2017年07月27日
夏休み特別上演も決定★最新上演結果レポート「まるぼうろ」2017年7月23日

みなさま
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のブログをご覧になっていただき誠にありがとうございます。
7月30日の鳥栖市「まつり鳥栖」における特別上演のお知らせも最後にございます。
さらに8月13日にお盆スペシャルとして5本一挙上演、8賢人集合のお知らせもございますので
ぜひ最後までご覧ください
以下、最新の上演の様子を写真とアンケートでレポートします
上演:2017年7月23(日) ※第267日目
場所:佐賀城本丸歴史館 四ノ間
『まるぼうろ』
人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
登場賢人

大隈重信
青柳達也

副島種臣
西正

大木喬任
嵯峨賢成
演出:浦川美紀
脚本:桜井篤

当日アテンド:野口美香
記録:飯田豊一
撮影:飯田豊一
プロデュース:桜井篤

観客数146人
※ボランティアスタッフ含む
●アンケート結果
アンケート回答人数69(占有率50.7%)
アンケート結果
満足率98.6%
(大変面白かった・・63.8%、面白かった34.8%)
寸劇上演を知っていた・・28%
来館目的が観劇・・・16%
本丸歴史館にはじめて来た・・・68%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・0.0%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです
楽しみながら歴史の勉強になりました。女54北九州市
ニュー大木さん、イケメンで面白いですね。推せます。女佐賀市
面白かった。子供にもわかりやすし。男48千葉県
演技がうまくて感動した。女37千葉県



佐賀人をいろいろ知ることができておもしろいでした。女56鹿児島市
新鮮な感じでした。女56多久市
分かりやすい芝居でした。女17熊本市
方言を使ってあり、楽しめました。女30筑後市
勉強になりました。



明治維新の歴史を思い出した。女40熊本市
目の前で劇が見られたので。男8神埼市
役者さんの熱演で。男62柳川市
3人が寸劇の中で表情が活き活きしていて、とても良かった。胸がアツくなりました。女33宇都宮市



めいじじだいの日本の話がきけてべんきょうになった。女8
テンポがいい。女61柳川市
単純な歴史の説明のみでなく、かけ合いがよかった。男32兵庫県
わかりやすく、人物像がえかがれていた。男60兵庫県



ストーリーがあり、ユーモアにすぐれている。男64岡山市
歴史上の人物をわかりやすく。女73唐津市
まるぼうろの話で。7唐津市
初めて知った人々がいたので。男39久留米市



声や表情がはっきりして、感情移入しやすかったです。男28東京都
わかりやすかった。男44佐賀市
れきしが分かった。女10佐賀市
歴史が分かったので。女38佐賀市



わかりやすく、佐賀のことをおしえてくれたから。女10佐賀市
それぞれのキャラクターが分かりやすい。男44飯塚市
劇がうまかった。女48佐賀市
県外から初めて来たので、知らないことが多く、おもしろかったです。女50千葉県



3人がとてもなかよしだった。
子どもたちにもわかりやすくて、楽しめた。女42多久市
佐賀弁を使ったわかりやすい公演だったと思います。御苦労様です。男51多久市
3回目ですが、物語がちがうのが見れてよかったです。毎回楽しみにしています。女40春日市



歴史が好きだから毎回楽しみにしています。男13春日市
お客さんに話しかけたりして判りやすく佐賀のことをおしえてくれたので。女10佐賀市
なぜかというと、ぼくたちを話しに入れてくれたから。男11鳥栖市
とても面白かったです。観客へのといかけなどで、とてもおもしろくすることができました。ありがとうございました。男13佐賀市



ユーモアを交え、観客との絡みもあり、堅苦しい歴史をとても楽しく知ることができました。女39佐賀市
3人のかけあいがおもしろかったです。女24諫早市
歴史は苦手だが、わかりやすく、おもしろかった。男56諫早市
観客を引き込んで進めていかれるところ。みごとな方言。女48諫早市



楽しく観させていただきました。女18佐賀市
佐賀に引越しにきて、佐賀のことを知りたいと思ったから。女48佐賀市
硬い劇かと思っていたが、そんなことはなく、とてもなじみやすく楽しめるものだと思った。男20佐賀市
まるぼうろは3回目です。人の為、世の為、自分にも何が出来るか考えてこれからを過ごしたいと思います。母の味、亡くなりましたが、思い出しました。女55佐賀市




しっかりえんぎをしていた。男69鳥栖市
今日は、まるぼうろの話でしたが、佐賀の歴史に少しふれて良かった。男59福岡市
ちょっと、佐賀県人の事、知りました。外国の方がいらっしゃったので、かんたんな英語のチラシがあったらと思いました。女59福岡市




ありがとうございました。
■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。
大隈・副島・江藤他の方知らず。おもしろかった。女56鹿児島市

大隈かっこいいから。女30筑後市
大隈かっこいいから。女8神埼市

殿先見の政策を執られた。男62柳川市
殿昔にすごい事をした人だから。女40神埼市
大隈教育者。男64岡山市
大隈・江藤・大木今日の劇で好きになりました。男28東京都

江藤私が神野地区に住んでいるから知っている。女10佐賀市
全員歴史上、日本を動かした。男佐賀市
大隈・佐野知っている。男51多久市

全員佐賀のためにつくしてくださったから。女10佐賀市
殿佐賀藩をよりかっぱつにしたから。男11鳥栖市
全員日本のために働いてくださったからです。男13佐賀市
全員雑念なく素朴で世のため人のため、大きな事を成しとげた賢人さん達が好きです。女39佐賀市


副島書に興味があるから。女24諫早市
副島書家としての先生で。女48諫早市
大隈・副島・江藤・島・大木・佐野それぞれの観光地、こちらの劇で行き、学んだから。女48佐賀市
全員佐賀から出た偉人かつ素晴らしい人達だと思います。女55佐賀市
大隈・副島・大木日本の維新のいしずえになっている。男59福岡市
大隈教育に関して頑張ったかなあ。女59福岡市
ありがとうございました。
上演の後には「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンは劇中にも登場した鶴屋さんの「まるぼうろ」2個プレゼント券でした。
このクーポンチケットは翌週の日曜日まで使えるので、次週7月30日(日)にお越しいただいた折りにでもお使いいただければと考えております。
★今後の上演予定(~8月30日)
佐賀城本丸日曜日の今後の上演予定■
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
7月30日(第268日)
『酒もってこい』
八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。新しい世の中の礎を「教育」と定め、小学校制度を作ることとなる男の魂の物語

大木喬任、島義勇、江藤新平
――――――――――――――――――――――――――
※またこの日は佐賀県鳥栖市フレスポ鳥栖の「まつり鳥栖」でも佐賀県の
「肥前さが幕末維新博推進協議会」からのご依頼をいただき上演します!
演目●『良いではないか。』
出演賢人●佐野常民、江藤新平、副島種臣
時間●
14:00~14:30 上演(ステージイベントの一プログラムなので、多少前後する可能性あり)
15:20~ パレードに参加など
場所●フレスポ鳥栖 」ステージ
――――――――――――――――――――――
8月6日(第269日)
『良いではないか。』
日本を離れてわずか一年。激動の佐賀に帰ってきた佐野常民。佐賀の危機を救おうと躍起になる副島と江藤に語ったのは意外な言葉だった・・・

●佐野常民、副島種臣、江藤新平
8月13日(第270日)
★お盆スペシャル~八賢人全員集合~
※テーマは「偲(しの)ぶ」 亡き賢人の徳を感じさせる5本を上演
10:00~ 『もらい風呂』 枝吉神陽、副島種臣、大隈重信

11:30~ 『さがんもん』 江藤新平、島義勇、副島種臣

13:00~ 『散るもまた良し』 鍋島直正、大木喬任、佐野常民

14:30~ 『おないとし』佐野常民、枝吉神陽、島義勇

16:00~ 『どがんすっと、大隈?』大隈重信、枝吉神陽、江藤新平、副島種臣、佐野常民

8月20日(第271日)
『鬼の首あげい!』

1868年(明治元年)春。「英語はしゃべれるか?喧嘩は強いか?」新政府から不思議な質問を受けて、急ぎ長崎から大阪へ船で向かう大隈重信、31歳。たまたま乗り合わせていた同郷のあの男から、行く手に待ち受けているものの、身の毛もよだつ噂を聞く。
●大隈重信、島義勇、江藤新平
8月27日(第272日)
『おないとし』

漢学や医学、国学に陽明学。「なにものかにならんばっ!」と己が信じる勉学に励み、日夜議論を尽くしていた佐賀鍋島の藩校弘道館の若き俊英、枝吉神陽、島義勇、そして佐野常民。同じ歳の3人が18回目の夏を迎えた1840年天保11年7月のある日。ついに激動の時代の幕開けを告げるある知らせが遠く大陸から届いた・・・。
●佐野常民、枝吉神陽、佐野常民
さて、最後に、賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
2017年07月22日
「鬼の首あげい」★2017年7月16日 佐賀城本丸歴史館
みなさま
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のブログをご覧になっていただき誠にありがとうございます。
以下、最新の上演の様子を写真とアンケートでレポートします
上演:2017年7月16日(日) ※第266日目
場所:佐賀城本丸歴史館 御座間(1~4回目)四ノ間(5回目)
『鬼の首あげい!』
11868年(明治元年)春。「英語はしゃべれるか?喧嘩は強いか?」新政府から不思議な質問を受けて、急ぎ長崎から大阪へ船で向かう大隈重信、31歳。たまたま乗り合わせていた同郷のあの男から、行く手に待ち受けているものの、身の毛もよだつ噂を聞く。
登場賢人

大隈重信
青柳達也

島義勇
谷口文章

江藤新平
石井晃一
演出:西正
脚本:クガカオル 脚色:桜井篤

当日アテンド:能隅亜紀
記録:飯田豊一
撮影:飯田豊一、中本英一
プロデュース:桜井篤
観客数155人
※ボランティアスタッフ含む
●アンケート結果
アンケート回答人数61(占有率42.4%)
アンケート結果
満足率98.4%
(大変面白かった・・70.5%、面白かった27.9%)
寸劇上演を知っていた・・34%
来館目的が観劇・・・23%
本丸歴史館にはじめて来た・・・38%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・8.7%
■以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです
実話に基づいた劇でわかりやすかった。女50佐賀市
わかりやすかつた。女50佐賀市
力強さと笑いがあり引き込まれる演技でした。毎回知らないことを学ばせてもらっています。女55佐賀市
勉強になりました。ドラマチックでした。女奈良県


知らない事がたくさんありました。女59小郡市
史実をわかりやすくやっていたこと。男42白石町
主張することと主張することは大事かも。でも危機的な状況に陥らないとできないかも。男50佐賀市
大隈重信のことをあまり知りませんでした。勉強になりました。男47小城市

歴史を勉強できてよかった。女44豊中市
歴史に基づいているから。男48横浜市
良い感じにテンポが良かった。男48豊中市
分かりやすい劇で歴史がよくわかりました。女52神埼市
本日の劇の内容の事ははじめてしりました。今後もいろいろ劇を見せて下さい。


演技がうまい。女70小城市
明治維新の知られざる歴史を判りやすく面白く演じていただいた。今後も期待している。男57佐賀市
佐賀賢人のしらないことがわかった。男49宮崎市
観客とのコミュニケーションもまじえ親しみやすく楽しかった。女68福岡市
力強い演技。女67伊万里市


テンポが良く分かりやすかった。男47大牟田市
史実に基づいた観劇で、とても楽しくわかりやすかったので。女33諫早市
演技力。男70北九州市
知らなかった歴史について面白く分かり易く知られたので。女41大牟田市
佐賀に引越ししてきて、佐賀のことを知りたいと思っていたから。女48佐賀市

