2017年05月31日

今日は何の日?佐賀歴史暦 6月1日~6月15日

今日は何の日?佐賀暦
今日は何の日?佐賀歴史暦 6月1日~6月15日

6月1日~6月15日
戦国時代・幕末・明治維新において
佐賀の歴史上、何があった日なのでしょうか?
上演のカットとともにお楽しみください。

6月1日

安土桃山時代1592天正20鍋島直茂 
龍造寺軍文禄の役・加藤清正らと構成する第二軍として、この日開城(ケソン)を出立して咸鏡道(ハムギョンド)へ向う。文禄・慶長の役 P63 

江戸時代末期1862文久2中牟田倉之助
佐賀藩の蘭学寮出身の中牟田倉之助が中国・上海にて長州の高杉晋作と懇意になり、上海滞在中はほぼ一緒に行動をともにしていた。この日の高杉の日記に「中牟田男子あり、予このために大いに力を得たり」と記されている。大隈重信(大園隆二郎著) P118

明治時代1891明治24大木喬任
大木喬任が大津事件にて山縣首相辞任に従い大臣が辞任した後を受けて、第一次松方正義内閣で文部大臣となる。(~1892年8月8日まで)大木喬任年譜考 P471
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▲日本の教育制度の基礎を築いた大木喬任、3度目の教育系(文部省、文部卿)大臣の着任。大木の教育に対する想いは寸劇「酒持って来い!」で描かれている。

6月2日

安土桃山時代1584天正12龍造寺一門
沖田畷の戦いで隆信が死んだ後、あらためて龍造寺に肥後の隈部氏が起請文を入れる。ついで、田尻氏、高良山、西郷氏、三池氏、筑紫氏らが起請文を入れる。佐賀県史(上巻)年表

安土桃山時代1592天正20鍋島直茂 龍造寺軍
文禄の役・加藤清正らと構成する第二軍として、この日義兵の抵抗にあい、殲滅する。「首級百級を討ちとる」とある。文禄・慶長の役 P63 

明治時代1873明治6島義勇
秋田県令の島義勇が、井上馨に八郎潟の開拓予算をつけさせるために、東京に向かって、秋田をこの日出発。その後、島は井上とつかみあわんばかりの論争をしたが、結局、予算がつかず、6月24日免官になった。(ちなみに八郎潟の干拓は昭和23年になって農林省案が成功して完成した)郷土史に輝く人びと  P118
今日は何の日?佐賀歴史暦 6月1日~6月15日
▲八郎潟開拓の予算を獲得するため上京した島義勇。政府の顕官になった賢人たちにすがる思いで金の無心をしてまわる最中に、横浜で奇妙ななりをした男を助けることから物語は意外な方向へ(歴史寸劇「ありがとう」より)

6月3日

江戸時代初期1618元和4鍋島直茂 
鍋島直茂 没(81歳)。家臣13人追腹を切る。佐賀県史(中巻)年表

明治時代1868明治元前山清一郎
仙台で軟禁されていた九条卿を東京に連れていくための護衛軍(前山清一郎指揮)が、盛岡につき、この日藩校に宿泊した。藩主南部利剛および重臣が迎えた。「「仙台戊辰史」にみる佐賀藩の動勢」

明治時代1873明治6佐野常民 久米邦武
岩倉具視以下遣欧使節一行がウィーンに到着。佐野常民らが準備している日本の展示コーナーを視察。"日赤の創始者 佐野常民 P60久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表"
今日は何の日?佐賀歴史暦 6月1日~6月15日
▲佐野常民、2回目の渡欧。

6月4日
明治時代1868明治元大木喬任
木戸孝允が大木の「東京遷都論」を聞き、感心し訪ねてくる。年譜考 大木喬任(島内嘉一) P50
今日は何の日?佐賀歴史暦 6月1日~6月15日
▲歴史寸劇「茶飲みに来んか?」では大木と江藤が隠居した鍋島直正のもとに「東京遷都」の案をもってくる様子が演じられている

明治時代1872明治5副島種臣
午後9時頃、マリアルス号が横浜に寄港。230人ほどの中国人がだまされ、奴隷としてかき集められて船内に乗せられていた。江藤新平と明治維新 P189
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▲歴史寸劇「ありがとう」。マリアルス号事件を描く「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の最新作。

明治時代1889明治22大木喬任
大木喬任の長男、逸太郎が24歳で死去。フランス留学から帰国して半年、肺病で亡くなった。年譜考 大木喬任(島内嘉一) P445
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▲大木は次々と身内に先立たれて、仏の道に目覚める。大隈邸の紅葉を眺める最晩年の大木喬任(歴史寸劇「まるぼうろ」より)

6月5日

江戸時代末期1832天保3鍋島直正
鍋島直正が「国許では木綿だけ着る」と宣言。また食事については「今後は朝食は汁、香のもののみ。昼は平と香のもの二品限り。平がないときは皿魚でいい。夜は味噌、塩だけでいい。たとえ美味、佳肴があっても、今のとおり民の艱難を思うとノドを通らない」と言ったと記録されている。(15日後の6月20日に藩士に通達)"幕末の鍋島佐賀藩 P26
※一説に同年6月11日  鍋島直正公一代記(西村謙三)"
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▲鍋島直正

