2017年01月16日

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日

今年2017年が明治維新150年のプレイアーです。
八賢人おもてなし隊の活動などで、幕末・維新の佐賀の歴史をもっと知りたいという声を多くいただいておりますので
各種文献を2年の歳月を費やして調べて完成した「今日は何の日?佐賀暦365日」を初公開いたします。
半月単位で掲載させていただきます。

賢人を多く輩出した佐賀だからこそ、毎日が何かの記念日になっておりますね!
「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の写真とともにお楽しみください
(下記データは、すべて魅力発掘プロデュース協会調べ。出展元は各エピソード単位で明記しています。1872年までは旧暦対応)

「今日は何の日 佐賀暦 1月16日~1月31日)

なんと、鍋島直正さんと、副島種臣さんのご命日がこの半月にございます。


掲載は、「日にち、時代、年号、エピソードの対象人物 エピソード、出展元(掲載ページ)」 の順で記載しています。


今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲精錬方の活躍を描いた歴史寸劇「喜鵲(かちがらす)」より 鍋島直正

1月16日江戸時代末期1859安政6鍋島直正鍋島直正、佐賀藩精錬方が火薬の製造開始。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

1月16日明治時代1874明治7"中島鼎蔵 山田平蔵 生田源八 櫛山叙臣"
佐賀の征韓党の4人が上京。征韓論が決裂したため参儀を辞職していた副島種臣、江藤新平らに会い行った報告を、佐賀に戻りおこなった。元町の宿屋小松屋に70数人の同志が集まり、江藤がちかじか帰国することが報告され気勢が上がった。郷土史に輝く人びと P127


今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲脱藩の罪で永蟄居になっていた頃の江藤を描いた歴史寸劇「聞き耳えびす」のヒトコマ

1月17日江戸時代末期1864元治元年江藤新平
この日、脱藩の罪で永蟄居となっていた江藤新平が、山内大野へ蟄居先を移したらしい(大木喬任の日記から推定)佐賀偉人伝「江藤新平」P29

1月17日明治時代1869明治2相良知安
相良知安が新政府の医学校御取立につき、取調御用掛に任じられる。(医学校を作る責任者)郷土史に輝く人びと P276

1月17日明治時代1873明治6佐野常民
博覧会事務副総裁となって多忙を極めていた佐野常民の灯台頭の兼務がとかれる。日赤の創始者 佐野常民 P53

1月17日江戸時代末期1874明治7副島種臣、江藤新平
民撰議院設立建白書を左院に提出(板垣退助(前参議)、後藤象二郎(前参議)、江藤新平(前参議)、副島種臣(前参議)、由利公正(前東京府知事)、岡本健三郎(前大蔵大丞)、および起草者の古沢滋、小室信夫の8名)。政府の有司専制を批判し、「納税者は政治に関係する権理がある」と主張したが、時期尚早とした大久保利通は建白者らを徹底的に批判した。「副島種臣と明治国家」P21 

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲人生は125年と、副島を勇気づける大隈重信。歴史寸劇「あの夜のままで。」より

1月17日大正時代1922大正11大隈重信350万人 国民葬 日比谷公園

1月18日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"少弐冬尚の命で龍造寺軍が昨年より包囲していた多久の梶峰城を陥落させる。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P72

1月18日室町時代1546天文15"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"少弐冬尚が龍造寺宗家の胤栄を村中城を攻めて追い落とす。史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P78

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲隠居して閑叟と名乗った鍋島直正(歴史寸劇「茶飲みにこんか?」のヒトコマ)

1月18日明治時代1871明治4鍋島直正
"前10代鍋島藩 藩主 鍋島直正 東京の永田町の自宅にて朝6時頃 死去 58歳。
(21日に古川松根が殉死)"郷土史に輝く人びと

1月19日江戸時代末期1857安政4鍋島直正
鍋島直正が江戸から「佐賀藩のみ格別の訳をもって、月次献上物を5ヶ年間免除すること」とお達しを受ける。幕末の鍋島佐賀藩 P190

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲お菓子をすべて食べているところを見つかった江藤新平(歴史寸劇「茶飲みにこんか?」のヒトコマ)
1月19日明治時代1874明治7江藤新平
江藤新平 帰郷のために嬉野温泉に滞在中、東京から後をつけてきた政府密偵に 発見される。大木喬任年譜考 P178

1月20日安土桃山時代1576天正4龍造寺隆信
龍造寺隆信が、島原の日野江原城主有馬晴信(仙岩)討伐の評定を開く。隆信はすぐに攻略することを主張したが直茂が慎重論を説き、結果、元蒲田江城主の犬塚弾正と芦刈の徳島左馬助信盛を先発隊として敵情視察をさせることに決定。両名は藤津郡森というところへ要塞を築き、有馬と対峙することになる。「風雲 肥前戦国武将史」 P72