島先生の「今、ここがふんばり時」という言葉がすごくひびきました。女40佐賀市
先週とうってかわってフリーダムな江藤さんが見れてよかったです。女18
迫力があってよかった。男40東京都
わかりやすい。男44愛知県
英語の説明があったら良いかも。女東京都


いっしょうけんめいで良かったです。がんばって下さい。男57福岡市
おもしろかった。男68福岡市
日本史が好き。女58
力いっぱい演じていただいき感動しました。男60福岡市
少人数でありながら熱心に楽しく演じておられ、とてもよかった。とても親しくお話をされてよかった。知らなかったのでラッキーでした。
コントみたいでおもしろいから。女12唐津市
知らなかったことが多くて興味深かった。男47佐世保市

八賢人のことを知ることができた。男43佐賀市
観客の人達をまき込むのが面白かったです。女50長崎市
頑張られていた。元気がもらえた。
話はまったく知らなかったけど、おもしろおかしく説明があって楽しかったです。誕生日に楽しい話がきけました。女40愛知県

歴史がわかりやすくて楽しかった。女16佐世保市
知らなかった歴史を、おもしろく楽しく知ることができてよかった。男40みやき町
おもしろくてたのしかったです。男6太良町
とても分かりやすく幕末のことがよく知ることができた。
頑張っている。男68小郡市
わかりやすかったです。女39福岡市

わかりやすい。男42福岡市
とても一生懸命やられていたので、楽しかったです。女45荒尾市
がんばってください。また見に来ます。女9みやき町
ありがとうございました。
■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。
全員八賢人の本で知った。女50佐賀市
全員日本の為に行動した人達だから。女55佐賀市


大隈立派なので。女奈良県
大隈・江藤・島面白かったです。女44豊中市
大隈・江藤・島面白いから。女70小城市
大隈・副島・江藤・島・殿・大木・佐野佐賀を支えた人。女67伊万里市
大隈・江藤・島今日、どんな偉人か知ることができたので。女35諫早市
大隈・江藤・島・佐野それぞれの観光地に行き、学んだから。女48佐賀市
大隈早稲田。女70福岡市
江藤信念。男68福岡市

全員佐賀の為、日本の為に尽くしたから。女58
大隈・江藤・島本日演じていただいたので。男60福岡市
島明るいキャラだから。女12唐津市

大隈知っているから。女16佐世保市
副島苗字が同じだから。女9みやき町

全員今日の日本になくてはならない人達です。女40佐賀市
佐野日赤など現在も活動しているため。男43佐賀市

江藤・島維新の頃の人物だから。男40東京都
ありがとうございました。
上演の後には「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンはさがレトロ館さんの「黒茶」サービス券でした。
このクーポンチケットは翌週の日曜日まで使えるので、次週7月23日(日)にお越しいただいた折りにでもお使いいただければと考えております。
佐賀城本丸日曜日の今後の上演予定■
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
7月23日(第267日)
『まるぼうろ』
人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す

大隈重信、大木喬任、副島種臣、
7月30日(第268日)
『酒もってこい』
八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。新しい世の中の礎を「教育」と定め、小学校制度を作ることとなる男の魂の物語

大木喬任、江藤新平、島義勇
さて、最後に、賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のブログをご覧になっていただき誠にありがとうございます。
以下、最新の上演の様子を写真とアンケートでレポートします
上演:2017年7月16日(日) ※第266日目
場所:佐賀城本丸歴史館 御座間(1~4回目)四ノ間(5回目)
『鬼の首あげい!』
11868年(明治元年)春。「英語はしゃべれるか?喧嘩は強いか?」新政府から不思議な質問を受けて、急ぎ長崎から大阪へ船で向かう大隈重信、31歳。たまたま乗り合わせていた同郷のあの男から、行く手に待ち受けているものの、身の毛もよだつ噂を聞く。
登場賢人

大隈重信
青柳達也

島義勇
谷口文章

江藤新平
石井晃一
演出:西正
脚本:クガカオル 脚色:桜井篤

当日アテンド:能隅亜紀
記録:飯田豊一
撮影:飯田豊一、中本英一
プロデュース:桜井篤
観客数155人
※ボランティアスタッフ含む
●アンケート結果
アンケート回答人数61(占有率42.4%)
アンケート結果
満足率98.4%
(大変面白かった・・70.5%、面白かった27.9%)
寸劇上演を知っていた・・34%
来館目的が観劇・・・23%
本丸歴史館にはじめて来た・・・38%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・8.7%
■以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです
実話に基づいた劇でわかりやすかった。女50佐賀市
わかりやすかつた。女50佐賀市
力強さと笑いがあり引き込まれる演技でした。毎回知らないことを学ばせてもらっています。女55佐賀市
勉強になりました。ドラマチックでした。女奈良県


知らない事がたくさんありました。女59小郡市
史実をわかりやすくやっていたこと。男42白石町
主張することと主張することは大事かも。でも危機的な状況に陥らないとできないかも。男50佐賀市
大隈重信のことをあまり知りませんでした。勉強になりました。男47小城市

歴史を勉強できてよかった。女44豊中市
歴史に基づいているから。男48横浜市
良い感じにテンポが良かった。男48豊中市
分かりやすい劇で歴史がよくわかりました。女52神埼市
本日の劇の内容の事ははじめてしりました。今後もいろいろ劇を見せて下さい。


演技がうまい。女70小城市
明治維新の知られざる歴史を判りやすく面白く演じていただいた。今後も期待している。男57佐賀市
佐賀賢人のしらないことがわかった。男49宮崎市
観客とのコミュニケーションもまじえ親しみやすく楽しかった。女68福岡市
力強い演技。女67伊万里市


テンポが良く分かりやすかった。男47大牟田市
史実に基づいた観劇で、とても楽しくわかりやすかったので。女33諫早市
演技力。男70北九州市
知らなかった歴史について面白く分かり易く知られたので。女41大牟田市
佐賀に引越ししてきて、佐賀のことを知りたいと思っていたから。女48佐賀市

島先生の「今、ここがふんばり時」という言葉がすごくひびきました。女40佐賀市
先週とうってかわってフリーダムな江藤さんが見れてよかったです。女18
迫力があってよかった。男40東京都
わかりやすい。男44愛知県
英語の説明があったら良いかも。女東京都


いっしょうけんめいで良かったです。がんばって下さい。男57福岡市
おもしろかった。男68福岡市
日本史が好き。女58
力いっぱい演じていただいき感動しました。男60福岡市
少人数でありながら熱心に楽しく演じておられ、とてもよかった。とても親しくお話をされてよかった。知らなかったのでラッキーでした。
コントみたいでおもしろいから。女12唐津市
知らなかったことが多くて興味深かった。男47佐世保市

八賢人のことを知ることができた。男43佐賀市
観客の人達をまき込むのが面白かったです。女50長崎市
頑張られていた。元気がもらえた。
話はまったく知らなかったけど、おもしろおかしく説明があって楽しかったです。誕生日に楽しい話がきけました。女40愛知県

歴史がわかりやすくて楽しかった。女16佐世保市
知らなかった歴史を、おもしろく楽しく知ることができてよかった。男40みやき町
おもしろくてたのしかったです。男6太良町
とても分かりやすく幕末のことがよく知ることができた。
頑張っている。男68小郡市
わかりやすかったです。女39福岡市

わかりやすい。男42福岡市
とても一生懸命やられていたので、楽しかったです。女45荒尾市
がんばってください。また見に来ます。女9みやき町
ありがとうございました。
■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。
全員八賢人の本で知った。女50佐賀市
全員日本の為に行動した人達だから。女55佐賀市


大隈立派なので。女奈良県
大隈・江藤・島面白かったです。女44豊中市
大隈・江藤・島面白いから。女70小城市
大隈・副島・江藤・島・殿・大木・佐野佐賀を支えた人。女67伊万里市
大隈・江藤・島今日、どんな偉人か知ることができたので。女35諫早市
大隈・江藤・島・佐野それぞれの観光地に行き、学んだから。女48佐賀市
大隈早稲田。女70福岡市
江藤信念。男68福岡市

全員佐賀の為、日本の為に尽くしたから。女58
大隈・江藤・島本日演じていただいたので。男60福岡市
島明るいキャラだから。女12唐津市

大隈知っているから。女16佐世保市
副島苗字が同じだから。女9みやき町

全員今日の日本になくてはならない人達です。女40佐賀市
佐野日赤など現在も活動しているため。男43佐賀市

江藤・島維新の頃の人物だから。男40東京都
ありがとうございました。
上演の後には「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンはさがレトロ館さんの「黒茶」サービス券でした。
このクーポンチケットは翌週の日曜日まで使えるので、次週7月23日(日)にお越しいただいた折りにでもお使いいただければと考えております。
佐賀城本丸日曜日の今後の上演予定■
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
7月23日(第267日)
『まるぼうろ』
人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す

大隈重信、大木喬任、副島種臣、
7月30日(第268日)
『酒もってこい』
八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。新しい世の中の礎を「教育」と定め、小学校制度を作ることとなる男の魂の物語

大木喬任、江藤新平、島義勇
さて、最後に、賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
2017年07月16日
今日は何の日「佐賀暦」7月16日~7月31日
佐賀は明治新国家の礎を築いた8人もの賢人を輩出したまち。
彼らは命の灯が燃える間に、大急ぎで国造りに奔走しました。
ですから、賢人にゆかりのある日を調べて、
さらに、龍造寺、鍋島と続く佐賀の戦国時代の躍動とあわせると
一年365日、毎日なにかしら歴史上の出来事が起こっているのです。
そこで作った「佐賀暦」。
ぜひ、「今日は何の日?」と楽しんでいただければ幸いです。
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊の、それら出来事に関係する上演の様子とともにお楽しみください。

7月16日
江戸時代後期1763宝歴13売茶翁
売茶翁 没。 89歳ウィキペディア

▲「12賢人バッジ」の売茶翁(12賢人バッジは、佐賀城本丸歴史館で購入できます(1個100円)
売茶翁について (肥前通仙亭さんのHP)
http://www.kouyugaibaisao.com/whats/index.html
7月16日
江戸時代末期1834天保5鍋島直正
鍋島直正、八幡小路に医学寮を建てる。幕末の鍋島佐賀藩 P35
★現代の好生館につながっています。
好生館(現在の佐賀県医療センター)の歴史がわかるHPです
http://www.koseikan.jp/about/history/history/index.html
好生館180周年祝賀会では
おもてなし隊の役者らが出演しておもてなし隊のプロデューサーの桜井が脚本を書いたオリジナル書下ろし劇「あまねく人を」という好生館の偉人たちを演じた大河劇も上演いたしました

▲当日の様子。写真ご提供は12賢人の一人「相良知安」のご子孫、相良隆弘さん

▲「12賢人バッジ 相良知安(12賢人バッジは、佐賀城本丸歴史館で購入できます(1個100円)
相良知安についてのHP(相良隆弘さん作成)
http://sagarachian.jp/main/1.html
江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
鍋島直正が徳川慶喜と会談。長州処分の意見を発表。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

▲副島種臣、江藤新平らが京都で奔走するが、結局は長州を征伐する兵を集めることとなる
(歴史寸劇「良いではないか?」の一幕より。京都の貴族から長州征伐のための兵を集めるよう指弾される副島種臣)
明治時代1868明治元鍋島直正
鍋島直正が帰城。郷土史に輝く人びと P50

