2017年09月02日

佐賀暦 9月1日~9月15日

今日はなんの日?佐賀暦

毎日が記念日!
幕末・維新の佐賀の八賢人の活躍と、
戦国時代の龍造寺・鍋島両家の休む間もない連戦の記録で
佐賀には365日なにかしら記念日があります。

9月1日~9月15日の出来事をご紹介します
出来事にちなんで作られた「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の
歴史寸劇演目のお写真もお楽しみください



9月1日


江戸時代末期1843天保14鍋島直正
鍋島直正、佐賀藩徒士にオランダ砲術を教育。鍋島閑叟(杉谷昭) 巻末
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲先見の明と広い視野。佐賀藩第十代藩主 鍋島直正

9月2日

明治時代1870明治3大隈重信
大隈重信が参議への昇格を受託する。※大蔵省と民部省を分離させることで当時の実力者だった大隈の勢力を裂くことに成功した大久保が、今度は、薩長間の泥試合を隠ぺいしようとして、大隈や勝ら、非薩長の実力者を参儀にして衆目をそらすというように思われたので、大隈は最初は固辞しようとした。円を作った男(小説・大隈重信) P278
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲激しい政争を経て頂上に後に頂上に昇りつめる大隈重信


明治時代1887明治20佐野常民
9月2日付けで、赤十字国際委員会から公認通知書が発行され、日本赤十字社が国際赤十字の仲間入りを果たす。日赤の創始者 佐野常民 P123
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲佐野常民、ついに念願をかなえる

9月3日

室町時代1558永禄元龍造寺隆信
龍造寺隆信が江上武種と戦う。(神埼町城原(じょうばる)字北外)地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)上 佐賀県1 P194 ※1557とあるが間違い

9月4日

安土桃山時代1584天正12鍋島直茂 大友宗麟
大友軍(高橋、立花道雪ら)が、龍造寺側の猫尾城に大攻勢。黒木家永、自刀したと伝えられる。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P183


江戸時代末期1851嘉永4鍋島直正
大砲製造方を手元から藩費の方へ移す。郷土史に輝く人びと P47
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲大砲製造への執念を保持し続けた鍋島直正


江戸時代末期1856安政3島義勇
島義勇、北海道調査(樺太探検)のため、佐賀を出発する。楠公義祭同盟
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲北海道と島義勇の縁がはじまる

9月5日

室町時代1557"弘治3  又弘治4"龍造寺隆信
龍造寺隆信が神代勝利の山内に攻め込み、谷田(たんだ)城(富士町下小副川)から勝利を追い落とす。地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)上 佐賀県1 P54

明治時代1888明治21本島藤太夫
本島藤太夫没。
幕末の造兵家。肥前(佐賀)藩士。藩主鍋島直正の信任厚く,藩命により嘉永3(1850)年江川太郎左衛門に砲台築造と大砲鋳造を学び,帰藩して反射炉の構築,大砲製造に従事し藩の大砲製造の先鞭をつける。天保14(1843)年から御火術方,精錬方の師範役。佐久間象山と親交を持つ。藩が幕府から長崎防備を義務づけられたため嘉永3年,鋳砲局主任として長崎の神島,伊王島に砲台を建造。ペルス=ライケンらから操艦,兵式調練を学ぶ。維新後は鍋島家経営に携わり,国立百六銀行の経営を指導した。ネット検索

9月6日

江戸時代初期1607慶長12龍造寺高房
龍造寺高房 自殺行為の馬術を江戸城にて披露して傷が悪化、死去。 22歳龍造寺隆信 P364


江戸時代末期1839天保10鍋島直正
鍋島直正が岩田(神埼)で鍋島茂義の西洋砲術を見る。幕末の鍋島佐賀藩 P91

江戸時代末期1840天保11鍋島直正
鍋島直正、神埼郡岩田で高島流砲術演習を実施。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

9月7日

江戸時代末期1835天保6鍋島直正
鍋島直正、酒造を禁止。(稲の作況が思わしくなく、他国でも水害や旱魃で消耗が少なくないので)幕末の鍋島佐賀藩 P65
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲その25年後、思いがけずも不思議な酒に出会うこととなる鍋島直正(「散るもまた良し」より)

江戸時代末期1850嘉永3鍋島直正
鍋島直正の元へ老中阿部伊勢守より石火矢の注文があった。36ポンドカノン25挺と24ポンドカノン25挺を早急に、という依頼。幕末の鍋島佐賀藩 P169

9月8日

安土桃山時代1581天正9龍造寺隆信
肥後の相良義陽が龍造寺隆信に通じる。佐賀県史(上巻)年表

江戸時代末期1846弘化3年枝吉神陽
3ヶ年の江戸遊学が終え、陸路、佐賀に向かう。枝吉神陽先生遺稿 P280
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲江戸で全国の俊英たちと交遊を深めた枝吉神陽
  
9月9日

江戸時代末期1828文政11副島種臣
副島種臣、誕生。「副島種臣と明治国家」 巻頭
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲明治一の良識人とも呼ばれることとなる副島種臣。