1月20日安土桃山時代1577天正5龍造寺隆信
龍造寺隆信が、ちょうど一年前から有馬と対峙していた元蒲田江城主の犬塚弾正と芦刈の徳島左馬助信盛(藤津郡森の要塞)から報告を受け、ついに、1万余騎をもって、須古高城を出て藤津に向う。(浜の松丘城、高津原の鷲巣城を落とす)「風雲 肥前戦国武将史」 P73

1月20日明治時代1869明治2鍋島直正
鍋島直正が版籍奉還を薩長土の3藩主と連盟で奉じる。幕末維新と佐賀藩 P117

1月21日室町時代1545天文14龍造寺隆信
龍造寺隆信が徳島盛秀と戦う(小城郡芦刈町浜中)「陣ノ森の戦い」徳島軍敗退。地域別・肥前戦国合戦記(佐賀・長崎県)中 佐賀県2 P439

1月21日江戸時代初期1612慶長17鍋島藩
岡本大八事件の結論がでる。大八は火あぶり処刑。(有馬晴信に、「有馬氏の旧領で、今は鍋島領となっている藤津・杵島・彼杵三郡を家康が今回の恩賞として晴信に与えようと考えているらしい」と偽言を策し、大金をだましとる)佐賀県史(中巻) 年表

1月21日明治時代1871明治4鍋島藩
前10代鍋島藩主鍋島直正が東京永田町の自宅にて17日に死去したのを受けて、古川松根が殉死。郷土史に輝く人びと

1月22日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"1544年より少弐冬尚の命で有馬討伐を行なっていた龍造寺だが多大な犠牲を払って逆に水ヶ江城を有馬軍に包囲される。この日、馬場頼周の助言によるいったん水ヶ江城を開城する。(鍋島清房と龍造寺純家は馬場の助言を怪しんで反対したが聞き入れられず)史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P74

1月22日江戸時代末期1854安政元鍋島直正
幕府、直正の諸公務を免除、長崎警備専任を任命。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

1月23日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"有馬軍に包囲され、昨日水ヶ江城を開城した龍造寺一門、それぞれ落ちていく(剛忠は孫の鑑兼を頼り筑後へ。家純・家門・純家は筑前へ。周家・家泰・頼純は勢福寺城の少弐冬尚のもとへ陳謝のため向う。→夜)家純らは川上の淀姫神社に宿営中、馬場頼周の子・政員と神代勝利に攻められ、全員討ち死。純家は社殿の板とびらに小指を噛み切って血書を残す。(「山遠雲埋(二)行客跡(一)。松寒風破(二)旅人夢一)」)彼が楯とした岩が屏風岩として現存。・勢福寺城に向かった周家・家泰・頼純らは山伏を案内人として神埼郡尾崎の祇園原に差し掛か"史伝「葉隠の名将」鍋島直茂 P74「風雲 肥前戦国武将史」 P45"

1月23日江戸時代中期1788天明8古賀侗庵誕生
枝吉神陽先生遺稿 巻末年表

1月23日江戸時代末期1842天保13鍋島直正
蒲池直與(なおとも)が隠居したい旨を鍋島直正に告げるが許されず。(1845年になり隠居なる)幕末の鍋島佐賀藩 P98

1月23日江戸時代末期1854安政元鍋島直正
1月15日に新砲台(長崎)を見学した幕府、ロシア使節応接掛一行、反射炉見学のために来佐。郷土史に輝く人びと P48

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲佐野常民が三重津に海軍所作りを命令されたことを知った、蝦夷地探検から帰った来たばかりの島義勇は・・・(歴史寸劇「蝶よ、渡れ」より
1月23日江戸時代末期1858安政5鍋島直正
鍋島直正、佐賀藩三重津に御船手稽古所(海軍学校)を仮設。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

1月23日明治時代1869明治2鍋島直正
鍋島直正、佐賀藩他3藩連署の版籍奉還の上表書を奉呈。鍋島閑叟(杉谷昭)巻末

1月23日明治時代1871明治4鍋島直正
1月18日に永眠した鍋島直正、この日、正二位を贈られる。郷土史に輝く人びと P50

1月24日室町時代1545天文14"龍造寺剛忠 以下
龍造寺一門"勢福寺城に向かった周家・家泰・頼純らは23日は和泉村の玉泉坊で一夜を明かし翌朝山伏を案内人として神埼郡尾崎の祇園原に差し掛かった6時頃に頼周の家人・薬王寺隼人允および神代勝利を大将とする伏兵に攻められ8時頃には全員討たれてしまう。(日は不詳とあるが、「風雲 肥前戦国武将史45Pでは翌24日とある)。「風雲 肥前戦国武将史」 45P

1月24日江戸時代初期1621元和7鍋島勝茂
江戸鍋島屋敷類焼。ネット年表

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲正義の司法卿 江藤新平(歴史寸劇「さがんもん」より)
1月24日明治時代1873明治6江藤新平
司法卿江藤新平、事業領域の拡大に沿って、予算を申請するも、逆に大蔵次官井上かおるに(卿の大久保は訪外中)昨年より削減されたことに怒り、辞表を提出。大木喬任年譜考 P149