▲佐賀城の石垣と鍋島直正
明治時代1898明治31大木喬任
民法全編が整い、施行開始。大木喬任年譜考 P537

▲大木喬任、地味ながらコツコツと
7月17日
江戸時代末期1852嘉永5鍋島直正
鍋島直正が作らせた大砲のうち第14番目が完成。やっと使える大砲が誕生。幕末維新と佐賀藩 P39


▲「人は熱でできている」(歴史寸劇「茶飲みに来んか?」で反射炉と人の在り方を江藤、大木に説く鍋島直正)
明治時代1868明治元大木喬任 江藤新平
江藤、大木らの努力が実り、江戸は東京と改称される。(東京遷都へ)大木喬任年譜考 P46

▲東京遷都のアイディアを聞いてもらおうと鍋島直正のもとを訪れる江藤新平と大木喬任(歴史寸劇「茶飲みに来んか?」より)
明治時代1884明治17副島種臣
副島種臣、大木、大隈に10日遅れて伯爵位を授けられる。大木喬任年譜考 P365

▲明治の政府機能の組織をほぼ一人で考案した副島種臣。若い頃の劣等感をふりほどき、やがて当代一の知識人となる
7月18日
明治時代1871明治4江藤新平
「大学」が廃止。かわって「文部省」が創設され、初代文部大輔(卿は不在)に江藤新平がなる。※江藤新平はわずか10日間の就任だったがその間に才腕を振るう。文部省官制、職務規定、権限などを定めた。大木喬任年譜考 P94

▲蘭学舎で勉学に励む江藤新平。需骨としての生涯を駆け抜けた(歴史寸劇「ならば需骨よ」より)
7月19日
室町時代1550天文19龍造寺隆信
龍造寺胤信は大内義隆に偏きを与えられ隆胤、ついで、この19日に隆信と名乗る。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P84
江戸時代末期1864元治元年江藤新平
1862年6月27日の脱藩の罪で、永蟄居の刑を受けていたが、この日に刑を解かれる佐賀偉人伝「江藤新平」P27

▲謹慎中にもかかわらず、牛津の宿に現れた江藤新平 お面をつけてばれないつもりでいる(歴史寸劇「聞き耳えびす」より)
江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
鍋島直正が二条城で将軍(徳川慶喜)と会う。郷土史に輝く人びと P49
7月20日
江戸時代末期1854嘉永7鍋島直正
佐賀藩士、本島藤太夫、杉谷擁(手編とる)介、中村奇輔らが蘭館で鋳砲技術の伝授を受ける。7日間。(7月6日に幕府が大砲200門を佐賀藩に製造依頼をしたため許可された)鍋島閑叟(杉谷昭) P24
明治時代1869明治2島義勇
島義勇が北海道開拓使判官に任じられる。佐賀市史その3 年表

▲「札幌のまちを世界中の人に見せてやりたかった・・」敗色色濃い戦場の片隅で、人生を振り返る島義勇。(歴史寸劇「さがんもん」より)
明治時代1888明治21佐野常民
佐野常民の日本赤十字社が初の災害救護事業を実施することになる。7月15日朝7時45分に突如大噴火をはじめた会津磐梯山の惨事にたいし、この日救護員は東京を出発。日赤の創始者 佐野常民 P162

▲熊本地震の際に本丸歴史館の観客の皆様から預かった義捐金をもち
熊本の赤十字を訪れた佐野常民役鷹巣将弥と日本赤十字記念館(熊本市内)
7月21日
安土桃山時代1579天正7龍造寺隆信
龍造寺隆信、伊駒野城主川崎鎮堯征伐。成富信安の活躍により、落城。"龍造寺隆信 P319 「風雲 肥前戦国武将史」 P80 "
安土桃山時代1583天正11龍造寺隆信 鍋島直茂
昨年暮れに龍造寺を断ち、島津氏に通じて叛旗を翻したため、龍造寺に攻められ孤立無援となった鷹尾城の田尻鑑種が龍造寺隆信に起請文を提出して和議成立する。(ただし、和議の条件が煮詰まらなかった内に、豊後から大友軍援軍の報告や島津軍からの兵糧搬入の報が入り、1か月ほど後に再び叛き戦いが再開される(~12月25日和睦、田尻の所領換えに終わり、筑後の田尻氏の抵抗は完全に終止符が打たれる)史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P146
安土桃山時代1592天正20"鍋島直茂 鍋島・龍造寺軍"
文禄の役・オランカイに北上する加藤清正の軍とわかれた鍋島直茂の軍が咸鏡道(ハムギョンド)攻略のため、安辺を発って、この日咸興(ハムフン)に入る。文禄・慶長の役(吉川弘文館) P66
明治時代1888明治21佐野常民
佐野常民の日本赤十字社が初の災害救護事業を実施することになる。7月15日朝7時45分に突如大噴火をはじめた会津磐梯山の惨事にたいし、昨日東京を発した救護員は郡山からは徒歩で峠を越え、この日に猪苗代町に達する。日赤の創始者 佐野常民 P162

▲日本赤十字設立の思いを語る佐野常民(歴史寸劇「良いではないか。」のラストシーンより)
7月22日
安土桃山時代1600 慶長 鍋島勝茂
西軍が東軍の伏見城攻めをこの日はじめる。鍋島勝茂軍も勇躍したため、秀家からの信頼は一層厚くなり、鈴鹿峠を超えて伊勢に進撃する際には先陣の大将を命じられた葉隠物語 P74
江戸時代末期1855安政2枝吉神楊
枝吉神楊、吉田松陰に「奇男子」と称される。(「西遊日記」「吉田松陰全集第10巻」) 会ったのは1850年12月20日~24日の間と思われる(松陰の日記より)楠公義祭同盟

▲「九州に行くなら、佐賀でこの人に会いなさい」と吉田松蔭が奨めたと言われる枝吉神陽(シルエット)
7月23日
江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
鍋島直正 はじめて明治天皇に拝謁。※他に京都滞在中に慶喜と会見するが、内容を志士等に明かさず、29日しか京都に滞在せず帰国。大木らは失望する。"大木喬任年譜考 P36※は楠公義祭同盟"

▲幕末から維新にかけてこの人の挙動が注目され、なかなか考えが理解されず、「肥前の妖怪」との異名さえついた鍋島直正
明治時代1870明治3佐野常民
兵部少丞佐野常民が海軍建設の準備のためオランダ人E.W.スヘメールと英国人T.スノードンの二人を兵部省に雇い入れた。日赤の創始者 佐野常民 P49
7月24日
室町時代1570元亀元龍造寺隆信 大友宗麟
大友宗麟は水軍で佐賀城を南から浮盃津に三度目の攻撃。三たび撃退龍造寺隆信 P224
明治時代1888明治21佐野常民
佐野常民が日本赤十字の初の災害救護事業の現場となって3日前からはじまっている猪苗代地帯の救護の現場に赴く(たまたま仙台に出張していた帰り)。福島県知事にあって皇后陛下の思し召しを伝え、負傷者を慰問して、華族から委託された救恤金(きゅうじつきん)を渡すなどする。日赤の創始者 佐野常民 P162
7月25日
室町時代1553天文22龍造寺隆信
龍造寺隆信、一木村を出立して川副に再上陸開始。(鹿江兼明の船にて)龍造寺隆信 P126
室町時代1563永禄6龍造寺隆信
龍造寺側の謀略により不意打ちを食らった多久・有馬連合軍が激怒して、島原弥助を大将として砥川へ攻め寄せ一大決戦を挑むが、龍造寺側は地形に詳しく、丹坂口でこれを撃退、龍造寺側の大勝利に終わる。(百合野の戦いともいわれる)"龍造寺隆信 P190
「風雲 肥前戦国武将史」 61P"
江戸時代末期1861文久元鍋島直正
鍋島直正、三重津に汽鏙製造所を建てる。佐賀県史(中巻) 年表

▲「三重津じゃ、おぬしの故郷の三重津に海軍所を造れ」殿から命を受けた佐野常民(歴史寸劇「蝶よ、渡れ」より)
安土桃山時代又室町時代1586 OR1569天正14 又永禄12鍋島直茂
岩屋城にこもる高橋鑑雲に対して、島津の攻勢の前に、龍造寺軍の後藤、田尻らが攻撃をしかける。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P199
7月26日
江戸時代初期1607慶長12鍋島直茂
3月の隆造寺高房の自殺未遂に対して、鍋島直茂が俗に「おうらみ状」と認知されている書状をしたためる。初期の鍋島佐賀藩 P273
江戸時代後期1864元治元年鍋島直正
京都の政変(7月18日の禁門の変)の報が佐賀藩首脳部の届く 佐賀偉人伝「江藤新平」P33
7月27日
室町時代1553天文12龍造寺隆信
龍造寺隆信、鹿江の威徳寺に着して挙兵。「飯盛城の戦い」(いさかり)"龍造寺隆信 P126 地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)上 佐賀県1 P44"
室町時代1570元亀元龍造寺隆信 大友宗麟
大友宗麟は水軍で佐賀城を南から攻撃。浮盃津から再来襲。再び、撃退。龍造寺隆信 P224
江戸時代初期1627寛永4鍋島勝茂
衣装制度、祝儀音信振舞定、屋造掟、過代条目を出す。ネット年表
江戸時代後期1864元治元年江藤、大隈、副島、島、大木ら
京都の政変(7月18日の禁門の変)の報が志士たちに伝わり、動きが慌ただしくなる。軍事的緊張が一挙に高まる佐賀偉人伝「江藤新平」P33

▲この時、佐賀藩のとるべき道を模索する島義勇と大隈重信(歴史寸劇「あの夜のままで。」より)
江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
鍋島直正が、大阪にて将軍徳川慶喜と会見。佐賀市史その3 P9
7月28日
室町時代1563永禄6龍造寺隆信
龍造寺隆信、多久・有馬連合軍の残党を攻める。(高城城平井経治(つねはる)攻め)龍造寺隆信 P192
室町時代1570元亀元龍造寺隆信
大友軍が再び海上から龍造寺軍へ攻めよせるが、鍋島直茂らが防戦・撃退。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P101
室町時代1570元亀元龍造寺政家 豊臣秀吉
龍造寺政家が秀吉から従四位下に序せられて羽柴豊臣の姓並びに菊桐紋を免許され、肥前守に任じられた。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P205
江戸時代末期1834天保5鍋島直正
鍋島直正、代官のあり方について、そのあるべき姿を訓示。「代官は人柄を選び申し付けるようにすることは右に述べたとおりであえる。私が猟に出た折、そのほか代官に民間の事情を聞くなど、親しく質問するようにしたい」幕末の鍋島佐賀藩 P36
明治時代1871明治4大木喬任
民部卿をやめた大木が文部卿として着任。(~1873年4月19日)大木喬任年譜考 P94

▲ついに着任!酒を飲みながら教育制度を考える大木喬任(歴史寸劇「酒もってこい!」より)
7月29日
室町時代1548天文17龍造寺隆信
少弐冬尚の城原攻め開始。龍造寺隆信 P117
江戸時代末期1838天保9鍋島直正
鍋島直正が郷村対策、特に代官のあり方について御側から外向へお達しを行なう。幕末の鍋島佐賀藩 P83
7月30日
江戸時代初期1624寛永元妙安尼(お安)
妙安尼(お安)が79歳で息を引き取る。今の妙安寺はその開基にかかる寺。隆信の養女で政略結婚の犠牲になり小田鎮光、波多親に嫁ぎ死別、生別の憂き目を見る。われらの郷土 昔の今日 9月の巻
江戸時代末期1845弘化2鍋島直正
永山貧武、没。藤田東湖からは「諸藩中第一の良友」、佐藤一斎からは「真の善学者」とほめられ、藩主直正の信任が古賀穀堂とともに厚く、藩政の大改革に参画した。われらの郷土 昔の今日 9月の巻
7月31日
明治時代1886明治19大木喬任
大木喬任が心血を注いであたっている民法と訴訟法が、10月に発布されるということが「東京朝日新聞」を通して世の中に発表される。大木喬任年譜考 P429

