2017年08月17日
今日は何の日?佐賀暦 8月15日~8月31日
毎日が記念日!
幕末・維新の佐賀の八賢人の活躍と、
戦国時代の龍造寺・鍋島両家の休む間もない連戦の記録で
佐賀には365日なにかしら記念日があります。
8月16日~8月31日の出来事をご紹介します
出来事にちなんで作られた「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の
歴史寸劇演目のお写真もお楽しみください
8月16日
江戸時代末期1853嘉永6鍋島直正
鍋島直正がロシア船見学を希望。本島藤太夫がパルラダ号を訪れ、備砲、砲術、書籍、艦内設備などを詳細に見学する。鍋島閑叟(杉谷昭) P24
明治時代1869明治2鍋島直正
鍋島直正が大納言になる。郷土史に輝く人びと P50

▲大納言 鍋島直正
明治時代明治11副島種臣
宮島誠一郎が岩倉具視宅を訪ねて、伊地知の進退、漢学耕隆、副島の身上(就任)について進言副島種臣と明治国家 P58

▲藩内外の偉人からの信頼がきわめて厚かった、明治一の人格者 副島種臣
8月17日
室町時代1570元亀元龍造寺隆信 大友宗麟
大友宗麟は水軍で佐賀城を南から浮盃津に四回目の攻撃、撃退。龍造寺隆信 P224
室町時代1570元亀元龍造寺隆信 大友宗麟
大友親貞、佐賀を攻めるために佐賀郡に入り、今山に布陣。"龍造寺隆信 P225
史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P101"
明治時代1874明治7年副島種臣、大木喬任
佐賀の乱が終わってから、副島の動向を警戒していた政府が、大木喬任を副島自宅に派遣し、様子を伺わせる明治時代と副島種臣 P27

▲すべてが終わって副島種臣、さがんもんの無念を語る(「さがんもん」より)
8月18日
室町時代1570元亀元"龍造寺隆信 鍋島直茂
大友宗麟"龍造寺家中の成松信勝が部下を放って夜に敵陣を偵察。19日夜に酒宴をする予定があるという決定的情報を持ちかえる。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P101
江戸時代末期1854嘉永7鍋島直正
鍋島直正、伊王島、神ノ島築を完成。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

▲長崎の地の重要性を幕府よりも感じていた鍋島直正
明治時代1898明治31佐野常民
佐野常民が「日本赤十字社看護婦訓誡」を発布。これは従来の訓示を集大成したもので、常民は看護婦に最も必要なものは徳義であると説いている。日赤の創始者 佐野常民 P156

▲日本赤十字への思いを語る佐野常民(「良いではないか。」より)
8月19日
室町時代1570元亀元"龍造寺隆信(鍋島直茂)
大友宗麟"鍋島直茂が納富信景に兵2000をつけ、対大友新たな軍に対して於保村黒土原に布陣させる。激戦の末、納富敗退。直茂 夜の軍議で畳に刀を突き立て夜襲を提案。龍造寺隆信 P225
江戸時代末期1853嘉永6長崎守備(佐賀藩)
プチャーチンらの一行が長崎奉行との面談のため上陸。政商松尾儀助伝 P59
8月20日
室町時代1565永禄8龍造寺隆信 神代長良
神代良利、三瀬の番所の龍造寺隆信 部下を襲い旧領回復。龍造寺隆信 P202
室町時代1570元亀元"龍造寺隆信(鍋島直茂)
大友宗麟"(未明)朝6時。大友の陣を急襲。(今山の戦い) 大友親貞(33歳)は成松信勝に討ち取られる。"龍造寺隆信 P231
史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P103"
安土桃山時代1586天正14鍋島直茂 大友 島津
島津の先陣に属して立花大友軍を攻めていた龍造寺軍に、秀吉から命令が届き、龍造寺軍は、島津側から撤退。立花大友側(秀吉)側に加わることとなる。"
史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P200"
8月21日
室町時代1570元亀元"龍造寺隆信(鍋島直茂)
小田鎮光"今山の戦いの翌日、多久の梶峰城の小田鎮光を鍋島直茂が攻める。龍造寺隆信 P242
安土桃山時代1582天正10龍造寺隆信
筑後の田尻鑑種が龍造寺隆信と起請文をとりかわす。(ただし12月には龍造寺氏と断ち、島津氏に通じたので、龍造寺は田尻を攻める)佐賀県史(上巻)年表
8月22日
江戸時代末期1849嘉永2鍋島直正
鍋島直正がロシア船見学第二回目を希望。京都から藩に招かれていた化学者中村奇輔を伴い乗船、蒸気車の模型運転を見学。鍋島閑叟(杉谷昭) P24

