表

明治時代1871明治4久米邦武
久米邦武が権少外史に任命され、岩倉大使に随行する。(欧米視察)郷土史に輝く人びと P213

明治時代1896明治29佐野常民
佐野常民73歳。最後の九州巡行においてまず熊本に。日本赤十字社熊本社員総会において、西南戦争中に博愛社の許可を受けた往時を語り「熊本こそ赤十字事業創業の地」と述べている。
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲佐賀新聞で佐野常民が来るのを知り浜に駆けてきた少年・田澤義鋪がであった老人は・・・(歴史寸劇「故郷(くに)ば、錦で。」

11月6日


江戸時代末期1856安政3島義勇
島義勇が江戸に入る。これから向う江戸地の情報を一カ月かけて収集開始。(12月7日江戸を出立)楠公義祭同盟 年表
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲気合いみなぎる島義勇

11月7日

江戸時代初期1637寛永14寺沢 
天草の乱を征伐するため天草島富岡に足軽大将8人を従えた部下たちが着いたが、逆に大失敗。われらの郷土 昔の今日 12月の巻

明治時代1907明治40大隈重信
大隈重信、各国大使を早稲田邸に招き、観菊園遊会を3日間(11月6日~11月8日)にわたり行う。同会はこの年が最後の開催となる。歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲大隈邸の庭が舞台となる「まるぼうろ」

11月8日

江戸時代末期1847弘化4鍋島直正
佐賀藩、長崎砲台増築砲100門を願い出て不許可。ネット年表
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲幕府の回答が遅く、焦燥感を募らせる鍋島直正はついに、独自で海防を実践しようと決心する(歴史寸劇「かちがらす」より)


11月9日

室町時代1558永禄元"龍造寺隆信
対(神代勝利・江上)"城原の江上が帰順しておきながら、少弐氏をたてて刃向かうのでは、と危惧した龍造寺隆信が、出陣し姉川に本陣を張って、蓮池の小田政光に少弐氏を攻めるよう命令。一方で江上は神代勝利に助けを求めたので神代勝利は三瀬を出て、勢福寺城に布陣。(長者林の戦い開始)神代勢に押されて、小田政光は隆信に援軍を求めるが、隆信は兵を動かさず。政光は立腹したが「隆信の計略なら仕方がない。もはや討ち死にすべし」として孤軍奮闘。ついに勝利の臣、服部常陸介に首を討たれる(牟田前の戦い)。"龍造寺隆信 P163
「風雲 肥前戦国武将史」 P56"

江戸時代末期1808文化5鍋島斉直
鍋島斉直、フェートン号事件の責任をとらされ幕府から逼塞を命じられる。佐賀県史(中巻) 年表

江戸時代末期1825文政8鍋島直正
鍋島直正12歳。将軍家斉の娘、盛姫(16歳)と結婚。郷土史に輝く人びと P45

明治時代1872明治5大隈重信
太陽暦に改定。大木喬任年譜考 P145
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲国制改革にまい進する大隈重信

明治時代1896明治29佐野常民
佐野常民73歳。最後の九州巡行において佐賀に入った翌日。鍋島直正の別業であった神野の御茶屋(現神野公園)において園遊会があり出席。多数の参会者の前で「この国家に寸功もなき常民を、かんそう公のあいせられしこの御茶屋に・・・」と演説をはじめたものの、涙で跡が続かなかった。
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲佐野常民73歳

11月10日

江戸時代末期1852嘉永5鍋島直正
鍋島直正が国産方の中にあらたに精煉方を設ける。幕末の鍋島佐賀藩 P165
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲主君の想いを代弁する佐野常民。田中からくり儀衛門と(歴史寸劇「かちがらす」より)

明治時代1871明治4久米邦武
久米邦武が岩倉大使一行に随うことになり、この日から明治6年9月13日までの回覧実記の記録をはじめる。郷土史に輝く人びと P213

11月11日

江戸時代初期1654承応3鍋島元茂
初代小城藩主、鍋島元茂没。(53歳)佐賀県史(中巻) 年表

江戸時代末期1847弘化3年枝吉神陽
枝吉神陽が3年の江戸遊学から帰り、佐賀を出る前に結婚の約束をしていた木原しづとこの日婚儀を行なう (このわずか40日後の12月21日には再び江戸行きが命じられる)枝吉神陽先生遺稿P281
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲妻おしづに夕餉のあさりを買って帰った来た枝吉神陽(歴史寸劇「もらい風呂」より)
 
江戸時代末期1862文久2久米邦武
弘道館の最優等生、久米邦武と原田敬太郎が昌平坂学問所に進学することになり、2人で江戸に旅立つ久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を

11月12日

明治時代1871明治4久米邦武
久米邦武が岩倉大使一行に随って日本・横浜港を出発する。"郷土史に輝く人びと P213久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表"

明治時代1891明治24大隈重信
大隈重信が11月8日の板垣退助との提携の約束をもって枢密顧問官を免じられる。歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲いたくたびも政争に巻き込まれるも決して挫けなかった大隈重信(歴史寸劇「まるぼうろ」より)

11月13日

江戸時代末期1845弘化2鍋島直正
佐賀藩、三支藩以下全家中の武器を検査する。ネット年表

11月14日

江戸時代初期1637寛永14鍋島直澄
鍋島直澄(肥前国蓮池藩の初代藩主)、島原の乱のため江戸を発し、下国する。

明治時代1896明治29佐野常民
佐野常民73歳。最後の九州巡行において長崎の飽の浦の造船所を視察。幕末に造船や航海に苦心した追憶の詩を詠んでいる。
今日は何の日?佐賀暦 11月1日~11月15日の巻
▲佐野常民

11月15日

室町時代1558永禄元"龍造寺隆信
対(神代勝利・江上)"龍造寺隆信、長者林の戦いの最中、勢福寺を囲む兵の一部を分離して、突如、味方の小田方で戦死した政光の遺族がいる蓮池小曲城を攻撃。「九州兵乱記」では、牟田前の戦いで、政光を助けなかったことを子供や家人らが知り、将来、隆信を敵とすることを慮り、従者まで皆殺しにしようとの考えであった」と記している。政光が討ち死にしてまだ初七日も迎えていない城内では、龍造寺が攻めてくるなど夢にも思わず、逃げ惑うばかり。老臣深町理忠は城戸を守って防戦する一方で宝琳坊住職真如房澄能に頼んで政光の子、鎮光、朝光、増光らを家人一同と脱出させる"龍造寺隆信 P167
「風雲 肥前戦国武将史」 P56"

江戸時代初期1607慶長12鍋島直茂
佐賀城天守閣瓦焼きはじまる。佐賀県史(中巻) 年表

江戸時代末期1854嘉永7楠木碩水
平戸藩佐世保出身で、枝吉神陽の薫陶を受けた楠木が、この日、池田草庵(但馬の国の儒学者)に対して、佐賀藩の学風・士風を賛じ、筑前における尊皇攘夷派の幽閉・弾圧の方針を批判する手紙を送り、直正の指導力を評価し続けた。"佐賀県史(中巻) 年表
枝吉神陽先生遺稿 P250"



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Posted by 幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊 at 11:20 | Comments(0) | 佐賀暦
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