6月6日

江戸時代末期1835天保6鍋島直正鍋島直正、佐賀藩仕組を改革し、420余人を整理。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

6月7日


安土桃山時代1587天正15鍋島直茂 龍造寺一門
秀吉が九州島津鎮圧完了。筑前箱崎に凱旋し、武将へ知行制を実施。※龍造寺政家には肥前のうち、佐賀、神埼、三根、小城、杵島、藤津、松浦(一部)の七郡が安堵される。龍造寺家晴には、西郷氏の旧領諫早を。龍造寺には肥前以外の分国がまったく与えられなかった。鍋島直茂には単独に朱印状が発せられ、肥前のうち養父郡半分と高来郡神代の地が与えられる。"史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P202
※大名列伝(木村礎・児玉幸多) 
   "
江戸時代末期1830文政13鍋島直正
鍋島直正、藩主就任後はじめて長崎の唐館、オランダ館を巡視。オランダ船にも乗り見学。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末


6月8日

江戸時代末期1834天保5鍋島直正
鍋島直正が「親類はじめ着座までは、重要な職につく身分であるから他に比べてなおいっそう勉励しなくてはならない。特に若い人は怠ることなく練摩し、前から申しているように政務に預る身分なので、なかんずく文に思いをおき研究するように」」と言ったと記録されている。幕末の鍋島佐賀藩 P35
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▲鍋島直正に叱られると思い、お客様の後ろに隠れる島義勇(歴史寸劇「どしたらいいんじゃ?」より)

6月9日

江戸時代末期1835天保6鍋島直正
鍋島直正が「お城再建へ向けて時に支出削減のところはあるが、文武を勧めた人材を登用することは又、格別のことである。御狩方、御鷹方の予算のうち米70石を今年秋から天保8年の秋まで弘道館の費用にあてるように」と指示する。また、着座、侍50人が定詰として勉学するようになる。教授陣補強のため草場はい川が任命される。幕末の鍋島佐賀藩 P54


明治時代1872明治5副島種臣
6月4日に横浜港に入港してきたマリアルス号から、2人の清国人が脱走、上陸してきた。明治政府がはじめて迎えた国際問題「マリアルス号事件」の開始。http://arialuckystar.blog.fc2.com/blog-entry-157.html
今日は何の日?佐賀歴史暦 6月1日~6月15日
▲事件を知る副島種臣(歴史寸劇「ありがとう」より)

6月10日

江戸時代末期1835天保6鍋島直正
鍋島直正が弘道館の学館教導方心遣として、古賀穀堂ら3人の直正側近を兼務させる。幕末の鍋島佐賀藩 P54
今日は何の日?佐賀歴史暦 6月1日~6月15日
▲学問の大切さを語る鍋島直正。(歴史寸劇「ならば、需骨よ!」より)

明治時代1906明治39相良知安
相良知安がインフルエンザで71年の生涯を閉じる。(桜井補足)城雲院の墓石には6月10日とある。郷土史に輝く人々 P294

6月11日

江戸時代初期1659万治2山本常朝
山本常朝が片田江小路に生まれる。佐賀市史その2 年表 では1639年とあったが、宗龍禅寺史を見て1659年にした。


江戸時代末期1839天保10鍋島直正
鍋島直正の財政再建7ヵ年計画開始。鍋島閑叟(杉谷昭) P11

江戸時代末期1852嘉永5鍋島直正
鍋島直正、第15回目で四基の反射炉を使用してついに36ポンドの鋳造に成功した。鍋島閑叟(杉谷昭) P29


6月12日

明治時代1906明治39相良知安
相良知安没。 (杉谷氏の著書では6月10日)佐賀市史その3 年表

6月13日

室町時代1570元亀元龍造寺隆信
(対大友)龍造寺軍が川上にまで押し出し、北の口長瀬村の南無堂倶留利野で神代軍の反撃にあい、死傷者を多数出して敗退。"史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P100
「風雲 肥前戦国武将史」 P66"

6月14日

江戸時代末期1831天保2鍋島直正 古賀穀堂
古賀穀堂、『済急封事』を鍋島直正に提出。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

6月15日


安土桃山時代1584天正12鍋島直茂 龍造寺一門
鍋島直茂に龍造寺政家ほか一門が起請文を提出し、政治も戦も直茂が主導であることを依頼する。「平和時も、戦時も直茂の下知次第」と記載されている。初期の鍋島佐賀藩 P57


江戸時代末期1846弘化3年枝吉神陽
去る3月9日より勉強仲間らと旅に出ていた枝吉神陽がこの日江戸に戻る。訪れたのは鎌倉、水戸、房総、奥羽、越後など。枝吉神陽先生遺稿 P279
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▲枝吉神陽

江戸時代末期1864元治元年義祭同盟志士たち(大木喬任、副島種臣ら)
大興寺にて、義祭同盟の志士たちが集まると、「大木喬任日記」に記されている(1月15日、3月15日、4月15日、6月15日、9月15日、10月15日にも同様の記事あり) 枝吉神陽先生遺稿 P305
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Posted by 幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊 at 05:51 | Comments(0) | 佐賀暦
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