▲大木喬任
彼らは命の灯が燃える間に、大急ぎで国造りに奔走しました。
ですから、賢人にゆかりのある日を調べて、
さらに、龍造寺、鍋島と続く佐賀の戦国時代の躍動とあわせると
一年365日、毎日なにかしら歴史上の出来事が起こっているのです。
そこで作った「佐賀暦」。
ぜひ、「今日は何の日?」と楽しんでいただければ幸いです。
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊の、それら出来事に関係する上演の様子とともにお楽しみください。

7月16日
江戸時代後期1763宝歴13売茶翁
売茶翁 没。 89歳ウィキペディア

▲「12賢人バッジ」の売茶翁(12賢人バッジは、佐賀城本丸歴史館で購入できます(1個100円)
売茶翁について (肥前通仙亭さんのHP)
http://www.kouyugaibaisao.com/whats/index.html
7月16日
江戸時代末期1834天保5鍋島直正
鍋島直正、八幡小路に医学寮を建てる。幕末の鍋島佐賀藩 P35
★現代の好生館につながっています。
好生館(現在の佐賀県医療センター)の歴史がわかるHPです
http://www.koseikan.jp/about/history/history/index.html
好生館180周年祝賀会では
おもてなし隊の役者らが出演しておもてなし隊のプロデューサーの桜井が脚本を書いたオリジナル書下ろし劇「あまねく人を」という好生館の偉人たちを演じた大河劇も上演いたしました

▲当日の様子。写真ご提供は12賢人の一人「相良知安」のご子孫、相良隆弘さん

▲「12賢人バッジ 相良知安(12賢人バッジは、佐賀城本丸歴史館で購入できます(1個100円)
相良知安についてのHP(相良隆弘さん作成)
http://sagarachian.jp/main/1.html
江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
鍋島直正が徳川慶喜と会談。長州処分の意見を発表。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

▲副島種臣、江藤新平らが京都で奔走するが、結局は長州を征伐する兵を集めることとなる
(歴史寸劇「良いではないか?」の一幕より。京都の貴族から長州征伐のための兵を集めるよう指弾される副島種臣)
明治時代1868明治元鍋島直正
鍋島直正が帰城。郷土史に輝く人びと P50

▲佐賀城の石垣と鍋島直正
明治時代1898明治31大木喬任
民法全編が整い、施行開始。大木喬任年譜考 P537

▲大木喬任、地味ながらコツコツと
7月17日
江戸時代末期1852嘉永5鍋島直正
鍋島直正が作らせた大砲のうち第14番目が完成。やっと使える大砲が誕生。幕末維新と佐賀藩 P39


▲「人は熱でできている」(歴史寸劇「茶飲みに来んか?」で反射炉と人の在り方を江藤、大木に説く鍋島直正)
明治時代1868明治元大木喬任 江藤新平
江藤、大木らの努力が実り、江戸は東京と改称される。(東京遷都へ)大木喬任年譜考 P46

▲東京遷都のアイディアを聞いてもらおうと鍋島直正のもとを訪れる江藤新平と大木喬任(歴史寸劇「茶飲みに来んか?」より)
明治時代1884明治17副島種臣
副島種臣、大木、大隈に10日遅れて伯爵位を授けられる。大木喬任年譜考 P365

▲明治の政府機能の組織をほぼ一人で考案した副島種臣。若い頃の劣等感をふりほどき、やがて当代一の知識人となる
7月18日
明治時代1871明治4江藤新平
「大学」が廃止。かわって「文部省」が創設され、初代文部大輔(卿は不在)に江藤新平がなる。※江藤新平はわずか10日間の就任だったがその間に才腕を振るう。文部省官制、職務規定、権限などを定めた。大木喬任年譜考 P94

▲蘭学舎で勉学に励む江藤新平。需骨としての生涯を駆け抜けた(歴史寸劇「ならば需骨よ」より)
7月19日
室町時代1550天文19龍造寺隆信
龍造寺胤信は大内義隆に偏きを与えられ隆胤、ついで、この19日に隆信と名乗る。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P84
江戸時代末期1864元治元年江藤新平
1862年6月27日の脱藩の罪で、永蟄居の刑を受けていたが、この日に刑を解かれる佐賀偉人伝「江藤新平」P27

▲謹慎中にもかかわらず、牛津の宿に現れた江藤新平 お面をつけてばれないつもりでいる(歴史寸劇「聞き耳えびす」より)
江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
鍋島直正が二条城で将軍(徳川慶喜)と会う。郷土史に輝く人びと P49
7月20日
江戸時代末期1854嘉永7鍋島直正
佐賀藩士、本島藤太夫、杉谷擁(手編とる)介、中村奇輔らが蘭館で鋳砲技術の伝授を受ける。7日間。(7月6日に幕府が大砲200門を佐賀藩に製造依頼をしたため許可された)鍋島閑叟(杉谷昭) P24
明治時代1869明治2島義勇
島義勇が北海道開拓使判官に任じられる。佐賀市史その3 年表

▲「札幌のまちを世界中の人に見せてやりたかった・・」敗色色濃い戦場の片隅で、人生を振り返る島義勇。(歴史寸劇「さがんもん」より)
明治時代1888明治21佐野常民
佐野常民の日本赤十字社が初の災害救護事業を実施することになる。7月15日朝7時45分に突如大噴火をはじめた会津磐梯山の惨事にたいし、この日救護員は東京を出発。日赤の創始者 佐野常民 P162

▲熊本地震の際に本丸歴史館の観客の皆様から預かった義捐金をもち
熊本の赤十字を訪れた佐野常民役鷹巣将弥と日本赤十字記念館(熊本市内)
7月21日
安土桃山時代1579天正7龍造寺隆信
龍造寺隆信、伊駒野城主川崎鎮堯征伐。成富信安の活躍により、落城。"龍造寺隆信 P319 「風雲 肥前戦国武将史」 P80 "
安土桃山時代1583天正11龍造寺隆信 鍋島直茂
昨年暮れに龍造寺を断ち、島津氏に通じて叛旗を翻したため、龍造寺に攻められ孤立無援となった鷹尾城の田尻鑑種が龍造寺隆信に起請文を提出して和議成立する。(ただし、和議の条件が煮詰まらなかった内に、豊後から大友軍援軍の報告や島津軍からの兵糧搬入の報が入り、1か月ほど後に再び叛き戦いが再開される(~12月25日和睦、田尻の所領換えに終わり、筑後の田尻氏の抵抗は完全に終止符が打たれる)史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P146
安土桃山時代1592天正20"鍋島直茂 鍋島・龍造寺軍"
文禄の役・オランカイに北上する加藤清正の軍とわかれた鍋島直茂の軍が咸鏡道(ハムギョンド)攻略のため、安辺を発って、この日咸興(ハムフン)に入る。文禄・慶長の役(吉川弘文館) P66
明治時代1888明治21佐野常民
佐野常民の日本赤十字社が初の災害救護事業を実施することになる。7月15日朝7時45分に突如大噴火をはじめた会津磐梯山の惨事にたいし、昨日東京を発した救護員は郡山からは徒歩で峠を越え、この日に猪苗代町に達する。日赤の創始者 佐野常民 P162

▲日本赤十字設立の思いを語る佐野常民(歴史寸劇「良いではないか。」のラストシーンより)
7月22日
安土桃山時代1600 慶長 鍋島勝茂
西軍が東軍の伏見城攻めをこの日はじめる。鍋島勝茂軍も勇躍したため、秀家からの信頼は一層厚くなり、鈴鹿峠を超えて伊勢に進撃する際には先陣の大将を命じられた葉隠物語 P74
江戸時代末期1855安政2枝吉神楊
枝吉神楊、吉田松陰に「奇男子」と称される。(「西遊日記」「吉田松陰全集第10巻」) 会ったのは1850年12月20日~24日の間と思われる(松陰の日記より)楠公義祭同盟

▲「九州に行くなら、佐賀でこの人に会いなさい」と吉田松蔭が奨めたと言われる枝吉神陽(シルエット)
7月23日
江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
鍋島直正 はじめて明治天皇に拝謁。※他に京都滞在中に慶喜と会見するが、内容を志士等に明かさず、29日しか京都に滞在せず帰国。大木らは失望する。"大木喬任年譜考 P36※は楠公義祭同盟"

▲幕末から維新にかけてこの人の挙動が注目され、なかなか考えが理解されず、「肥前の妖怪」との異名さえついた鍋島直正
明治時代1870明治3佐野常民
兵部少丞佐野常民が海軍建設の準備のためオランダ人E.W.スヘメールと英国人T.スノードンの二人を兵部省に雇い入れた。日赤の創始者 佐野常民 P49
7月24日
室町時代1570元亀元龍造寺隆信 大友宗麟
大友宗麟は水軍で佐賀城を南から浮盃津に三度目の攻撃。三たび撃退龍造寺隆信 P224
明治時代1888明治21佐野常民
佐野常民が日本赤十字の初の災害救護事業の現場となって3日前からはじまっている猪苗代地帯の救護の現場に赴く(たまたま仙台に出張していた帰り)。福島県知事にあって皇后陛下の思し召しを伝え、負傷者を慰問して、華族から委託された救恤金(きゅうじつきん)を渡すなどする。日赤の創始者 佐野常民 P162
7月25日
室町時代1553天文22龍造寺隆信
龍造寺隆信、一木村を出立して川副に再上陸開始。(鹿江兼明の船にて)龍造寺隆信 P126
室町時代1563永禄6龍造寺隆信
龍造寺側の謀略により不意打ちを食らった多久・有馬連合軍が激怒して、島原弥助を大将として砥川へ攻め寄せ一大決戦を挑むが、龍造寺側は地形に詳しく、丹坂口でこれを撃退、龍造寺側の大勝利に終わる。(百合野の戦いともいわれる)"龍造寺隆信 P190
「風雲 肥前戦国武将史」 61P"
江戸時代末期1861文久元鍋島直正
鍋島直正、三重津に汽鏙製造所を建てる。佐賀県史(中巻) 年表

▲「三重津じゃ、おぬしの故郷の三重津に海軍所を造れ」殿から命を受けた佐野常民(歴史寸劇「蝶よ、渡れ」より)
安土桃山時代又室町時代1586 OR1569天正14 又永禄12鍋島直茂
岩屋城にこもる高橋鑑雲に対して、島津の攻勢の前に、龍造寺軍の後藤、田尻らが攻撃をしかける。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P199
7月26日
江戸時代初期1607慶長12鍋島直茂
3月の隆造寺高房の自殺未遂に対して、鍋島直茂が俗に「おうらみ状」と認知されている書状をしたためる。初期の鍋島佐賀藩 P273
江戸時代後期1864元治元年鍋島直正
京都の政変(7月18日の禁門の変)の報が佐賀藩首脳部の届く 佐賀偉人伝「江藤新平」P33
7月27日
室町時代1553天文12龍造寺隆信
龍造寺隆信、鹿江の威徳寺に着して挙兵。「飯盛城の戦い」(いさかり)"龍造寺隆信 P126 地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)上 佐賀県1 P44"
室町時代1570元亀元龍造寺隆信 大友宗麟
大友宗麟は水軍で佐賀城を南から攻撃。浮盃津から再来襲。再び、撃退。龍造寺隆信 P224
江戸時代初期1627寛永4鍋島勝茂
衣装制度、祝儀音信振舞定、屋造掟、過代条目を出す。ネット年表
江戸時代後期1864元治元年江藤、大隈、副島、島、大木ら
京都の政変(7月18日の禁門の変)の報が志士たちに伝わり、動きが慌ただしくなる。軍事的緊張が一挙に高まる佐賀偉人伝「江藤新平」P33