▲蒸気車の模型の完成の報告をまつ鍋島直正(「かちがらす」より)
江戸時代末期1849嘉永2鍋島直正
楢林宗建が鍋島直正の世子淳一郎(後の直大)に種痘を実施。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
江戸時代末期1854嘉永7伊東玄朴
伊東玄朴が将軍家定大病につき江戸城へ招かれる。幕末の鍋島佐賀藩 P197
8月23日
室町時代1570元亀元龍造寺隆信(鍋島直茂) 大友宗麟(臼杵民部大輔)
今山の戦いの続きとして、龍造寺隆信が臼杵民部大輔を攻める。直茂らが活躍して勝利。龍造寺隆信 P242
明治時代1871明治4江藤新平
江藤新平司法卿、華族、士族、平民相互の通婚を許可する。江藤新平と明治維新 P222

▲正義の司法卿、江藤新平、本領発揮
8月24日
安土桃山時代1584天正12鍋島直茂 大友宗麟
沖田畷の隆信敗死の後、肥前に繰りだした大友軍が、龍造寺側の黒木家永の高群寺を攻めて、調略により開城させる。佐賀から援軍としてついていた土肥出雲守は逃走。" 史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P182"
江戸時代末期1853嘉永6鍋島直正
鍋島直正がロシア船見学第二回目を希望。京都から藩に招かれていた化学者中村奇輔を伴い乗船、蒸気車の模型運転を見学。鍋島閑叟(杉谷昭) P24

▲異国の船に自ら乗り込んだ藩主は鍋島直正以外に記録上残っていない
8月25日
安土桃山時代1574天正2龍造寺一門
龍造寺一門の長信と信種が、前月7月10日の隆信の方針を受け、後藤貴明と和を通じる。(ただし、翌年1575年春、隆信は後藤貴明を攻める)佐賀県史(上巻)年表
江戸時代末期1839天保10鍋島直正
鍋島直正の長女、お休(よし)誕生。(のちの貢姫)郷土史に輝く人びと P46
8月26日
安土桃山時代1581天正9龍造寺隆信
高良山座主良寛が龍造隆信に起請文をいれる。佐賀県史(上巻)年表
江戸時代末期1854嘉永7鍋島直正
鍋島直正が長崎にてオランダの蒸気船スンピン号(観光丸)に乗船。幕末の鍋島佐賀藩 P178
江戸時代末期1862文久2江藤新平
江藤新平が姉小路公知を通して孝明天皇に「密奏書」を献じる。幕府から外交権を奪取し、漸次王政復古に及ぶべきと主張。幕末維新と佐賀藩 P83
8月27日
江戸時代末期1846弘化2鍋島直正 直大
鍋島直正の嫡子、淳一郎が誕生。(後の鍋島直大)郷土史に輝く人びと P47
8月28日
明治時代1871明治4大木喬任 江藤新平
大木喬任、賤称廃止令を発令。全人口3400万人中未解放部落民の数53万人が「解放」 江藤が推進したものだが、「穢多、非人」の称を廃し、身分、職業を平民と同じにする。大木喬任年譜考 P102

▲おさななじみ大木喬任と江藤新平
8月29日
江戸時代初期1642寛永19龍造寺伯庵
幕府が龍造寺伯庵を会津の保科正之に預け、50人扶持を与える。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P23
江戸時代末期1860万延元中野方蔵
中野方蔵が久坂玄瑞に何事かを語る。楠公義祭同盟 年表
8月30日
江戸時代末期1866慶応2鍋島直正
徳川慶喜、親書をもって 鍋島直正の上京を要請。鍋島閑叟(杉谷昭) 巻末
明治時代1872明治5江藤新平
江藤新平が、家抱(百姓の下人)、水呑百姓の解放と農民の職業自由の許可。江藤新平と明治維新 P222