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲渡航のたびに視野を広げた佐野はやがて・・・(歴史寸劇「良いではないか?」より)
1月25日明治時代1873明治6佐野常民
佐野常民が博覧会事務副総裁としてオーストリアに渡航する前に、国内において明治10年には大博覧会を開催すべき旨を上申した。日赤の創始者 佐野常民 P55

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲佐賀の乱を扱った歴史寸劇「さがんもん」より
1月25日明治時代1874明治7江藤新平
江藤新平が佐賀に帰り、八丁馬場にある清涼亭に宿をとる。江藤新平と明治維新 P283

1月25日明治時代1892明治25年久米邦武
「史学会雑誌」に昨年3月31日に発表された論文「神道は祭天の古俗」を。が「史海」に転載され、内容が神道家らの議論を呼ぶ久米邦武 ~史学の眼鏡で浮世の景を 年表


今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲カリスマ 枝吉神陽 日本の「学」の頂点に立つ(歴史寸劇「おないとし」より)
1月26日江戸時代末期1848嘉永元枝吉神陽
枝吉神陽が江戸、昌平坂学問所書生寮にて舎長を命じられる。学問および人となりが、昌平坂に集まった当時の俊鋭の中でも群を抜いていた。楠公義祭同盟 P91

1月26日江戸時代末期1849嘉永2鍋島直正
幕府が長崎(伊王島・神ノ島)砲台築造を否決。

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲精煉方で蒸気機関作りに命をかける佐野常民と田中からくり儀右衛門(歴史寸劇「喜鵲(かちがらす)」より)
1月26日江戸時代末期1858安政5佐野常民
佐野常民が、京都の中林奇輔を招聘して精煉方に住まわせる。他にもこの時に但馬の石黒寛次、からくり田中儀衛門(父子)らを佐賀に連れて帰った。われらの郷土 昔の今日 ○月の巻

1月27日江戸時代後期1758宝歴8鍋島宗教
鍋島宗教が杵島郡白石山に恒例の御狩を催す。多久から、猟犬と士卒が出される。多久の犬は当時すこぶる優秀であったと葉隠に書かれている。われらの郷土 昔の今日3月の巻

1月27日江戸時代末期1848弘化枝吉神陽
枝吉神陽(27歳)が、江戸昌平坂学問所の舎長になる枝吉神陽先生遺稿 巻末年表

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲大隈重信と最晩年の大木喬任 (歴史寸劇「まるぼうろ」のヒトコマ)
1月27日明治時代1888明治21大隈重信 大木喬任
大隈重信に元老院議長大木が入閣条件の撤回を勧める。歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信

1月27日明治時代1888明治21大隈重信
大隈重信が伊藤首相邸にて黒田清隆と会談、略略入閣のことを決する。歴代総理大臣伝記叢書【5】大隈重信

1月28日江戸時代初期1635寛永12鍋島忠直
鍋島忠直(勝茂の嫡子) 23歳で没。※天然痘 追腹4人佐賀県史(上) P177

1月28日江戸時代末期1839天保10鍋島直正
鍋島直正の父、斉直が江戸で死去(60歳)。幕末の鍋島佐賀藩 P84

1月28日江戸時代末期1867慶応3鍋島直正
幕府大目付永井尚志(なおゆき)が佐賀来訪。慶喜の書面を直正に渡した。直正は松原神社の東北方向の現在の欄干橋のところにあって、使節の応接用によく使われた欄干茶屋で面会した。対談の中で、幕府がもはや維持できないことを悟る。大隈重信(大園隆二郎著) P162

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲船の中で岩村高俊らと大喧嘩をしたことがきっかけで、反政府側となり、江藤とともに戦う島義勇(歴史寸劇「さがんもん」より)
1月28日明治時代1874明治7江藤新平
大久保利通、佐賀県令に岩村高俊を任命。幕末維新と佐賀藩 P192

1月29日明治時代1872明治5江藤新平
江藤新平が、卒身分を廃止する。江藤新平と明治維新 P222

1月30日江戸時代末期1867慶応3鍋島直正鍋島直正が、佐賀滞在中の幕府大目付永井尚志(なおゆき)に会い、一昨日に聞いた話の回答を述べる。病気平癒次第上京して慶喜と面談することを約束。われらの郷土 昔の今日 ○月の巻

今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
今日は何の日?佐賀暦 1月16日~1月31日
▲大の相撲好きだった副島種臣。棺は名横綱常陸山が背負った
1月31日明治時代1905明治38副島種臣
副島種臣 没(78歳)。佐賀市史その3 年表

以上です。



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Posted by 幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊 at 22:46 | Comments(0) | 佐賀暦
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