▲この時、佐賀藩のとるべき道を模索する島義勇と大隈重信(歴史寸劇「あの夜のままで。」より)
江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
鍋島直正が、大阪にて将軍徳川慶喜と会見。佐賀市史その3 P9
7月28日
室町時代1563永禄6龍造寺隆信
龍造寺隆信、多久・有馬連合軍の残党を攻める。(高城城平井経治(つねはる)攻め)龍造寺隆信 P192
室町時代1570元亀元龍造寺隆信
大友軍が再び海上から龍造寺軍へ攻めよせるが、鍋島直茂らが防戦・撃退。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P101
室町時代1570元亀元龍造寺政家 豊臣秀吉
龍造寺政家が秀吉から従四位下に序せられて羽柴豊臣の姓並びに菊桐紋を免許され、肥前守に任じられた。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P205
江戸時代末期1834天保5鍋島直正
鍋島直正、代官のあり方について、そのあるべき姿を訓示。「代官は人柄を選び申し付けるようにすることは右に述べたとおりであえる。私が猟に出た折、そのほか代官に民間の事情を聞くなど、親しく質問するようにしたい」幕末の鍋島佐賀藩 P36
明治時代1871明治4大木喬任
民部卿をやめた大木が文部卿として着任。(~1873年4月19日)大木喬任年譜考 P94

▲ついに着任!酒を飲みながら教育制度を考える大木喬任(歴史寸劇「酒もってこい!」より)
7月29日
室町時代1548天文17龍造寺隆信
少弐冬尚の城原攻め開始。龍造寺隆信 P117
江戸時代末期1838天保9鍋島直正
鍋島直正が郷村対策、特に代官のあり方について御側から外向へお達しを行なう。幕末の鍋島佐賀藩 P83
7月30日
江戸時代初期1624寛永元妙安尼(お安)
妙安尼(お安)が79歳で息を引き取る。今の妙安寺はその開基にかかる寺。隆信の養女で政略結婚の犠牲になり小田鎮光、波多親に嫁ぎ死別、生別の憂き目を見る。われらの郷土 昔の今日 9月の巻
江戸時代末期1845弘化2鍋島直正
永山貧武、没。藤田東湖からは「諸藩中第一の良友」、佐藤一斎からは「真の善学者」とほめられ、藩主直正の信任が古賀穀堂とともに厚く、藩政の大改革に参画した。われらの郷土 昔の今日 9月の巻
7月31日
明治時代1886明治19大木喬任
大木喬任が心血を注いであたっている民法と訴訟法が、10月に発布されるということが「東京朝日新聞」を通して世の中に発表される。大木喬任年譜考 P429

▲大木喬任
2017年07月16日
祝★観客49000人到達★「さがんもん」 2017年7月9日 佐賀城本丸歴史館
みなさま
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のブログをご覧になっていただき誠にありがとうございます。
おかげさまで2012年9月の初演以来49000人目のお客様を迎えることができました。

▲49000人目のお客様含め前後賞として3名様に賢人オリジナル缶バッジを贈呈させていただきました

▲佐賀は暑い日が続きます。うちわをかき集めましたので、どうぞお使いください~!

▲涙腺の弱い方はハンカチもお持ちになったほうがよろしいかと(笑)(モデル:浦川忠敬(枝吉神陽))
さて、上演の様子を写真とアンケートでレポートします
上演:2017年7月9(日) ※第265日目
場所:佐賀城本丸歴史館 四ノ間(1・2・5回目)御座間(3・4回目)
『さがんもん』
1874年(明治7年)2月 佐賀。佐賀の乱も敗色濃くなった戦場の片隅で。江藤新平と島義勇の胸にせりあがる情熱が激しくぶつかる。理想の国家建設を夢見て散った二人のさがんもんの物語
登場賢人
江藤新平
石井晃一

島義勇
谷口文章

副島種臣
西正
演出:浦川美紀
脚本:桜井篤
原作:くがかおる「正義の司法卿 江藤新平」
当日アテンド:飯田豊一
記録:飯田豊一
撮影:飯田豊一、中本英一
プロデュース:桜井篤



観客数106人
※ボランティアスタッフ含む
●アンケート結果
アンケート回答人数43(占有率43.4%)
アンケート結果
満足率97.7%
(大変面白かった・・79.1%、面白かった18.6%)
寸劇上演を知っていた・・63%
来館目的が観劇・・・56%
本丸歴史館にはじめて来た・・・40%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・29.4%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです
感情が良く伝わってきた。男62佐賀市
歴史を感じてあらためて振り返る。迫力の強さを感じた。男63上越市
これを無料で見るのはしのびないくらい、すばらしい。女30久留米市



島義勇さんのパワーに圧倒されました。面白さと必死さと熱さとで、すごく楽しかったです。女22鳥栖市
昔あったことなので、フィクションより実感がわいた。舞台を作らずにここまですれのは、すごいと思いました。女22筑紫野市
全ての人が笑って暮らせる国。平等な法。今に続くことを成し遂げたことに感動です。女55佐賀市



命を懸けて貫いた信念を目の前で感じることが出来た。男40久留米市
島さんのお酒のくだりから北海道の思いを語る場面、いつ見ても泣きそうになります。さがんもんとは・・・。女佐賀市
熱が一杯で感動しました。男72佐賀市



今日のさがんもんは、一番好きです。佐賀の一番あつい男たちの気持ちが伝えられて大好きです。男9久保田町
大変はくりょくがあり、笑ったり、泣ける場面もありして、とても感動しました。今回4回目でしたが、49,000人にもなることができて、びっくりしましたが、大雨の中来てかったです。これからも長く活動を続けていただきたいと思います。がんばって下さい。今日はありがとうございました。女43諫早市
歴史が良くわかった。男67諫早市



ちょっと悲しい話だったけど、おもしろかった。男9諫早市
史実をくわしくしれたから。女34中津市
佐賀の乱のイメージができました。男41中津市



すてきなげきをされていたから。女10伊万里市
すごく良かったです。感動しました。佐賀の八賢人の話をもっと広めてほしいです。小学校とかにも来てほしいです。女40伊万里市
強い志を持って生き抜いてきた賢人達に感動致しました。ぜひこの活動を続けて下さい。又来ます。女56佐賀市



初めて来ましたが、祖父、祖母が佐賀県人だったので、時々いろいろな話を聞いていた。
情熱が伝わってきました。男54佐賀市
心がこもってて良かった。ありがとうございます。女41佐世保市



「正義」の言葉が耳にしみた。西郷さんの姿を見せてほしかった。男60佐世保市
2人の鬼気迫る熱演に胸が熱くなりました。家の墓も本行寺にあります。男15佐賀市
演技がとても上手だった。感動しました。ありがとうございました。女15佐賀市



さがんもんが一番すきです。佐賀んもんで良かったと思います。男47小城市
ずっと観たかった演目をやっと観ることができました。島さん、江藤さんの正義、今の時代でも大切だと思いました。女40佐賀市
とても切なくなりました。死にぎわの本気が伝わりました。女18佐賀市



勉強になりました。女
佐賀の乱の背景が良く分かった。女33佐賀市
いつもはおもしろく、とても笑ってますが、今日は感動しました。熱い演技、とても感動です。女32柳川市




史実に基づき、リアルなものでした。男53佐世保市
変な話がおもしろかったです。男39福岡市
歴史が近く感じられる。女67福岡市
思ったより演技でした。男60神埼市
ありがとうございました。
■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。

江藤昨日、今日と久しぶりに名前を知ってなつかしい。男63上越市
江藤正義をつらぬくところ。女30久留米市

島面白いし、芝居がすごいと思いました。女22鳥栖市
江藤・島とてもかっこよかったです。女22筑紫野市

全員熱い人。自分もこの佐賀に生まれたことを誇りに思えています。女55佐賀市
全員今の日本をつくってくれた方々だから。男40久留米市
副島・江藤・島佐賀のために自分の命をかけて戦っているからです。女43諫早市
全員明治をいっしょうけんめい生きた人だから。男67諫早市

佐野赤十字の設立。女75佐世保市

大木学制を作った方だから。女15佐賀市
全員知れば知るほど、日本の現在の礎になっているすばらしい方々です。女40佐賀市

島面白いから。女18佐賀市
副島・江藤・島劇上手でした。女

島熱くてステキだと思います。女33佐賀市
江藤・佐野日赤を作ったお方だから。女67福岡市
ありがとうございました。
上演の後には、「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンは林檎亭さんの「義祭弁当」の割引&お茶のサービス券でした。
このクーポンチケットは翌週の日曜日まで使えるので、次週7月16日(日)にお越しいただいた折りにでもお使いいただければと考えております。

※義祭弁当は特別製造のため前日までの予約が必要です
佐賀城本丸日曜日の今後の上演予定■
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
7月16日(第266日)
『鬼の首あげい!』

1868年(明治元年)春。「英語はしゃべれるか?喧嘩は強いか?」新政府から不思議な質問を受けて、急ぎ長崎から大阪へ船で向かう大隈重信、31歳。たまたま乗り合わせていた同郷のあの男から、行く手に待ち受けているものの、身の毛もよだつ噂を聞く。
大隈重信、江藤新平、島義勇
7月23日(第267日)
『まるぼうろ』

人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
大隈重信、大木喬任、副島種臣
7月30日(第268日)
『酒もってこい』

八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。新しい世の中の礎を「教育」と定め、小学校制度を作ることとなる男の魂の物語
大木喬任、江藤新平、島義勇
さて、最後に、賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
FACEBOOKページもあります
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のブログをご覧になっていただき誠にありがとうございます。
おかげさまで2012年9月の初演以来49000人目のお客様を迎えることができました。

▲49000人目のお客様含め前後賞として3名様に賢人オリジナル缶バッジを贈呈させていただきました

▲佐賀は暑い日が続きます。うちわをかき集めましたので、どうぞお使いください~!