▲江藤新平
8月31日
明治時代1886明治19大木喬任
民法草案について元老院議官の尾崎三良と論じる。大木喬任年譜考 P390

▲大木喬任
幕末・維新の佐賀の八賢人の活躍と、
戦国時代の龍造寺・鍋島両家の休む間もない連戦の記録で
佐賀には365日なにかしら記念日があります。
8月16日~8月31日の出来事をご紹介します
出来事にちなんで作られた「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の
歴史寸劇演目のお写真もお楽しみください
8月16日
江戸時代末期1853嘉永6鍋島直正
鍋島直正がロシア船見学を希望。本島藤太夫がパルラダ号を訪れ、備砲、砲術、書籍、艦内設備などを詳細に見学する。鍋島閑叟(杉谷昭) P24
明治時代1869明治2鍋島直正
鍋島直正が大納言になる。郷土史に輝く人びと P50

▲大納言 鍋島直正
明治時代明治11副島種臣
宮島誠一郎が岩倉具視宅を訪ねて、伊地知の進退、漢学耕隆、副島の身上(就任)について進言副島種臣と明治国家 P58

▲藩内外の偉人からの信頼がきわめて厚かった、明治一の人格者 副島種臣
8月17日
室町時代1570元亀元龍造寺隆信 大友宗麟
大友宗麟は水軍で佐賀城を南から浮盃津に四回目の攻撃、撃退。龍造寺隆信 P224
室町時代1570元亀元龍造寺隆信 大友宗麟
大友親貞、佐賀を攻めるために佐賀郡に入り、今山に布陣。"龍造寺隆信 P225
史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P101"
明治時代1874明治7年副島種臣、大木喬任
佐賀の乱が終わってから、副島の動向を警戒していた政府が、大木喬任を副島自宅に派遣し、様子を伺わせる明治時代と副島種臣 P27

▲すべてが終わって副島種臣、さがんもんの無念を語る(「さがんもん」より)
8月18日
室町時代1570元亀元"龍造寺隆信 鍋島直茂
大友宗麟"龍造寺家中の成松信勝が部下を放って夜に敵陣を偵察。19日夜に酒宴をする予定があるという決定的情報を持ちかえる。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P101
江戸時代末期1854嘉永7鍋島直正
鍋島直正、伊王島、神ノ島築を完成。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

▲長崎の地の重要性を幕府よりも感じていた鍋島直正
明治時代1898明治31佐野常民
佐野常民が「日本赤十字社看護婦訓誡」を発布。これは従来の訓示を集大成したもので、常民は看護婦に最も必要なものは徳義であると説いている。日赤の創始者 佐野常民 P156

▲日本赤十字への思いを語る佐野常民(「良いではないか。」より)
8月19日
室町時代1570元亀元"龍造寺隆信(鍋島直茂)
大友宗麟"鍋島直茂が納富信景に兵2000をつけ、対大友新たな軍に対して於保村黒土原に布陣させる。激戦の末、納富敗退。直茂 夜の軍議で畳に刀を突き立て夜襲を提案。龍造寺隆信 P225
江戸時代末期1853嘉永6長崎守備(佐賀藩)
プチャーチンらの一行が長崎奉行との面談のため上陸。政商松尾儀助伝 P59
8月20日
室町時代1565永禄8龍造寺隆信 神代長良
神代良利、三瀬の番所の龍造寺隆信 部下を襲い旧領回復。龍造寺隆信 P202
室町時代1570元亀元"龍造寺隆信(鍋島直茂)
大友宗麟"(未明)朝6時。大友の陣を急襲。(今山の戦い) 大友親貞(33歳)は成松信勝に討ち取られる。"龍造寺隆信 P231
史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P103"
安土桃山時代1586天正14鍋島直茂 大友 島津
島津の先陣に属して立花大友軍を攻めていた龍造寺軍に、秀吉から命令が届き、龍造寺軍は、島津側から撤退。立花大友側(秀吉)側に加わることとなる。"
史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P200"
8月21日
室町時代1570元亀元"龍造寺隆信(鍋島直茂)
小田鎮光"今山の戦いの翌日、多久の梶峰城の小田鎮光を鍋島直茂が攻める。龍造寺隆信 P242
安土桃山時代1582天正10龍造寺隆信
筑後の田尻鑑種が龍造寺隆信と起請文をとりかわす。(ただし12月には龍造寺氏と断ち、島津氏に通じたので、龍造寺は田尻を攻める)佐賀県史(上巻)年表
8月22日
江戸時代末期1849嘉永2鍋島直正
鍋島直正がロシア船見学第二回目を希望。京都から藩に招かれていた化学者中村奇輔を伴い乗船、蒸気車の模型運転を見学。鍋島閑叟(杉谷昭) P24