明治時代1868明治元鍋島茂昌
鍋島茂昌のアームストロング砲が戊辰戦争にて庄内軍を敵として、秋田にて発砲される。鍋島閑叟(杉谷昭) P173

  
9月10日

江戸中期1716享保元山本常朝
葉隠聞書、 筆記完成(1710年3月5日から開始)枝吉神陽先生遺稿 巻末年表

江戸時代末期1844天保15枝吉神陽
この日、枝吉神陽が江戸昌平坂書生寮の古賀に入門する。このあと水戸藩の藤田東湖の君臣論を偏狭とし、水戸藩が編纂した「大日本史」の将軍家臣伝を批判する。楠公義祭同盟 年表
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲尊王でありながら欧米の知識技術の価値も知り尽くしていた枝吉神陽

9月11日

江戸時代末期1860万延元鍋島直正
鍋島直正の世子淳一郎がはじめて出府。日峯公御壁書二十一箇条や勝茂公遺訓他心得を箇条書きにして与える。われらの郷土 昔の今日 ○月の巻

9月12日

江戸時代末期1822文政5島義勇
佐賀城下精(しらげ)小路に生まれる。佐野常民と同年。禄は300石。父は島市朗右ェ門有師、母は木原壮兵衛満雅の三女つね。郷土史に輝く人びと P98
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲稀代の熱血葉隠武士 島義勇誕生。

江戸時代末期1833天保4鍋島直正
古賀穀堂、鍋島直正に対し、藩政改革の意見書「送序の文」を提出。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲古賀穀道の意見をもとに藩政改革を断行する鍋島直正

江戸時代末期1856安政3島義勇
島義勇が萩に入る(~9月17日)滞在中、明倫館を訪れ、久坂玄瑞や周布政之助の訪問を受ける。楠公義祭同盟 年表
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲行く先々で強い印象を与えた島義勇

明治時代1882明治15佐野常民
佐野常民、元老院の議長に就任する。(1885年12月22日に宮中顧問官に任命されたので退く)日赤の創始者 佐野常民 P70
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲要職を次々につとめた佐野常民

9月13日

室町時代1561永禄4龍造寺隆信  神代勝利
龍造寺隆信 神代勝利 川上での決戦 (隆信の大勝利。神代領のすべてを没収し、以前のように山内の各所に代官を置き、空閑光家を山内の抑えとして朽井村に移す。龍造寺隆信 P173


江戸時代末期1830文政13鍋島直正
鍋島直正、藩主就任後はじめて藩政方針を請負家老以下に示す。「累年公私の物入りがかさみ、勝手向がひどく差し支えている。加えて一昨年の秋、未曽有の大風雨高汐などに見舞われて財政不如意に追いうちをかけることになった。」藩の置かれている厳しい財政事情を再認識させる内容。幕末の鍋島佐賀藩 P10

江戸時代末期1839天保10鍋島直正
鍋島直正、秋の収穫を前に当役へ申し渡す。「非常に備えることは国家第一の急務である。しかし、その対策が不行届であると聞く。そこで今年の秋から蔵入十万石のみを年間の経費としてあて、余分は非常備えとし、たとえ臨時の物入が多くても、それは他より融通し、余分の分は永く変動なく備え置くように」幕末の鍋島佐賀藩 P86

明治時代1870明治3相良知安
相良知安が医学制度改革についての建白書を廟堂に提出するために学校を後にした時に捕吏に捕われ投獄される。郷土史に輝く人びと P289
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲相良氏知安は八賢人の中では、江藤、大隈、副島らと懇意にしていた。特に江藤新平(写真)は近所付き合いの幼馴染であった


明治時代1873明治6久米邦武
岩倉一行の遣欧使に加わって欧米を回った久米邦武が帰国。 この日横浜港に着く。郷土史に輝く人びと P213

明治時代1878明治11副島種臣
吉井、宮島誠一郎に誘われて隅田川の舟下りを楽しみ詩咏に興じる。(これが「副島吉井征韓論後、風雅之交際手始め」であったらしい。副島種臣と明治国家 P56
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲副島種臣
 
9月14日

江戸時代末期1830天保元鍋島直正
直正、藩主就任半年にして3度目の長崎巡視。郷土史に輝く人びと

江戸時代末期1848嘉永元鍋島直彬
鍋島直彬が6歳にして鹿島鍋島藩を継ぐ。われらの郷土 昔の今日 10月の巻

9月15日

室町時代1558永禄元龍造寺勢 神代勝利
神代領内から駆逐され、弟も討たれた隆信の家臣・小川信安が自ら弟の仇をとろうと、総将一族を率いて北上。対する神代勝利は高野岳の大鐘を打ち鳴らし軍兵を集め、名尾峠に布陣。小城の千葉胤頼も合流して3000余騎となる。 「風雲 肥前戦国武将史」 P54

江戸時代末期1864元治元年義祭同盟志士たち(大木喬任、副島種臣ら)
大興寺にて、義祭同盟の志士たちが集まると、「大木喬任日記」に記されている(1月15日、3月15日、4月15日、6月15日、9月15日、10月15日にも同様の記事あり) 枝吉神陽先生遺稿 P305
佐賀暦 9月1日~9月15日
▲枝吉神陽亡き後、義祭同盟の中核となり師の教えを深めようと行動に移したのは大木喬任だった

以上です。



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Posted by 幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊 at 20:26 | Comments(0) | 佐賀暦
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