▲涙腺の弱い方はハンカチもお持ちになったほうがよろしいかと(笑)(モデル:浦川忠敬(枝吉神陽))
さて、上演の様子を写真とアンケートでレポートします
上演:2017年7月9(日) ※第265日目
場所:佐賀城本丸歴史館 四ノ間(1・2・5回目)御座間(3・4回目)
『さがんもん』
1874年(明治7年)2月 佐賀。佐賀の乱も敗色濃くなった戦場の片隅で。江藤新平と島義勇の胸にせりあがる情熱が激しくぶつかる。理想の国家建設を夢見て散った二人のさがんもんの物語
登場賢人

江藤新平
石井晃一

島義勇
谷口文章

副島種臣
西正
演出:浦川美紀
脚本:桜井篤
原作:くがかおる「正義の司法卿 江藤新平」
当日アテンド:飯田豊一
記録:飯田豊一
撮影:飯田豊一、中本英一
プロデュース:桜井篤



観客数106人
※ボランティアスタッフ含む
●アンケート結果
アンケート回答人数43(占有率43.4%)
アンケート結果
満足率97.7%
(大変面白かった・・79.1%、面白かった18.6%)
寸劇上演を知っていた・・63%
来館目的が観劇・・・56%
本丸歴史館にはじめて来た・・・40%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・29.4%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです
感情が良く伝わってきた。男62佐賀市
歴史を感じてあらためて振り返る。迫力の強さを感じた。男63上越市
これを無料で見るのはしのびないくらい、すばらしい。女30久留米市



島義勇さんのパワーに圧倒されました。面白さと必死さと熱さとで、すごく楽しかったです。女22鳥栖市
昔あったことなので、フィクションより実感がわいた。舞台を作らずにここまですれのは、すごいと思いました。女22筑紫野市
全ての人が笑って暮らせる国。平等な法。今に続くことを成し遂げたことに感動です。女55佐賀市



命を懸けて貫いた信念を目の前で感じることが出来た。男40久留米市
島さんのお酒のくだりから北海道の思いを語る場面、いつ見ても泣きそうになります。さがんもんとは・・・。女佐賀市
熱が一杯で感動しました。男72佐賀市



今日のさがんもんは、一番好きです。佐賀の一番あつい男たちの気持ちが伝えられて大好きです。男9久保田町
大変はくりょくがあり、笑ったり、泣ける場面もありして、とても感動しました。今回4回目でしたが、49,000人にもなることができて、びっくりしましたが、大雨の中来てかったです。これからも長く活動を続けていただきたいと思います。がんばって下さい。今日はありがとうございました。女43諫早市
歴史が良くわかった。男67諫早市



ちょっと悲しい話だったけど、おもしろかった。男9諫早市
史実をくわしくしれたから。女34中津市
佐賀の乱のイメージができました。男41中津市



すてきなげきをされていたから。女10伊万里市
すごく良かったです。感動しました。佐賀の八賢人の話をもっと広めてほしいです。小学校とかにも来てほしいです。女40伊万里市
強い志を持って生き抜いてきた賢人達に感動致しました。ぜひこの活動を続けて下さい。又来ます。女56佐賀市



初めて来ましたが、祖父、祖母が佐賀県人だったので、時々いろいろな話を聞いていた。
情熱が伝わってきました。男54佐賀市
心がこもってて良かった。ありがとうございます。女41佐世保市



「正義」の言葉が耳にしみた。西郷さんの姿を見せてほしかった。男60佐世保市
2人の鬼気迫る熱演に胸が熱くなりました。家の墓も本行寺にあります。男15佐賀市
演技がとても上手だった。感動しました。ありがとうございました。女15佐賀市



さがんもんが一番すきです。佐賀んもんで良かったと思います。男47小城市
ずっと観たかった演目をやっと観ることができました。島さん、江藤さんの正義、今の時代でも大切だと思いました。女40佐賀市
とても切なくなりました。死にぎわの本気が伝わりました。女18佐賀市



勉強になりました。女
佐賀の乱の背景が良く分かった。女33佐賀市
いつもはおもしろく、とても笑ってますが、今日は感動しました。熱い演技、とても感動です。女32柳川市




史実に基づき、リアルなものでした。男53佐世保市
変な話がおもしろかったです。男39福岡市
歴史が近く感じられる。女67福岡市
思ったより演技でした。男60神埼市
ありがとうございました。
■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。

江藤昨日、今日と久しぶりに名前を知ってなつかしい。男63上越市
江藤正義をつらぬくところ。女30久留米市

島面白いし、芝居がすごいと思いました。女22鳥栖市
江藤・島とてもかっこよかったです。女22筑紫野市

全員熱い人。自分もこの佐賀に生まれたことを誇りに思えています。女55佐賀市
全員今の日本をつくってくれた方々だから。男40久留米市
副島・江藤・島佐賀のために自分の命をかけて戦っているからです。女43諫早市
全員明治をいっしょうけんめい生きた人だから。男67諫早市

佐野赤十字の設立。女75佐世保市

大木学制を作った方だから。女15佐賀市
全員知れば知るほど、日本の現在の礎になっているすばらしい方々です。女40佐賀市

島面白いから。女18佐賀市
副島・江藤・島劇上手でした。女

島熱くてステキだと思います。女33佐賀市
江藤・佐野日赤を作ったお方だから。女67福岡市
ありがとうございました。
上演の後には、「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンは林檎亭さんの「義祭弁当」の割引&お茶のサービス券でした。
このクーポンチケットは翌週の日曜日まで使えるので、次週7月16日(日)にお越しいただいた折りにでもお使いいただければと考えております。

※義祭弁当は特別製造のため前日までの予約が必要です
佐賀城本丸日曜日の今後の上演予定■
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
7月16日(第266日)
『鬼の首あげい!』

1868年(明治元年)春。「英語はしゃべれるか?喧嘩は強いか?」新政府から不思議な質問を受けて、急ぎ長崎から大阪へ船で向かう大隈重信、31歳。たまたま乗り合わせていた同郷のあの男から、行く手に待ち受けているものの、身の毛もよだつ噂を聞く。
大隈重信、江藤新平、島義勇
7月23日(第267日)
『まるぼうろ』

人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す
大隈重信、大木喬任、副島種臣
7月30日(第268日)
『酒もってこい』

八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。新しい世の中の礎を「教育」と定め、小学校制度を作ることとなる男の魂の物語
大木喬任、江藤新平、島義勇
さて、最後に、賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
FACEBOOKページもあります
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)
2017年07月06日
「おないとし」★2017年7月2日 佐賀城本丸歴史館

みなさま
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」のブログをご覧になっていただき誠にありがとうございます。
以下、最新の上演の様子を写真とアンケートでレポートします
上演:2017年7月2(日) ※第264日目
場所:佐賀城本丸歴史館 四ノ間
『おないとし』
漢学や医学、国学に陽明学。「なにものかにならんばっ!」と己が信じる勉学に励み、日夜議論を尽くしていた佐賀鍋島の藩校弘道館の若き俊英、枝吉神陽、島義勇、そして佐野常民。同じ歳の3人が18回目の夏を迎えた1840年天保11年7月のある日。ついに激動の時代の幕開けを告げるある知らせが遠く大陸から届いた・・・。
登場賢人

佐野常民
鷹巣将弥

枝吉神陽
浦川忠敬

島義勇
谷口文章
演出:浦川美紀
脚本:桜井篤
当日アテンド:谷口幸恵
記録:飯田豊一
撮影:飯田豊一、中本英一
プロデュース:桜井篤

▲本丸歴史館の女性スタッフと。8月20日まで浴衣でお出迎えされるそうです!
観客数152人
※ボランティアスタッフ含む
●アンケート結果
アンケート回答人数85(占有率60.3%)
アンケート結果
満足率95.3%
(大変面白かった・・61.2%、面白かった34.1%)
寸劇上演を知っていた・・27%
来館目的が観劇・・・20%
本丸歴史館にはじめて来た・・・40%
観劇目的で初めて来た/初めて来た・・・0.0%
以下アンケートに書いていただいたすべてのコメントです
文章でみるより、分かりやすかった。女50久留米市
わかりやすい演技でとてもよかったです。男53千葉県
毎回感動させられます。是非続けて頂きますよう。男61佐賀市



歴史に興味がある。男61久留米市
歴史にもとづいたストーリーでしたので良かった。男27みやき町
1ヶ月ぶりに観劇しましたが、久しぶりだったので、いつも以上に楽しかったです。女32唐津市



分かりやすかった。おもしろみもあって楽しい。すごくおもしろかったです。佐賀の歴史のすばらしさには他県に負けないものです。がんばって下さい。女19長崎市
力強い演技で大変感動しました。佐賀の賢人の心の中までよく伝わりました。ありがとうございます。男49伊万里市



演技も大変よかったです。知らない事だったので、良く分かりかった。
史実に基づき、心がこもった演劇に感動した。男62佐賀市
わかりやすかった。男40
若い頃の三人、悩み考えながらの日々を教えてもらいました。博愛、今も受け継がれている精神だと思う。女55佐賀市
間近にみれたから。女11佐賀市
かたなを、だすところが、かっこよかった。島がおもしろかった。女11佐賀市



とうじょうじんぶつ達の事がわかりやすくてよかったです。男28福岡市
げきでわかりやすく歴史を知ることができた。男46武雄市
分かりやすかった。女51福岡市



寸劇をやっていたのは知っていたが、初めて見て面白かった。男49佐賀市
迫力があった。男53
歴史もまなべて、内容もおもしろかった。男55福岡市



わかりやすく芝居が出来た。男72佐賀市
知っているようで知らない事もあり勉強になりました。女69鳥栖市
当時の考え方、尊さがよかった。男72佐賀市



セリフが聞きとりやすく、楽しかったです。女45鹿児島市
佐賀県に偉人が居た事、勉強不足で知りませんでした。男36鹿児島市
おもしろかったけど、あんまおもしろくなかった。女9佐賀市



知らなかった事がたくさんあって勉強になりました。女52福岡市
がんばって芸をされている。女65唐津市
演者の人たちの演技力はもちろんエネルギーもあり、内容も分かり易く、とてもよくできていた。もっと2時間くらい見ていたかったです。これからも続けて欲しいです。たまたま日曜に来てよかったです。女アメリカ



個々の賢人は知っているが、佐賀の人間関係が見れ、史実以外を知る事ができました。男46武雄市
なにものかになるためにがおもしろかった。女6武雄市
わかりやすかった。男13太宰府市



佐野常民に関係する人たちを初めて知りました(日本赤十字社員より)。男62唐津市
分かりやすく勉強できました。ありがとうございました。女
皆様の熱意。女69唐津市



おないとしは前にも見たことがあったが、何回見てもおもしろかった。また見に来ます。女32柳川市
おんなのこのまねがおもしろかった。女6柳川市
情熱的でおもしろかった。男56北九州市



わかりやすい。男56下関市
幕末に活躍した人たちが佐賀にもいたことは知らなかった。勉強になった。
志を達成するまでをコミカルにえがいていて面白かった。男42岡山県



歴史の勉強になりました。佐賀の八賢人について興味がわいてきました。男58佐賀市
佐賀の八賢人について、あまり知らなかったので、面白おかしく拝見できよかったです。
子供のためにもよかったです。わかりやすくよかったです。どうぞ続きますように。女30福岡市



熱い。男38朝倉市
史実に基づく話、大変楽しかった。一生懸命に演じられていた。男59有田町
楽しかったから。男12福岡市



おもしろかった。女11福岡市
おもしろかったです。女7福岡市
演技が非常に上手で、プロと変わらない位で面白かったです。男51佐賀市



ユーモアを交えてあり良かった。女70川副町
知らない話でした。とてもわかりやすく面白く、最後は感激して涙が出てきました。ありがとうございました。女38福岡市
とても真剣な気持ちが伝わり、見ていてとても楽しかったです。女31熊本市



急に゜見ることになりましたが、最後まで見させていただき感動しました。熊本から来て、佐賀の歴史を知る事ができ、もっと勉強しようと思います。女58熊本市
冗談まじりでおもしろかったです。女31筑後市
歴史上の物語をわかりやすく、おもしろく演じられていて、とても楽しい時間となりました。男28宜野湾市
楽しい劇で、語りが上手でした。女53柳川市

佐賀の歴史が良くわかり、興味がもてた。女60佐賀市
史上の理解がしやすかった。女35みやき町
おもしろくて、内容が頭に入りやすかったし、どんな人だったかを覚えられて、いい経験になりました。女15柳川市



「おないとし」を見たのは2回目でしたが、面白さは変わりませんでした。女18佐賀市
わかりやすかった。男43静岡県
維新というと長州、土佐などしか印象がなく、佐賀の役割をあまり知らなかった。男61大阪市

ありがとうございました。

■「好きな賢人」は!?
いろいろなコメントをいただきました。
大隈・枝吉・島・佐野声が大きくて、わかりやすかった。女50久留米市
大隈・殿この人がいなければ、今の佐賀はないと思う(殿)。男61佐賀市
大隈・江藤・殿かっこいい。女19長崎市
枝吉・島・佐野演技がうまかった。男62佐賀市