▲蒸気車の模型の完成の報告をまつ鍋島直正(「かちがらす」より)
江戸時代末期1849嘉永2鍋島直正
楢林宗建が鍋島直正の世子淳一郎(後の直大)に種痘を実施。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末
江戸時代末期1854嘉永7伊東玄朴
伊東玄朴が将軍家定大病につき江戸城へ招かれる。幕末の鍋島佐賀藩 P197
8月23日
室町時代1570元亀元龍造寺隆信(鍋島直茂) 大友宗麟(臼杵民部大輔)
今山の戦いの続きとして、龍造寺隆信が臼杵民部大輔を攻める。直茂らが活躍して勝利。龍造寺隆信 P242
明治時代1871明治4江藤新平
江藤新平司法卿、華族、士族、平民相互の通婚を許可する。江藤新平と明治維新 P222

▲正義の司法卿、江藤新平、本領発揮
8月24日
安土桃山時代1584天正12鍋島直茂 大友宗麟
沖田畷の隆信敗死の後、肥前に繰りだした大友軍が、龍造寺側の黒木家永の高群寺を攻めて、調略により開城させる。佐賀から援軍としてついていた土肥出雲守は逃走。" 史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P182"
江戸時代末期1853嘉永6鍋島直正
鍋島直正がロシア船見学第二回目を希望。京都から藩に招かれていた化学者中村奇輔を伴い乗船、蒸気車の模型運転を見学。鍋島閑叟(杉谷昭) P24

▲異国の船に自ら乗り込んだ藩主は鍋島直正以外に記録上残っていない
8月25日
安土桃山時代1574天正2龍造寺一門
龍造寺一門の長信と信種が、前月7月10日の隆信の方針を受け、後藤貴明と和を通じる。(ただし、翌年1575年春、隆信は後藤貴明を攻める)佐賀県史(上巻)年表
江戸時代末期1839天保10鍋島直正
鍋島直正の長女、お休(よし)誕生。(のちの貢姫)郷土史に輝く人びと P46
8月26日
安土桃山時代1581天正9龍造寺隆信
高良山座主良寛が龍造隆信に起請文をいれる。佐賀県史(上巻)年表
江戸時代末期1854嘉永7鍋島直正
鍋島直正が長崎にてオランダの蒸気船スンピン号(観光丸)に乗船。幕末の鍋島佐賀藩 P178
江戸時代末期1862文久2江藤新平
江藤新平が姉小路公知を通して孝明天皇に「密奏書」を献じる。幕府から外交権を奪取し、漸次王政復古に及ぶべきと主張。幕末維新と佐賀藩 P83
8月27日
江戸時代末期1846弘化2鍋島直正 直大
鍋島直正の嫡子、淳一郎が誕生。(後の鍋島直大)郷土史に輝く人びと P47
8月28日
明治時代1871明治4大木喬任 江藤新平
大木喬任、賤称廃止令を発令。全人口3400万人中未解放部落民の数53万人が「解放」 江藤が推進したものだが、「穢多、非人」の称を廃し、身分、職業を平民と同じにする。大木喬任年譜考 P102

▲おさななじみ大木喬任と江藤新平
8月29日
江戸時代初期1642寛永19龍造寺伯庵
幕府が龍造寺伯庵を会津の保科正之に預け、50人扶持を与える。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P23
江戸時代末期1860万延元中野方蔵
中野方蔵が久坂玄瑞に何事かを語る。楠公義祭同盟 年表
8月30日
江戸時代末期1866慶応2鍋島直正
徳川慶喜、親書をもって 鍋島直正の上京を要請。鍋島閑叟(杉谷昭) 巻末
明治時代1872明治5江藤新平
江藤新平が、家抱(百姓の下人)、水呑百姓の解放と農民の職業自由の許可。江藤新平と明治維新 P222

▲江藤新平
8月31日
明治時代1886明治19大木喬任
民法草案について元老院議官の尾崎三良と論じる。大木喬任年譜考 P390

▲大木喬任