全員熱い方々で一生懸命生きてきた方々だと。女55佐賀市
大隈総理大臣に2回もなったから。大学をつくっていてずごいから。女11佐賀市

殿幕末の日本の変革に大きくかかわつさたから。男46武雄市

全員佐賀県の名を上げた。男72佐賀市

佐野すばらしい。男72佐賀市
佐野また来たくなりました。女69唐津市

島九州の人なのに、北海道で有名だから。男49佐賀市
佐野赤十字を作った人だから。女52福岡市
佐野赤十字病院に関係している。女65唐津市
全員2年生のころれきしが好きになって本を読みだしたから。女9佐賀市

殿いちばん最初にみた本丸のメンバー。女9佐賀市
大隈大学。男56下関市
佐野今日の寸劇で好きになりました。女52下関市
殿西洋文化をとりいれた。60佐賀市

大隈知勇兼備ですばらしい。男42岡山県

全員日本の為に生きた。男59有田町
大隈・江藤・殿だれもしていない事をやった。男53柳川市
副島・江藤・島純心に日本の事を考えて行動を起こされた方だと思います。男51佐賀市
佐野現在、川副町です。女70川副町

枝吉枝吉先生のお話、初めて知りました。女38福岡市
江藤・殿江藤新平は、初の法務大臣としての能力が備わっていたことにおどろく。直正公については国としての地力を秘めて頑張っていた。男74筑後市
殿幕末に新しい考えを持ち、新しい事を取り入れた人だから。女60佐賀市
佐野縁があるから。女35みやき町
ありがとうございました。
上演の後には、「おたのしみグルメクーポン」が賢人から皆様に手渡されました。
今日のクーポンは「林檎亭」さんの「義祭弁当」割引&お茶サービスでした。


▲賢人たちの秘密結社「義祭同盟」にちなんだ義祭弁当。
このクーポンチケットは翌週の日曜日まで使えるので、次週7月9日(日)にお越しいただいた折りにでもお使いいただければと考えております。※林檎亭さんは日曜日はお休みですのでご注意ください。また、義祭弁当は予約制となっています。
佐賀城本丸日曜日の今後の上演予定■
佐賀城本丸歴史館では毎週日曜日、佐賀の八賢人に扮した役者が歴史寸劇を1日5回、無料で上演しています。演目は週替わり、毎週違う組み合わせの三賢人が登場します。
①10:00~、②11:30~、③13:00~、④14:30~、⑤16:00~
7月9日(第265日目)
『さがんもん』
1874年(明治7年)2月 佐賀。佐賀の乱も敗色濃くなった戦場の片隅で。江藤新平と島義勇の胸にせりあがる情熱が激しくぶつかる。理想の国家建設を夢見て散った二人のさがんもんの物語

江藤新平、島義勇、副島種臣
7月16日(第266日)
『鬼の首あげい!』
1868年(明治元年)春。「英語はしゃべれるか?喧嘩は強いか?」新政府から不思議な質問を受けて、急ぎ長崎から大阪へ船で向かう大隈重信、31歳。たまたま乗り合わせていた同郷のあの男から、行く手に待ち受けているものの、身の毛もよだつ噂を聞く。

大隈重信、江藤新平、島義勇
7月23日(第267日)
『まるぼうろ』
人には忘れられない味がある。明治の政界で上りつめる直前の大隈重信。久々の先輩たちとの再会と懐かしい菓子の味に、国つくりに抱いた初心を思い出す

大隈重信、大木喬任、副島種臣、
7月30日(第268日)
『酒もってこい』
八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。新しい世の中の礎を「教育」と定め、小学校制度を作ることとなる男の魂の物語

大木喬任、江藤新平、島義勇
さて、最後に、賢人に親しんでいただくためにとっておき情報をひとつ!~
「佐賀の12賢人歴史散策お楽しみ帳」という無料の冊子がございます。
当おもてなし隊の寸劇の脚本とプロデュースを担当している桜井プロデューサーが編集しました。
「賢人のエピソード」
「賢人スポット&モデルルート」
「愛憎相関図」
「あなたはどのタイプ?佐賀12賢人判定」e.t.c.
楽しみいっぱいの内容になっています。
大変好評のため数に限りがありますが、
本丸歴史館玄関入って右手にある売店スタッフお尋ねください。
こんな表紙です

▲無料 全36ページオールカラー 発行:佐賀市観光協会 ※本丸では売店でお尋ねください
▼中身が見れます↓
http://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_saga_saga12kenjin_201503190000/HTML5/pc.html#/page/1
それでは
最後まで読んでいただきありがとうございました。
佐賀の歴史と誇りを後世に伝える!
幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊
FACEBOOKページもあります
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」
文責:桜井篤(プロデューサー)
2017年07月03日
今日は何の日?佐賀歴史暦 7月1日~7月15日
佐賀の戦国および幕末・維新を中心として
約200冊余りの資料を読んで作りました!
「今日は何の日?佐賀暦」
坂本龍馬や西郷隆盛などスーパースターはいないけど、
明治の新国家の礎を築いた賢人を数多く輩出した佐賀だからこそ
一年365日、なにかしらメモリアルな出来事ができているのです。
そう、それが佐賀の強み、そして面白さ。
「幕末・維新 佐賀の八賢人おてもなし隊」によるその日のエピソードにちなんだ画像と説明と
あわせてお楽しみください
「今日は何の日?佐賀暦」
7月1日~7月15日
7月1日
室町時代1550天文19龍造寺隆信
隆信、大内義隆より「山城守」を敷奏される。龍造寺隆信 P119
安土桃山時代1592天正20"鍋島直茂 鍋島・龍造寺軍"
文禄の役。鍋島直茂の軍は、オランカイに北上する加藤清正の軍とわかれて、咸鏡道(ハムギョンド)攻略をまかされたために、安辺(アンピョン)を発つ。文禄・慶長の役(吉川弘文館) P66
江戸時代末期1844天保15枝吉神陽
3ヶ年の江戸遊学を命じられ佐賀より上京した枝吉神陽がこの日、江戸藩邸に到着枝吉神陽先生遺稿 P278

▲カリスマ賢人 枝吉神陽。江戸との往復途上で富士山登山を経て、迷える秀才・佐野常民にその経験を語る(歴史寸劇「富士ば登らば」より)
江戸時代末期1855安政2鍋島直正
長崎海軍伝習始まる。鍋島閑叟(杉谷昭) P26

▲人作りと国防、技術の近代化、すべてにおいて長崎伝習所での幕府からの派遣生を凌駕した、鍋島直正
明治時代1868明治元前山清一郎
仙台で軟禁されていた九条卿を東京に連れていくための護衛軍(前山清一郎指揮)が、この日秋田城下に到着。藩主佐竹義堯は藩校明徳館を旅館として提供した。「「仙台戊辰史」にみる佐賀藩の動勢」
7月2日
明治時代1870明治3大隈重信
木戸孝允が大隈を訪れ、慰撫して大蔵省に留任しようとする。(大隈排斥事件について)歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信

▲不屈の男、大隈重信
明治時代1875明治8佐野常民
ウィーン万博から帰った佐野常民が元老院の議官に任命される(元老院は同年4月14日に、従来の太政官左院に代わって設置された立法機関)。最初の議官数が13名と少なく、副議長の後藤象二郎がさらに10名の増員を提案。この増員で佐野はついた。日赤の創始者 佐野常民 P69

▲佐野常民
7月3日
安土桃山時代1587天正15龍造寺家晴
秀吉の島津征伐で軍功を立てた龍造寺家晴だが、恩賞がなかった旨を秀吉に言うと、秀吉は、「ちょうどよかった、あの反抗した者を攻めれば恩賞にいたす」と西郷攻めを示唆。家晴は、西郷純堯と戦い、高城(諫早市高城町)を占領。地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県下 長崎県 P520)
江戸時代末期1851嘉永4鍋島直正
鍋島直正が城北、中折村調連場を設ける。郷土史に輝く人びと
江戸時代末期1867慶応3佐野常民 藤山文一
万博担当としてパリに滞在中の佐野が、オランダへの軍艦注文の命令を全うするため、オランダへ向けて出発。日赤の創始者 佐野常民 P41

▲パリから帰った来たときの佐野常民(「良いではないか。」より)
明治時代1872明治5年久米邦武
ボストンを出港久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表
7月4日
江戸時代末期1867慶応3佐野常民 藤山文一
昨日パリを出発した2名が赤松則良(幕府最初の留学生としてオランダに滞在中)を伴い、オランダの首都ハーグに到着。日赤の創始者 佐野常民 P42
明治時代1868明治元鍋島茂昌
戊辰戦争・武雄鍋島軍、神戸(兵庫県)に上陸する。ネット年表
7月5日
江戸時代末期1858安政5伊東玄朴
伊東玄朴が徳川家定の病状を診察する。佐賀県史(中巻) 年表
7月6日
室町時代1570元亀元龍造寺隆信 大友宗麟
大友宗麟は水軍で佐賀城を南から攻撃。浮盃津から攻めるも鰡江の無量寺の僧や北村清兵衛らが防戦。撃退する。"龍造寺隆信 P223
史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P101"
7月7日
江戸時代初期1661寛文元鍋島光茂
鍋島直弘が没するにあたり、光茂が追腹を禁止する。佐賀県史(中巻) 年表

▲「命を粗末にするでない。この馬鹿者め」 なにかと腹を切りたがる島義勇を諌める名君・鍋島直正(歴史寸劇「どしたらいいんじゃ?」より)
幕末明治1884嘉永7大木喬任 大隈重信
大木喬任、特旨をもって華族に列せられた勲功により伯爵を授けられる。同時に大隈重信も伯爵に。(副島種臣は10日遅れて7月17日に伯爵に)大木喬任年譜考 P365

▲大隈重信、大木喬任、副島種臣(歴史寸劇「まるぼうろ」より)
7月8日
江戸時代末期1851嘉永4鍋島直正
佐賀藩、失敗続きだったがついに成功、大砲1門を作成する。鍋島閑叟(杉谷昭) P29

▲鍋島直正
明治時代1869明治2年副島種臣
明治新政府の官制改革が実施された。副島種臣が深く関与した。(律令に倣って神祇、太政の二官および民部、大蔵、兵部、刑部、宮内、外務の6省を置くことになる。枝吉神陽先生遺稿 P272

▲博覧強記の名まえをほしいままにした副島種臣
7月9日
明治時代1877明治10佐野常民
佐野常民が、始動はじめた「博愛社」の活動の相互連絡のため、九州にやってきた松平乗承と面談。日赤の創始者 佐野常民 P93
7月10日
安土桃山時代1574天正2龍造寺隆信
龍造寺隆信が後藤貴明に疎意のないことを約する。佐賀県史(上巻)年表
明治時代1877明治10佐野常民
佐野常民が松平乗承とともに、長崎に来ていた有栖宮と面会。宮は「本社の義挙」を深く嘉納した。日赤の創始者 佐野常民 P95
7月11日
江戸時代末期1835天保6鍋島直正
鍋島直正が、二の丸焼失に、幕府から2万両拝借金を受ける。佐賀県史(中巻) 年表
江戸時代末期1839天保10久米邦武
久米邦武、八幡小路に生まれる。父は御側侍で山方・里山方を務めていた久米邦郷、母は和嘉。幼名は泰次郎のち丈一郎、丈市。久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 巻末年表
明治時代1868明治元本島藤太夫
総督府の命令により、荘内征討軍が発進。本島藤太夫が率いる佐賀兵大砲隊と肥・豊の歩兵隊が及位口(のぞきぐち)から進撃した。『「仙台戊辰史」にみる佐賀藩の動勢』
7月12日
江戸時代末期1844天保15鍋島直正
大石良英が鍋島直正の侍医となる。郷土史に輝く人びと P46
明治時代1869明治2大隈重信
大隈、大蔵太夫(大蔵の実質の最高責任者)として、米国など五カ国の公使らと談判。5人から贋金の取締について政府の無為無策を徹底的に追及される。パークスらの威圧的で鋭い舌鋒に対し、岩倉、三条、伊藤博文、寺島らが押し黙り、大隈一人が徹底的に反駁して会議は終了となる。円を作った男(小説・大隈重信) P205

▲1年前の2月に続いて 大隈とパークスの2度目の戦いが(写真は1回目の論戦を扱った歴史寸劇「鬼の首あげい」)
明治時代1873明治6佐賀
佐賀の県庁が旧城本丸に移転される。鍋島閑叟(杉谷昭) 巻末
7月13日
江戸時代末期1832天保3鍋島直正
鍋島直正、御備立役(長崎警備役)、御山方の人選についてそれぞれ役柄にふさわしい適材の見解をしめす「(御備立役は)生来兵学の心懸厚く、積極的気鋭に富んだ人物」「(御山方については)よく水土の形勢を考え、またそのようなことが生まれつき好きで様々に自分でも試してみて成功を楽しむ人物」。幕末の鍋島佐賀藩 P27
江戸時代末期1843天保14鍋島直正
鍋島直正、佐賀藩江戸藩邸費を節約、武器製造にまわす。鍋島閑叟(杉谷昭) 巻末

明治時代1872明治5年久米邦武
英国コープ着(この日よりロンドン他主要8都市とハイランドを回覧)久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表
7月14日
明治時代1871明治4大木喬任
大木喬任、民部卿(大臣)に昇進。参儀(閣僚級)の経験のない抜擢人事に世間は驚く。大木喬任年譜考 P91

▲大木喬任 大抜擢。
7月15日
室町時代1534天文3龍造寺家兼
2か月前に水ヶ江城を守りきった龍造寺軍が、暴風雨に乗じて大内勢の不意を突き、大勝して追い返す。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P62
明治時代1869明治2大木喬任
大木喬任が東京府知事を辞退して、降格して大参事になる。仲のいい青木小三郎が自分にへりくだるのを見ていていい気がせずに辞退したらしい。(本人弁)大木喬任年譜考 P76
約200冊余りの資料を読んで作りました!
「今日は何の日?佐賀暦」
坂本龍馬や西郷隆盛などスーパースターはいないけど、
明治の新国家の礎を築いた賢人を数多く輩出した佐賀だからこそ
一年365日、なにかしらメモリアルな出来事ができているのです。
そう、それが佐賀の強み、そして面白さ。
「幕末・維新 佐賀の八賢人おてもなし隊」によるその日のエピソードにちなんだ画像と説明と
あわせてお楽しみください
「今日は何の日?佐賀暦」
7月1日~7月15日
7月1日
室町時代1550天文19龍造寺隆信
隆信、大内義隆より「山城守」を敷奏される。龍造寺隆信 P119
安土桃山時代1592天正20"鍋島直茂 鍋島・龍造寺軍"
文禄の役。鍋島直茂の軍は、オランカイに北上する加藤清正の軍とわかれて、咸鏡道(ハムギョンド)攻略をまかされたために、安辺(アンピョン)を発つ。文禄・慶長の役(吉川弘文館) P66
江戸時代末期1844天保15枝吉神陽
3ヶ年の江戸遊学を命じられ佐賀より上京した枝吉神陽がこの日、江戸藩邸に到着枝吉神陽先生遺稿 P278

▲カリスマ賢人 枝吉神陽。江戸との往復途上で富士山登山を経て、迷える秀才・佐野常民にその経験を語る(歴史寸劇「富士ば登らば」より)
江戸時代末期1855安政2鍋島直正
長崎海軍伝習始まる。鍋島閑叟(杉谷昭) P26

▲人作りと国防、技術の近代化、すべてにおいて長崎伝習所での幕府からの派遣生を凌駕した、鍋島直正
明治時代1868明治元前山清一郎
仙台で軟禁されていた九条卿を東京に連れていくための護衛軍(前山清一郎指揮)が、この日秋田城下に到着。藩主佐竹義堯は藩校明徳館を旅館として提供した。「「仙台戊辰史」にみる佐賀藩の動勢」
7月2日
明治時代1870明治3大隈重信
木戸孝允が大隈を訪れ、慰撫して大蔵省に留任しようとする。(大隈排斥事件について)歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信

▲不屈の男、大隈重信
明治時代1875明治8佐野常民
ウィーン万博から帰った佐野常民が元老院の議官に任命される(元老院は同年4月14日に、従来の太政官左院に代わって設置された立法機関)。最初の議官数が13名と少なく、副議長の後藤象二郎がさらに10名の増員を提案。この増員で佐野はついた。日赤の創始者 佐野常民 P69

▲佐野常民
7月3日
安土桃山時代1587天正15龍造寺家晴
秀吉の島津征伐で軍功を立てた龍造寺家晴だが、恩賞がなかった旨を秀吉に言うと、秀吉は、「ちょうどよかった、あの反抗した者を攻めれば恩賞にいたす」と西郷攻めを示唆。家晴は、西郷純堯と戦い、高城(諫早市高城町)を占領。地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県下 長崎県 P520)
江戸時代末期1851嘉永4鍋島直正
鍋島直正が城北、中折村調連場を設ける。郷土史に輝く人びと
江戸時代末期1867慶応3佐野常民 藤山文一
万博担当としてパリに滞在中の佐野が、オランダへの軍艦注文の命令を全うするため、オランダへ向けて出発。日赤の創始者 佐野常民 P41

▲パリから帰った来たときの佐野常民(「良いではないか。」より)
明治時代1872明治5年久米邦武
ボストンを出港久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表
7月4日
江戸時代末期1867慶応3佐野常民 藤山文一
昨日パリを出発した2名が赤松則良(幕府最初の留学生としてオランダに滞在中)を伴い、オランダの首都ハーグに到着。日赤の創始者 佐野常民 P42
明治時代1868明治元鍋島茂昌
戊辰戦争・武雄鍋島軍、神戸(兵庫県)に上陸する。ネット年表
7月5日
江戸時代末期1858安政5伊東玄朴
伊東玄朴が徳川家定の病状を診察する。佐賀県史(中巻) 年表
7月6日
室町時代1570元亀元龍造寺隆信 大友宗麟
大友宗麟は水軍で佐賀城を南から攻撃。浮盃津から攻めるも鰡江の無量寺の僧や北村清兵衛らが防戦。撃退する。"龍造寺隆信 P223
史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P101"
7月7日
江戸時代初期1661寛文元鍋島光茂
鍋島直弘が没するにあたり、光茂が追腹を禁止する。佐賀県史(中巻) 年表

▲「命を粗末にするでない。この馬鹿者め」 なにかと腹を切りたがる島義勇を諌める名君・鍋島直正(歴史寸劇「どしたらいいんじゃ?」より)
幕末明治1884嘉永7大木喬任 大隈重信
大木喬任、特旨をもって華族に列せられた勲功により伯爵を授けられる。同時に大隈重信も伯爵に。(副島種臣は10日遅れて7月17日に伯爵に)大木喬任年譜考 P365

▲大隈重信、大木喬任、副島種臣(歴史寸劇「まるぼうろ」より)
7月8日
江戸時代末期1851嘉永4鍋島直正
佐賀藩、失敗続きだったがついに成功、大砲1門を作成する。鍋島閑叟(杉谷昭) P29

▲鍋島直正
明治時代1869明治2年副島種臣
明治新政府の官制改革が実施された。副島種臣が深く関与した。(律令に倣って神祇、太政の二官および民部、大蔵、兵部、刑部、宮内、外務の6省を置くことになる。枝吉神陽先生遺稿 P272

▲博覧強記の名まえをほしいままにした副島種臣
7月9日
明治時代1877明治10佐野常民
佐野常民が、始動はじめた「博愛社」の活動の相互連絡のため、九州にやってきた松平乗承と面談。日赤の創始者 佐野常民 P93
7月10日
安土桃山時代1574天正2龍造寺隆信
龍造寺隆信が後藤貴明に疎意のないことを約する。佐賀県史(上巻)年表
明治時代1877明治10佐野常民
佐野常民が松平乗承とともに、長崎に来ていた有栖宮と面会。宮は「本社の義挙」を深く嘉納した。日赤の創始者 佐野常民 P95
7月11日
江戸時代末期1835天保6鍋島直正
鍋島直正が、二の丸焼失に、幕府から2万両拝借金を受ける。佐賀県史(中巻) 年表
江戸時代末期1839天保10久米邦武
久米邦武、八幡小路に生まれる。父は御側侍で山方・里山方を務めていた久米邦郷、母は和嘉。幼名は泰次郎のち丈一郎、丈市。久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 巻末年表
明治時代1868明治元本島藤太夫
総督府の命令により、荘内征討軍が発進。本島藤太夫が率いる佐賀兵大砲隊と肥・豊の歩兵隊が及位口(のぞきぐち)から進撃した。『「仙台戊辰史」にみる佐賀藩の動勢』
7月12日
江戸時代末期1844天保15鍋島直正
大石良英が鍋島直正の侍医となる。郷土史に輝く人びと P46
明治時代1869明治2大隈重信
大隈、大蔵太夫(大蔵の実質の最高責任者)として、米国など五カ国の公使らと談判。5人から贋金の取締について政府の無為無策を徹底的に追及される。パークスらの威圧的で鋭い舌鋒に対し、岩倉、三条、伊藤博文、寺島らが押し黙り、大隈一人が徹底的に反駁して会議は終了となる。円を作った男(小説・大隈重信) P205

▲1年前の2月に続いて 大隈とパークスの2度目の戦いが(写真は1回目の論戦を扱った歴史寸劇「鬼の首あげい」)
明治時代1873明治6佐賀
佐賀の県庁が旧城本丸に移転される。鍋島閑叟(杉谷昭) 巻末
7月13日
江戸時代末期1832天保3鍋島直正
鍋島直正、御備立役(長崎警備役)、御山方の人選についてそれぞれ役柄にふさわしい適材の見解をしめす「(御備立役は)生来兵学の心懸厚く、積極的気鋭に富んだ人物」「(御山方については)よく水土の形勢を考え、またそのようなことが生まれつき好きで様々に自分でも試してみて成功を楽しむ人物」。幕末の鍋島佐賀藩 P27
江戸時代末期1843天保14鍋島直正
鍋島直正、佐賀藩江戸藩邸費を節約、武器製造にまわす。鍋島閑叟(杉谷昭) 巻末

明治時代1872明治5年久米邦武
英国コープ着(この日よりロンドン他主要8都市とハイランドを回覧)久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表
7月14日
明治時代1871明治4大木喬任
大木喬任、民部卿(大臣)に昇進。参儀(閣僚級)の経験のない抜擢人事に世間は驚く。大木喬任年譜考 P91

▲大木喬任 大抜擢。
7月15日
室町時代1534天文3龍造寺家兼
2か月前に水ヶ江城を守りきった龍造寺軍が、暴風雨に乗じて大内勢の不意を突き、大勝して追い返す。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P62
明治時代1869明治2大木喬任
大木喬任が東京府知事を辞退して、降格して大参事になる。仲のいい青木小三郎が自分にへりくだるのを見ていていい気がせずに辞退したらしい。(本人弁)大木喬任年譜考 P76